「落ち込んだとき」に読みたい 人気哲学者が選ぶ哲学の本6冊
思い通りに物事が進まない、自分が嫌になる、やる気が出ない――。そんな私たちの“普遍的”ともいえる悩みに、古今東西の哲学者たちはどんな答えを導き出してきたのでしょうか。 【関連画像】『マルクス・アウレーリウス 自省録』 神谷美恵子訳、岩波文庫 今回は、『哲学を知ったら生きやすくなった』の著者で人気哲学者・小川仁志さんが、シチュエーション別で、「落ち込んだとき」に読みたい6冊の哲学本を紹介します。自分の気持ちに近いもの、または真逆のもの。哲学者たちの多様な考えに触れるなかで、自分が求めているものが見えてくる。そして、前に進むための勇気を与えてくれるはずです。 ●思い通りに物事が進まず、やる気が出ないとき 1.『マルクス・アウレーリウス 自省録』 神谷美恵子訳、岩波文庫 困難に直面して自分を見失ったり、やる気をなくしたりしてしまう――。そんな自分を鼓舞してくれるのが、ローマ五賢帝の一人で、ストア派の哲学者としても知られるマルクス・アウレーリウスの『自省録』です。 彼は戦争の最前線を走り回りながら、わずかな休息時間に野営テントの中で思索を重ねました。苦境のなかで自らを奮い立たせるためにつづった日記には、現代の私たちの心に刺さる言葉が詰まっています。 例えば「明けがたに起きにくいときには、次の思いを念頭に用意しておくがよい。人間のつとめを果たすために私は起きるのだ」という言葉。心身ともに極限状態のなか、何のために生きるのか分からなくなる。そんなときアウレーリウスは、それは自分自身のミッションのためだと言う。そして「存在しない想像にとらわれるのではなく、自分のやるべきことに集中しなさい」と叱咤(しった)激励します。厳しい現実から生まれた言葉だからこそ、説得力がありますよね。 私はこの本を、朝起きるのに活用しています。眠くてやる気が出ないときも、この本を読むと目がさえてくる(笑)。ついダラダラしてしまう、時間を浪費してしまうという人にもおすすめの一冊です。 ●自分の努力不足を責めて心が折れそうなとき 2.『人間とは何か』 マーク・トウェイン著、中野好夫訳、岩波文庫 “自己責任”が問われる現代では、自分の無力さや努力不足を嘆いて、苦しくなる人も少なくありません。そんな生きづらい時代にぜひ読みたいのが、『トム・ソーヤーの冒険』で有名な文豪マーク・トウェインが晩年に匿名で残したこの本。タイトル通り「人間とは何か?」という難しいテーマを、老人と青年の対話形式で展開していて、スラスラ読める哲学エッセーです。 この本でトウェインとおぼしき老人は、「人間は機械だ」ととなえます。人間は、機械、つまりあらかじめ作られたモノであって、自分ではどうすることもできない存在なのだと。「人はモノではない」と言った、前回の記事「 人生が生きやすくなる 一度は読んでおきたい、悩み別・哲学の古典 」で紹介した哲学者・サルトルとは真逆の考え方ですよね。 トウェインによると、私たちはみな、全てを自分で思考し行動していると考えていますが、実はそうではない。人間の思考は、あらかじめ規定された環境や遺伝、経験といった“外的な力“から育まれるのだと言います。例えばシェイクスピアのような偉人でも、環境によってシェイクスピアになったのであって、もし無人島で生まれたらシェイクスピアにはなっていない。極端な考え方ではありますが、そうかもしれません。 心が折れそうなときは、心を楽にしてくれる”前向きな言い訳”をすることも、生きるうえでとても大事なことだと私は思います。 ●後悔にさいなまれたとき 3.『荘子(上・下) 全訳注』 池田知久、講談社学術文庫 現状に行き詰まったとき、私たちは「あのときこうしていれば」「この道を選ばなければ」と後悔することがよくありますよね。そんなときに読みたいのが『哲学を知ったら生きやすくなった』でも紹介した、道家の思想家・荘子の本です。 彼の思想を象徴する言葉が「万物斉同」、つまり“全ての物事は一つ”という道教の考え方です。これは人為的な区別をせず、自然の摂理に身を任せればうまくいくというもの。けれど私たち人間は勝手に区別をつけて、その一面だけを見て苦しんでいるにすぎないというわけです。 荘子は「万物斉同」の概念をさまざまな寓話(ぐうわ)を用いて論じているのですが、これを読むと、後悔することがばかげたことのように思えてくるのです。例えば、荘子は「人生に選択肢などない」と言う。道路は歩くから道路になるのであって、歩かなければ道路はできない。「他に道があったのでは」と空想するから悩むわけで、人生の道はあなたが選んだものしかないのです。もともと一本しかないと思えば、迷いも後悔も生まれないはず。 