見解八咫烏は『古事記』には「八咫烏」、『日本書紀』には「頭八咫烏」として登場してきます。しかし、この段階では「八咫烏=3本足」という情報は出てこず、どういった見た目かは全く不明です。 「八咫烏=3本足」の記述があるのは平安時代中頃の『倭名類聚抄』という辞書です。そこには「陽烏」という中国の伝説の鳥の意味として「三本足の日中(太陽の中)の赤鳥」とあります。そして、その後の解説で「陽烏は日本紀の頭八咫烏かもしれない」と考察しています。 一方、江戸時代の著名な国学者の〈本居宣長〉は『古事記伝』で「元は“八頭烏”で、頭が八つある鳥。八俣蛇(やまたのおろち)の類」と記していているのも面白い点です。 また黒い見た目が定着している八咫烏ですが、元となった陽烏は“赤い”見た目だったんですね。 もしマークの由来だったり「八咫烏=3本足」の説明をする場合は、以上のような成り立ちを含める必要があるのかもしれません。
コメンテータープロフィール
埼玉県熊谷市出身。熊谷高校、立教大学卒。歴史ナビゲーターとして、元芸人の経歴を生かし、明るく分かりやすいトークで歴史の魅力を伝えている。歴史作家としては『ポンコツ武将列伝』『ヘンテコ城めぐり』『どんマイナー武将伝説』など多数の著書を執筆。メディア出演の他、全国各地での講演活動や、歴史系の番組・演劇・ゲームの歴史考証や構成作家を務めるなど幅広く活動をしている。トレードマークは赤い兜(甲冑全体で20万円)で、前立ては「長谷川」と彫られている(特注品で2万5千円)