養老孟司のがん治療を支える娘・暁花が語る父への思い。「役立ちたいと見舞いに行っても塩対応。それで心が折れそうになったことも」
◆家族もがんばっているんだよ 父は東大病院が嫌いだと、本にも書いています。でも私からすると、父を安心してまかせられる、よい病院です。 昔の東大病院は違っていたのでしょうけれど、父が東大病院をやめてから、30年近くたっています。ずいぶん変わったのではないでしょうか。 担当医の岩崎美香先生(「崎」は正しくは「たつさき」)をはじめ、呼吸器内科の鹿毛秀宣教授も、中川先生も、みなさんよい方ばかりです。 父はどう思っているかどうかわかりませんが、私は今回、医師に恵まれたと感謝しています。 父も入院する前は、「ここまで生きたんだから、もういい!」みたいなことを言っていました。 でも若いドクター陣の情熱にほだされたのか、「俺が元気になったら、彼らが喜ぶだろう」とか、珍しくそんなことを言っていました。 虫法要のときのスピーチでも、退院を許可してくれたドクターたちへの感謝の言葉を述べていました。 でも、がんばっているのは東大病院のドクターだけではありません。家族だって、父のためにがんばっているんです。虫法要には私も同席していますが、スピーチの最中、思わずそう叫びそうになってしまいました。 まあ、人前で家族への感謝とかは絶対に言わない人ですから、期待もしていませんでしたけどね。
◆もう少し父と一緒に過ごしたい 今回父が病気になってから、友だちにも会わず、趣味の旅行にも行かず、すべて父の役に立ちたいと思って過ごしているのに、病院に見舞いに行ったら塩対応ですし、それで心が折れそうになったこともありました。 そんな不満もありますが、私は父が大好きです。それが父にとどいているのかどうかわかりませんけど。 今までお世話になる一方で、ぜんぜん恩返しもできていないので、もう少し父に貢献できたらいいなと思って、入院中は欠かさず見舞いに行っています。 まだ、治療の最中ですし、今の予定(24年6月11日現在)だと抗がん剤治療が終わるのは8月です。その後は、中川先生の放射線治療も控えています。 幸い抗がん剤の副作用がとても少なく、がんも小さくなっているということで、父の治療はうまくいっているようです。 父ががんと診断されて、少し落ち込んでいた時期もありましたが、治療がうまくいっているので、私も明るい気持ちになっています。 父のような病人に「がんばれ」というべきではないのかもしれませんが、もう少し父と一緒に過ごす時間を持ちたいので、治療をがんばってほしいと思います。 ※本稿は、『養老先生、がんになる』(エクスナレッジ)の一部を再編集したものです。
養老孟司,中川恵一
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