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「障害者マーク」は車椅子の方だけが利用しているのではありません~「内なる障害」への無理解~

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
自動車のボンネットに張られた障害者シール(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

 先日、私が某県の小売店で日用品を買い求めて駐車場に帰ってくると、何やらすごい形相で中年男性から「なぜ(あなたは)車椅子ではないのに自分のクルマに障害者マークを貼っているのか!?」と詰問された。要するに歩行して小売店から自家用車に戻る私の姿を見て、「本当は健常人なのに障害者マークを車に貼るのは、詐病と同様であり、マナー違反ではないか!?」というクレームにも似た趣旨であった。

 数年前には、私が公共の「障害者専用駐車場」を利用しようとしたときに、「ここは車椅子専用ですから!」とにべもなく断られて難儀した例もあった。

 私は2018年のこの記事の通り、両親からの無理解や虐待などのストレスが原因で、1998年に重度のパニック障害と鬱を併発して、千葉県から精神障害者3級と認定された精神障害者(約25年間治療中)である。私はくだんの中年男性に、「(私は)障害者なんですよ」と説明して常時携帯している障害者手帳(正式名称:精神障害者福祉手帳)を見せた。男性は釈然としない表情で去っていった。ついぞ喧嘩などにはならなかったが、私はこの中年男性とその背後に存在する「内なる障害」への無理解が、未だ社会にびまんしていることに深く絶望し、筆を執った次第である。

・「障害者」マークはすべての障害者が対象

 結論から言うと、非常に多く誤解されがちだが、いわゆる「障害者マーク(正式名称、障害者のための国際シンボルマーク)」は「すべての障害者を対象としたもの」であり、「身体、知的、精神を問わずあらゆる障害者が障害者であることの意思表示として、車体等に表示してよい」となっている。

「障害者マーク」が露骨にそのデザインで示す通り、「このマークは身体障害者でなおかつ車椅子利用者に限っているもの」と誤解されがちだが、実際にはあらゆる障害者がマーク添付の対象である(日常的な同乗者が障害者の場合であっても良い)。事実、聴覚障害者団体等が、「障害者マーク=車椅子利用者」と社会に誤解を招くので、デザインの変更等を要望した経緯もある。そのため、自動車の後部等に添付するマークには「聴覚障害者標識」が別途定められている(こちらは義務である)が、まだまだ認知の程度は低い。

 精神障害者は、双極性障害、てんかん、発達障害、パニック障害など様々な精神疾病患者を含む。またその等級は、障害の程度が重い順から1級、2級、3級と三種類あり、おおむねそれらの基準は以下のとおりである。

筆者制作
筆者制作

 医師の診断と自治体の認定により「精神障害者福祉手帳」を交付されたものの数は、2018年現在約107万人となっている(内訳、1級=約12万4000人、2級=約63万人、3級=約30万8000人)。人口10万人当たりの手帳保有者は約841人厚生労働者・平成30年度衛生行政報告例の概況)である。

 これはどのくらいの感覚かというと、精神疾患と内科的疾患を比べるのは適当ではないものの、2018年現在における全がん死亡率は人口10万人当たり男性362人、女性243人である(国立がん研究センター統計より、当然この数字は1年単位である)。精神障害者が社会の中に多数存在していることが感覚としてお判りいただけたと思う。

・「障害者マーク」と「障害者専用駐車場」の関係性

障害者専用駐車場(フォトACより)
障害者専用駐車場(フォトACより)

 では社会通念上、一般的に自動車に添付される「障害者マーク」と自動車運転の関係はどうか。症状によっては、運転免許取得の禁忌事項にあたるとして、精神障害者は運転免許交付の対象外になる場合がある。が、私がり患するパニック障害は、その禁忌事項に当たらないため、問題なく免許の取得と更新がなされている。

 では、この「障害者マーク」を添付した自動車の障害者駐車場の利用はどうだろうか。「障害者マーク」は前掲の通り、あらゆる障害者が対象なので、通常「障害者専用駐車場」と呼ばれるスペースへの駐車は、特段の表記が無い限り一般的に認められると解釈して差し支えないだろう。実際、全国各自治体に存在する公共施設の障害者駐車場は、それが「精神障害者」であっても利用できるとされ、更には精神障害者運転車両に対し各種割引も実施されていることから、車椅子利用車両等が先行していない限り、「障害者マーク」を添付した精神障害者が乗車する自動車は、「障害者専用駐車場」の利用が認められている実態がある。

 ここで誤解が生じる。「障害者専用駐車場」は車椅子利用者だけの駐車のために設置されているのであり、精神障害者は移動が困難ではないから駐車するのはマナー違反ではないかー。という声である。しかしここにも、「内なる障害」への無理解・無知が潜んでいる。例えば精神障害者には、「積極的な外出が症状緩和につながる」として国内航空路線や船舶、タクシー、バス等の料金が減免・あるいは免除される例が多い。(例:拙記事「国内線航空路に精神障害割引導入のビッグニュース(2018年)」を参照の事)

 これにより、例えば羽田空港や成田空港、関西国際空港、福岡空港などの付属駐車場では、精神障害者であってもその利用料が身体障害者利用車両と全く同等の「半額」となる措置が採用されている。

 これと同じ理屈で、多くの公共駐車場における「障害者専用駐車場」は、精神障害者であってもその利用が認められるケースが広がっている。なぜなら精神障害者は、一般的に外出に困難をきたし、車移動が専らの場合が少なくないからである。

