娘の死から最期まで22年の日記に吐露された心情 「只生きている。死ねば完了」の境地に至るまで
<生きてる人に会いたくない 死んでいる人に会いたい。 なぜって 生きている人には いつでも会えるから '00 2.6(日)> ■引っ越しをきっかけに形見のスケッチが頻出 半年後にレポート用紙を使い切ると、2冊目からはコクヨのA4キャンパスノートを使うようになった。2冊目の表紙には「日記(Mへの)」とわざわざ書いている。日々の暮らしや考えていることをムッチャンに伝えるための日記というコンセプトだ。墓前や仏壇の前で故人に語りかけるのに近い感覚だったのかもしれない。
その日記にさまざまな形見を繰り返しスケッチするようになったのは、6~7冊目にあたる2001年頃のこと。背景には20年ぶりの引っ越しがあるようだ。家を丸ごと移すとなると、物置や自部屋の押し入ればかりでなく、亡くなってから一度も触れずにいたムッチャンの部屋の扉も開けなければならなくなる。そして、封印されていたさまざまな形見と改めて対面することとなった。 <8.21(火)pm9.30 ○○に行っていろいろ片付けていたら、Mの
メッセージとか出て来ました。 私の父の日のプレゼントに鋏を贈ったのですが お金が足りなくて、申し訳ないけどと書いてありました。(いつの頃か不明です)> 近場での引っ越しであり、立ち退き等の期限もなかったので、何度も両家を往復してゆっくりと進められた。ムッチャンの部屋を片付けるたびに、新鮮な思い出が掘り起こされる。ムッチャンがT医師にプレゼントした人形は改めて自室に飾った。部屋に貼っていた習字の作品ももらい受けた。「嫌なことの中にもいいことはある」と書いてあった。
<4.2(火)p.6.40 Mの習字を見ていると Mと話しをしているような気がします。 上には人形がぶら下り、 右にはモモとの写真があって 更に向うにはアチコチの狛犬の絵が 何となくMを守っているように。 カラバッジオ(※)も居ましたね。 只、やはり、それでも。 只その中で私もどうやっても居ない Mと向き合っているのです。> (※筆者注:バロック期の画家・カラヴァッジオの絵画を指すと思われる) 形見が手元に増えると故人がより身近に感じられるようになり、それゆえに故人の喪失が現実味を帯びる。こんなことも書いている。