124名が死亡… 初詣での「餅まき」が引き起こした「空前の惨劇」 群衆管理の未熟さによって起きた「彌彦神社事件」とは?【戦後事故史】
■「福餅撒き」がもたらした空前の惨劇 二年参りの最大の呼び物となったのが「福餅撒き」である。福餅撒きとは、神職や関係者がやぐらや拝殿の高い場所から長寿や繁栄を象徴する縁起物とされる餅を撒き、集まった人々が競って拾い合う日本の伝統行事である。彌彦神社でも恒例行事として定着し、新年の幸運や家族の安泰を願う参拝者に支持されていた。 彌彦神社は、鳥居をくぐり参道を進むと、石段の先に随神門がそびえ、その奥に拝殿がある構造になっている。拝殿前には約1000坪の広場がある。1955年の大晦日の遅い時間、広場には「福餅撒き」目当てで数千人もの人々が詰めかけ、1年の終わりが近づくとともに群衆の熱気も高まっていった。 新年を迎える花火の合図とともに、いよいよ随神門の脇に仮設されたやぐらから福餅撒きが始まった。紅白の福餅を手にしようとする群衆が興奮状態で入り乱れた。福餅撒きは数分で終了したものの、多くの参拝客がさらなる餅の投下を期待して、しばらくその場に留まったという。 やがて、餅がこれ以上撒かれないと悟った人々は、帰るために幅がわずか二間しかない随神門に殺到。一方で、新たな参拝者たちが拝殿を目指して次々と参道を上がっていた。こうして、下る人流と上る人流が激突。お互い譲らずに渦を巻き、現場は制御不能な混乱へと陥った。 午前0時20分頃、人の渦が臨界点に達する瞬間が訪れた。境内を囲む玉垣が群衆の圧力に耐えきれず崩壊し、後方にいた参拝者が次々と高さ3メートルの石垣から転落。これにより将棋倒しの状態が発生したのである。それは凄惨な光景だった。悲鳴とうめき声が交錯するなか、人が折り重なり、次々と押しつぶされていった。 圧死する人、窒息死する人が続出し、その場は瞬く間に阿鼻叫喚の様相と化した。人が溢れかえっていたため、救助活動は困難を極めた。被害者は近隣の学校や神社の建物に次々と運び込まれたが、深夜であったため医師の到着が遅れ、十分な治療を受けることなく命を落とした人もいたようだ。 この事故は、124名が死亡、94名が重軽傷を負う大惨事に発展。明治以降、日本で最悪レベルの群衆事故として記録される。 ■事故原因と、問われる神社側の責任 1956年の彌彦神社群衆事故では、重い石でできた玉垣が崩壊し、人々が将棋倒しとなり、最終的に124名の命が失われた。この惨劇には、以下のような原因と構造的な問題があった。 ●戦後復興と経済的余裕の広がり 高度経済成長期の初期にあたる当時、農村地域にも経済的な余裕が生まれ、娯楽やレジャーが一般的な生活の一部となりつつあった。初詣もその一環として人気が高まり、全国的に参拝者が急増していた。 ●交通インフラの影響 臨時列車や貸切バスが大量の参拝客を運び、福餅撒きという地元行事は広域から人々を引き寄せる大規模イベントへと変貌していた。交通網の発展は集客を加速させた一方で、人流の管理する体制は十分に整っていなかった。 ●群衆管理の未熟さ 当時は群衆管理という概念が十分に確立されておらず、警備体制も不十分だった。警察官は35名のみで(36名という報道も)、その多くが交通整理に従事していたため、境内の混雑を制御する余力がなかった。現代であれば、入場制限や動線の分離、規制線の設置、誘導員の配置などの対策が講じられるだろうが、当時はそうした準備が行われていなかった。 ●神社側の準備不足 照明の増設など最低限の対応は行われていたものの、彌彦神社では混雑を見越した動線確保や安全対策が不十分だった。警察への詳しい相談もなく、福餅撒きの警備体制は数十人から数百人規模を想定した伝統行事の範囲に留まっており、万単位の参拝者を受け入れる準備は整っていなかった。 ●玉垣の構造的問題 当時に報道によれば、崩壊した玉垣は芯材を持たず、重い石をセメントで接合しただけの構造だったとされる。安全性が著しく欠けたこの玉垣は、多くの死傷者を出す直接の原因となった。 ●参拝者の行動 警察発表によれば、当日、多くの参拝者が酒を飲んでいた。中には泥酔者もおり、これにより判断力や危機意識が低下していた可能性が高い。一部の参拝者の行動が混乱を助長したと考えられる。 ■事故後の対応と責任の所在 事件を受け、新潟県警察本部長や彌彦神社の責任者が引責辞任した。さらに、神社側の責任者4名が過失致死罪で逮捕され、一審では無罪判決を受けたものの、1967年に最高裁で有罪が確定した。 大惨事の教訓として、随神門付近の石段や通路が拡張され、翌年から参道は一方通行とする運用が開始された。また、福餅撒きは以後中止され、再開されることはなかった。その後、犠牲者を悼む慰霊碑が建立され、以降、毎年慰霊祭が開催されるようになった。 この事件は日本における群衆管理の重要性を広く認識させるきっかけとなった。なお、現在も彌彦神社は安全対策に徹底したうえで多くの初詣客を迎え入れている。
ミゾロギ・ダイスケ