 例えば私がり患するパニック障害は、電車移動が困難であり(―私に限ってはこの症状は少ない)、「事前に予知できない急激な発作によって、窒息感、麻痺感、動悸、死の恐怖等の激烈な発作が生じる」ことがほとんどである。このような障害者にとって自動車移動は無くてはならない存在である。また私の場合、パニック障害と並行(合併)してアゴラフォビア(広場恐怖)が強く存在するのである。

 アゴラフォビアとは何か。これは「衆目の監視する環境下等で耐えがたい予期不安(発作が起こるのではないか、という恐怖)や発作そのものが発生する」というものである。一説にはテレビやイベント等で露出の多い芸能人がパニック障害にり患するのは、このアゴラフォビア的「衆目の監視」が強度のストレスになるためではないか、ともされている。

 ともあれ私の場合の解決策はとにかく狭い個室(トイレなどが最も好ましい)に逃げ込むことである。こうした状況下で、衆目が監視する広い駐車場の一番奥に自動車を止めたのでは、この予期不安が急激に発生することは火を見るよりも明らかである。よって施設や建物のトイレに通常最も近い位置にある「障害者専用駐車場」は、極めてありがたい存在となる。ちなみに私はこのアゴラフォビアの強い作用により、体育館等の広い場所、例えば東京ドームやコンサート会場、イベント会場には一切立ち入ることができない。立ち入るとたちまち発作が発生するからである。

 もちろん、自車に先行してすでに身体障害者が「障害者専用駐車場」を利用しようとしている場合、それを排除して進入することは良いことではない。概して「障害者専用駐車場」は歩行困難者用に広く作られているから、第一優先されるのはあくまで車椅子利用等の車両である。が、「障害者専用駐車場」を使うのは、身体障害者ばかりではなく、場合によっては十人十色の症状を持つ精神障害者も利用できる、ということは広く認知されるべきである。

・「内なる障害」への無理解は是正されるべき

「内なる障害」への無理解は、今日・昨日始まった事ではない。ほんの5年程前まで、精神障害のカミングアウトは禁忌とされ、私が実体験を以て感じたように、1990年代には精神科受診や、精神科通院そのものに根強い偏見と差別が存在した。前掲した拙記事のように、90年代にパニック障害を発症した私は、両親からの強い差別心により、健康保険証の貸与すら許されず、全く適切な治療を受けられない(受けさせられない)という「虐待」に等しい行いを経験したのである。

 今でこそ芸能人がパニック障害等の精神疾患をカミングアウトすることで社会的認知は高まったが、1990年代には「パニック障害」という言葉自体が社会には知られておらず、単に「不安症」とか「不安神経症」(古くは「驚愕症」とも)と呼ばれた。アゴラフォビアを合併して体育館に入れない私を、公立学校の教職員(公務員)ですら「詐病なんだろ?」とせせら笑うとか、同級生から「サボっている」「楽をしたいだけ」「だらしないだけ」など後ろ指を指されるという、信じられない差別と偏見が存在したのは紛れもない事実である。

 精神障害者は特殊な存在ではない。人口10万人あたり約841人の手帳保有者は、数字的に見ても決して少ない存在ではない。しかし身体障害等とは違って「外見からは」その「内なる障害」の存在は極めて分かりにくく、その結果現在でも社会の中に精神障害者全般に対する無理解や偏見が根強く残っている。

 例えばあなたの周りに、「障害者マーク」を付けた自動車が居ても、それがイコール車椅子利用者である、という私からすればいささか狭窄的な視野をすて、「障害者マーク」には精神障害者を含んだあらゆる事情を持った障害者が運転している事実について、想像力をもっと逞しくしてほしい。そして仮に、「障害者マーク」を付けた自動車ドライバーが歩行可能にもかかわらず、「障害者専用駐車場」を利用していたとしても、脊髄反射的に「マナー違反である」と烈火の如く怒らないでほしい。社会には、「内なる障害」を持つものが少なくない数存在する、という事実への理解が進んでほしいと切に願うところである。

 最後に述べるが、精神障害者の政治的影響力は身体障害者のそれに比して、概して弱い印象を受ける。身体障害者が国会に登院することは当たり前になりつつあるが、精神障害をカミングアウトして国会に登院し、まして「パニック障害専用の座席」が設置されていることは現在皆無である。ちなみにセンター試験では、パニック障害や、それと合併するアゴラフォビアを持つ者に対しての配慮として、現在「別室(個室)受験」が許可されている。こうした動きは少なくとも日本の国政には無い。

 政治家の中には、実際には有権者や後援会関係者には秘して精神障害の治療をしているものは少なくはない。だが「うつ病やパニック障害を公表すると、有権者から怠け者・だらしない、などと判断されて票が減ることを危惧している」と苦笑しながら内々に教えてくれた地方議員の存在を私は知っている。「内なる障害」への無理解の是正は、国政や地方議会など、政治の世界にも強く求められていると感じる次第である。

注意:「障害者マーク」の自動車への添付および精神障害者による「障害者専用駐車場」の利用と、障害者や介助者等が警察に申請して「駐車禁止地域等の駐停車許可証」(正式名称:駐車禁止等除外標章)を交付されるのは別である。ただし例えば東京(警視庁)の場合、精神障害者であっても1級のものは交付が認められている。詳しくはお住いの管轄警察に参照されたい。

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

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