福島・浜通りの未来のために――ラーメンを新たな名産へ、鳥藤本店・藤田社長の挑戦
喜多方、白河と並ぶ「福島3大ラーメン」 を目指して
鳥藤本店にとってラーメンとは、会社のアイデンティティーといえる商品だ。 73年前に「鳥藤食堂」を開く以前、藤田さんの父・勝夫さんは、仕入れた鶏をさばいて、鶏肉を売っていた。あるとき、鶏ガラを使ったラーメンを富岡町の伝統的な秋市「えびす講市」で販売したところ、客の行列ができ、瞬く間に地元で評判となった。この成功をきっかけに勝夫さんは食堂を始めたという経緯がある。 震災から5年が経った2016年、東電関連の事業などは立て直しつつあったものの、会社のさらなる成長に向けて、藤田さんは原点回帰を図ることにした。鶏を使ったラーメンを復活させようと考えたのである。 それは、喜多方と白河に浜通りを加えて「福島3大ラーメン」にするという藤田さんの大きな夢への一歩でもあった。ラーメンには人を惹きつける力がある。ラーメンが浜通りの新しい名産になれば、地元活性化の起爆剤になると藤田さんは考えた。 ただし、ラーメンの復活といっても、約70年前と同じレシピのものをつくるわけではなかった。 「当時出していたものは、昔ながらの典型的な醤油ラーメンでした。それはそれで古き良きラーメンなのでしょうが、時代とともにお客さんの嗜好も変わっているし、もっと鶏にこだわったラーメンをつくりたいと思いました」 鶏ガラをベースにしたスープに加え、具材となるチャーシューにも鶏を使うことに。むね肉を低温調理することで、パサつきがなくしっとりとした味わいを実現しようとした。ところが、オーブンで加熱する温度や時間を変えて繰り返し試したものの、一筋縄ではいかなかった。藤田さんも何度も試食しては意見を出したが、どうしても満足のいく仕上がりにはならない。 そのうちに富岡町の複合商業施設「さくらモールとみおか」のオープン日が迫ってきた。鳥藤本店の新業態となるラーメン店「浜鶏」は、モールの開業に合わせた出店が決まっていたため、藤田さんはチャーシューをはじめとした鶏の具材づくりを断念。豚チャーシューを使用したラーメンで16年11月のオープン初日を迎えた。 藤田さんが理想とするラーメンにはまだ行き着かなかったものの、商売は繁盛した。当時は原発事故に伴う除染や建物解体の真っただ中で、双葉郡では作業員が数多く働いていたため、お昼どきになると客がなだれ込んできた。地元の人たちも「ラーメンが食べられてうれしい」と口々に喜びを伝えた。浜鶏ラーメンは飛ぶように売れ、昼間だけの営業にもかかわらず、多い日には150人以上の来客があった。 一方で、藤田さんはラーメンの改良を諦めていなかった。並行して商品開発を進め、鶏チャーシューだけでなく、圧力鍋で軟らかく煮込んだ鶏のもも肉や、その煮汁に漬け込んだ卵といった具材を用意した。スープの邪魔にならないよう、もも肉の味付けを和風にするなどの工夫も凝らした。 1年ほど改良を重ね、ラーメン全体の味のバランスを整えていった。藤田さんが目指したのは、鶏鍋の締めに食べる雑炊の味わいだ。 「鶏を使った鍋の最後に雑炊を食べますよね。唇にペタペタくっつくような、鶏のあのうまみ。最高においしいですよね。ああいう味にしたいというイメージはありました」