娘の死から最期まで22年の日記に吐露された心情 「只生きている。死ねば完了」の境地に至るまで
夜になって通りは人っ子一人居なくなってしまった 家に帰った。家は××のバラックの家だった 玄関に近づくと、 “洗手が帰って来た来た”という子供の声がした。玄関をあけると そこにM(お母さんを××)が待っていた。“洗手”とは私が 押していた荷物車のことだった。そのかごは日用品やおみやげをつんであった Mのほっぺたは真っ赤だった。私は“こういう時もあったな”と ×にうたれていた> ムッチャンは、この約1年前の1998年9月に20歳で亡くなっている。ムッチャンは生後間もない乳幼児が罹る胆道閉鎖症という病気を患っており、主治医からは成人になることは難しいと言われていた。
T医師が44歳のときに生まれた子。20年間ずっと見守ってきた自分の娘は闘病を終え、そして一周忌を迎える直前に夢に出てきてくれた。このことを書き留めなければと起きてすぐに筆をとった熱が、日付けに続く「アケ方」にのぞく。 この日からT医師の暮らしに、ムッチャンに向けて日記をつづる日課が加わった。 当時のT医師は66歳。都会の郊外に構える一軒家で妻と次女、大型犬のモモとゴンと暮らしていた。長男はすでに家を出ており、次女も手がかからない年齢になっている。
朝にモモとゴンを散歩に連れていき、勤務先には自転車で向かう。休日も仲間と囲碁を打ち、家族で旅行やクラシックの演奏会にもよく出かける。お酒は好物だが、タバコは吸わない。高齢者とカテゴライズされる年齢になってもなお、心身ともに健康で充実した日々を送っていたことが日記から読み取れる。 それでもふとした瞬間にムッチャンを喪失した事実が心をかすめる。最初に飼ったモモはムッチャンとの付き合いも長かった。そのモモの眼差しにムッチャンが元気だった頃を思い出し、「ムッチャン」と話しかけてはモモの反応をみて感じ入ったりした。その思いが唐突にこぼれる日記も残している。