解説稲村氏が戦っていたのは、斎藤氏の圧倒的な知名度と、コロナ後のデジタル化によって変容する日本の民主主義であったのだろう。 従来の組織を中心とした選挙(アナログな地上戦)ではなく、逆に組織が脆弱なことをSNSを中心とした圧倒的な発信(デジタルな空中戦)によって、この知事選の様相は一変していた。 そうした社会の変化に対して、稲村氏の方は、対応できなかったこともあるだろう。 また、「齋藤かそれ以外か」という選択肢の中で、斎藤氏批判票が割れていることも、大きな敗因の一つだ。斎藤氏と稲村氏の一騎打ちであれば勝機はあった可能性もある。実際、斎藤氏と対立した候補者の票を集めれば、斎藤氏を上回る。 こうした構図をつくれなかった県議会議員にも、責任の一端はあるだろう。
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コメンテータープロフィール
日本政治法律学会理事長。博士(政治学)。日本の政治、選挙、政策変容を中心に、それとの比較で海外の政治変容にも関心を持つ。東京、地方での講義、講演、出演依頼は可能な限り喜んで引き受けている。というのも多様な地域の大学での研究、講義経験や、政治家、ジャーナリスト、研究者、市民からの示唆は、自分の糧であり、その交流は喜びである。国内では静岡大学助教授、長崎県立大学専任講師、海外では英国オックスフォード大学ニッサン日本研究所、オックスフォード大学ペンブローク・カレッジ客員フェロー、ドイツ連邦共和国マンハイム大学客員教授、ノルウェー王国オスロ大学客員研究員等、学会では日本政治学会理事なども歴任した。