凧揚げの風習薄れても…飾り用として人気 愛され続け100年、父娘で伝統守る凧の手作り工房
かつて正月の風物詩だった凧(たこ)揚げ。記者も子どもの頃、祖父と一緒に「天まで揚がれ」と言いながら楽しんだ思い出がある。北九州市戸畑区には、そんな懐かしい凧を、100年余りの伝統を守りながら手作りしている工房がある。凧揚げの風習が薄れた今も多くの注文があるそうだ。工房を訪ねると、先代の技を受け継ぎながら、カラフルな絵柄の凧作りに精を出す父娘の姿があった。 (壇知里) 【写真】「カイトハウスまごじ」に並ぶ色鮮やかな凧、絵付けをする娘の立石梓さん 戸畑区の大通り沿いにある凧の専門店「カイトハウスまごじ」。店内に入ると、壁や天井に色鮮やかな凧が所狭しと飾られていた。セミ、虎、鬼-。目がくっきりと描かれ、見つめられているような気がしてくる。大人の胴体ほどあるものもあり、迫力満点だ。 製作するのは竹内義博さん(81)と長女の立石梓さん(46)。新年に向けて繁忙期を迎えた店舗奥の工房には、来年の干支(えと)にちなみ、ヘビが描かれた凧が積み上げられていた。 「軽くて左右対称なのが必須条件です」。義博さんが、よく揚がる凧の秘密を教えてくれた。 材料作りから全てが手作業。外枠用にしなやかな「女竹(めだけ)」、芯の部分には丈夫な「真竹(まだけ)」を仕入れ、数カ月間干す。十分に乾燥させたら、ナイフを使って直径数ミリの細さにそいで「竹ひご」を作っていく。長いもので2メートル近く。節の部分もうまく処理しながら、均等な細さに仕立てるのが腕の見せどころだ。 竹ひごを組んだ土台に和紙を貼ったら、絵付けの作業。ここからは梓さんの出番だ。筆を使う作業は「丸を描くのが一番難しい」。にじまないように乾かしながら、数日かけて絵を入れいく。 ◇ ◇ ここで作る凧は「孫次(まごじ)凧」と呼ぶ。「カイトハウスまごじ」の店名ともども義博さんの祖父、孫次さんの名前が由来だ。 海風が吹く北九州は凧揚げが盛んで、明治期には各地に自分の名前を冠した凧作りの名人がいたという。「よく飛ぶ」と評判だった孫次さんもその一人で、自宅兼商店で自作の凧を販売していた。義博さんは、正月に孫次さんに連れられ、公園で友人たちと凧揚げをするのが楽しみだった。 義博さんが26歳のとき、孫次さんが亡くなった。多くの注文が入っている状況だった。「じいちゃんが頑張ってきたものが終わってしまうのはもったいない」。義博さんは、書店で郷土玩具製作の本を買って勉強し、孫次さんの凧を分解しながら再現していった。 会社勤めの傍ら、朝と晩に凧作りを続けた。絵付け担当の妻、日出子さんと二人三脚で、虎やフクロウ、フグなど新しいデザインも考案。少しずつ評判が広がって福岡県の特産民芸品に指定され、市内の土産店から東京の民芸品店にまで卸すようになった。 12年前、日出子さんが64歳で急逝。悲しみに暮れる中、日出子さんの絵付けの様子を見て育った梓さんが「このまま終わってほしくない」と子育てをしながら後を継いだ。「見よう見まねです。12年でずいぶん成長しました」と笑って振り返る。 北九州でも凧揚げの風習は薄れ、専門店は次々に姿を消した。だが「揚がる」にかけた縁起物でもあり飾り用として人気は根強く、「注文をこなすだけで精いっぱい」(義博さん)。 明治、大正、昭和、平成、令和-。孫次凧は移りゆく時代の空を舞いながら、愛され続けている。
カイトハウスまごじ
明治期から続く「孫次凧」の専門店。定番はセミの絵柄。凧揚げ用だけでなく、インテリアとしても人気。ほかにうちわや絵はがき、しおりなども販売している。北九州市戸畑区新池1丁目。不定休。093(881)4537。