私たちはこうして現状を受け入れて初めて、新しい道を見つけられるのかもしれませんね。 ●どうにもならない運命に翻弄されているとき 4.『偶然性の問題』九鬼周造著、岩波文庫 自分では変えられない運命をどう受け入れて、人生を切り開いていくか。荘子にも通じるそんな悩みに答えてくれるのが、日本の哲学者・九鬼周造です。日本独自の概念を追求し、「いき」という言葉の分析でも有名な九鬼は、初めて「偶然性」を哲学したパイオニアとしても知られています。 九鬼自身も、人生に悩んでいました。母親が自分を妊娠中に美術行政家の岡倉天心と不倫関係になったことで、二人の父親を持つという運命となったけれど、そんな自分の運命を受け入れられなかった。今でいう“親ガチャ”に外れたと悩んでいたわけです。 彼は、偶然性について哲学するなかで、全ての偶然は無限の可能性の中から奇跡的に起こっているものだと気づきます。つまり、偶然がなければ、存在できなかった物事があるのだと。あらゆる物事は偶然性の産物であり、偶然性があるおかげで不可能が可能になり得るのです。 だからこそ九鬼は、今、手にしている偶然性を運命として愛する「運命愛」が生まれると説いた。こうした論考を通して、最後は、彼自身も自らの運命を愛することができたのです。 偶然に翻弄される人間の運命を呪うのではなく、その偶然を奇跡として積極的に受け入れてみよう――。そんな前向きな視点を与えてくれる一冊です。 ●「なぜ自分ばかり…」とつらくなるとき 5.『エピクテトス 語録 要録』 鹿野治助訳、中公クラシックス 自分の夢や望みがかなわない、自分だけが不幸に感じる――。そんな悩みには、古代ギリシャの思想家・エピクテトスが参考になります。禁欲主義を旨とするストア派の代表的な哲学者で、マルクス・アウレーリウスが師と仰いだ人物として知られています。 彼はもともと奴隷で、不自由のなかで幸福を追求し、のちに解放されてから哲学を究めた人物です。そうした波瀾(はらん)万丈の人生から生み出された言葉には、格別の重みがあります。 エピクテトスいわく、人間を苦しめるものの一つが「欲望」です。私たちは欲望が満たされなければ不幸だと苦しみ、満たされたとしてもむなしさを感じたり、逆に思い上がったりする原因になることもある。 だからこそ彼は、「遠くから欲望を投げかけるな、自分のところにやって来るまで待ちなさい」「欲望は手に届くところからかなえればいい」と戒めます。自分ではどうにもならないものを求めても仕方がないから、今ここでできることに集中する。それにより、心の平穏を保つことができるのだと。 失敗して落ち込んだとしても、腐らずにできることをすることで、事態は少しずつ変わっていくもの。欲望に振り回されがちな現代人の生き方をたしなめてくれる一冊でもあります。 ●思わぬ不幸な出来事があったとき 6.『魂の錬金術――エリック・ホッファー全アフォリズム集』 中本義彦訳、作品社 アメリカの哲学者・ホッファーは「沖仲仕(おきなかし)の哲学者」と呼ばれるように、港湾労働者として働きながら独学で哲学者になった人です。 彼の生い立ちは壮絶で、まさに彼の人生そのものが哲学と言ってもいいでしょう。7歳のときに原因不明の失明し、同時に母親を亡くします。そのため小学校にも通えませんでした。しかし15歳のときに突然視力が回復します。そこで彼は再び視力を失う不安から、貪るように本を読みふけります。そんな矢先、18歳のときに父親も亡くし、貧民街で日雇い労働者に。その後は、港で貨物の積み下ろしの作業をする沖仲仕の仕事をしながら、大量の読書や仕事での人間観察のなかで思索を重ね、日々言葉をつづったのです。 この本は、そんなホッファーの波瀾の生涯から紡ぎ出された珠玉の名言を集めたものです。 2~3行で構成されるアフォリズム(短い言葉)は、逆説や比喩を用いたものも多く、明快な分かりやすさはないのですが、それもまた面白い。彼の生き方が反映された魂の言葉には含蓄があり、来歴を知って読むと、より勇気づけられるでしょう。 例えば「未来にばかり関心を奪われると、ありのままの現在が見えなくなるばかりか、しばしば過去の再編成をしたくなる」という言葉。未来ばかりに気を取られていると、自分の過去すら受け入れられなくなってしまう。つまり、彼が言いたかったことは、未来ではなく今を生きよということ。なぜならホッファー自身が今を生きざるを得ない状況のなかで、試行錯誤をしながら自分を愛する自由な生き方を貫いた人だからです。 なぜ働き、なぜ生きるのか?と悩んだときにもおすすめの一冊です。 取材・文/渡辺満樹子 編集協力/山崎綾 構成/長野洋子(日経BOOKプラス編集部)