日本の「カプリチョーザ」にイタリア人も感動!本場に負けない“こだわり”をマッシが解説
サイゼリアにコメダ珈琲、丸亀製麺など、日本のチェーングルメを愛するイタリア人・マッシさん。 【写真11点】「カプリチョーザに感動!」を写真でチェック なかでも全国展開するイタリアンレストラン「カプリチョーザ」は、美味しさだけでなく、お店のストーリーにも感動したのだという。
ストーリーに感動した唯一のチェーン店「カプリチョーザ」
僕は日本に住み始めて17年目になる。故郷であるイタリアにはもう5年ほど帰っていないけれど、「イタリアが恋しい、帰りたい」と思ったことはほとんどない。 なぜかというと、日本にはイタリアらしい外観や3色の旗、明るい雰囲気のお店がたくさんあって、里帰りの気分を気軽に感じられるからだ。郷土料理を扱う個人店もあればイタリアの食文化にはなかなかないチェーン店まで、さまざまある。 そして、意外と思われるかもしれないけれど、特に僕が好きな日本のイタリアンは、チェーン店だ。それぞれのコンセプトやセンス、歴史によって、その料理と味は魔法のように変わって、各店でいろんな味わいを楽しめるのが素晴らしい。シンプルなトマトソースのパスタだけでも、この違いを発見できる。
そんな僕が、これまでたくさんのチェーン店を食べてきたなかで、料理だけではなくお店の物語にまで感動したのは「カプリチョーザ」だけだと思う。 僕が感動したカプリチョーザの創業者である本多征昭さんの物語を聞いてほしい。創業までの道のりは長く過酷で、いろんな歴史が詰まっている。聞いたときに感動しすぎて、イタリア現地のアモーレ(愛)を彼の料理に感じた。 本多さんは19歳のときに、イタリア国立エナルクホテル学校に入学し、最優秀卒業生として卒業した。その功績がイタリア政府に認められて、驚くことに1970年3月には大阪万博のイタリア館のシェフを勤めることになったのだ。こだわりが強いイタリア人の口に合う料理を作れるなんて、相当な天才だ。
そして1978年、彼が34歳の時に渋谷の外れに6畳ほどのイタリアレストランを開店した。現在はカタカナで書かれている「カプリチョーザ」は当時、「華婦里蝶座」と書かれていて、その看板が印象的だった。本場の味を安く、しかもボリュームたっぷりで味わえるとあって、人気になる理由はよくわかる。 しばらくして本多さんにフランチャイズの依頼が舞い込んできた。口数が少ない本多さんを説得するのに苦労した担当者は、説得後もレシピの取得に奮闘したそう。彼のレシピはすべてが頭の中に入っていたのだ。彼のキッチンに担当者が入って、調理過程を見ながらメモを取ったり質問したりして1年、やっとレシピを引き継ぐことができた。