補足こうした議論ではしばしば、自分の命が自分だけのもので、本人の意思が何より尊重されると叫ばれるようになったのはつい最近で、それまでの人間は命は自分だけのものではないと考えていた点が忘れられています。親がなければ自分は生まれておらず、自分のためだけに生きるなら社会は何のためにあるのでしょうか。こころやからだの苦痛は生きる苦痛と重なり、対処行動として死の選択肢を考える気持ちはわかりますが、順番としては身体的精神的苦痛を緩和する試みを駆使することが先で、それを死に取り換えるのは取り返しがつかない分慎重であるべきです。カナダやスイスでは当初厳しくしていた安楽死の条件の緩和に歯止めがかからなくなり、懸念していた通り、どんな理由でもつらいんだったら安楽死という考えが広がってきていると聞きます。自殺予防の観点からは憂慮すべき事態です。
コメンテータープロフィール
1993年筑波大学医学専門学群卒業。 筑波大学附属病院、茨城県精神保健福祉センター、茨城県立友部病院、筑波大学保健管理センターを経て現職。青年期精神医学、災害精神医学、自殺予防学が専門。様々な時事問題に隠れるメンタルヘルスの諸相を、個人と社会の相互関係から考察する。茨城県災害・地域精神医学研究センター部長、日本自殺予防学会理事も務める。著書「つながりからみた自殺予防」など。
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