福島・浜通りの未来のために――ラーメンを新たな名産へ、鳥藤本店・藤田社長の挑戦
こうして完成した新しい浜鶏ラーメンを引っ提げ、18年1月には店舗もリニューアルオープンした。「看板のデザインも、スタッフのTシャツもすべて変えました。それまでとはまるで違うラーメンになりましたから」と藤田さんは言う。 実は、福島の地鶏も検討し、県内の特産品である「川俣シャモ」の関連団体に相談したこともあった。生産量が少ないことや原料コストなどの課題もあって見送ったが、藤田さんはいつかは地鶏を使ったラーメンをつくりたいという思いを持ち続けている。
小学生の心意気に号泣
生まれ変わった浜鶏ラーメンは地元の人たちに好評で、藤田さんも「おいしくなったね」と幾度も声をかけられた。しかしながら、原発の廃炉作業が進むにつれ、常連客だった作業員は減少。売り上げも下降線をたどり、現在はピーク時と比べて半分ほどだ。 藤田さんは、地域外に向けてもラーメンを販売しようと、お土産用の袋入りラーメン商品を開発。2018年に富岡町やいわき市などで発売し、翌年からはインターネット販売も開始した。「JR東日本おみやげグランプリ」食品部門で銀賞に輝くなど、袋入りラーメンは年間2万食ほど売れている。 18年には、藤田さんにとって転機となるもう一つの出来事も起きた。地元・富岡町の小学生との出会いだ。 震災以降、双葉郡の学校では「ふるさと創造学」という地域をテーマにした学習活動に取り組んでおり、その一環で、同年3月にさくらモールとみおかの店舗に3人の小学5年生がやって来た。目的は藤田さんへのインタビュー取材である。 当時の藤田さんのマスコミ嫌いは相当なものだったという。震災関連の取材を幾度も受けてきたが、ある一部分だけを切り取って報じられることに腹が立っていた。どんなに有名なリポーターが東京から来ても動じることはなかったが、相手が地元の小学生ということで緊張感は最高潮に達した。 下手なことは言えない。真摯に向き合う覚悟で臨んだ当日。冒頭からガツンと打ちのめされた。 「僕たちは、5年後、10年後に、富岡の町の役に立ちたいと思っています。復興の状況を自分たちの言葉できちんと話ができるように、今日は町の様子を見に来ました。よろしくお願いします」 この挨拶に藤田さんは号泣した。