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岸田浩和

その「ゴミ」はどこへ?―― リサイクルビジネス、アジア市場で拡大中

2018/07/02(月) 09:55 配信

オリジナル

フォークリフトがモーター音を響かせ、巨大な包みを積み上げていく。若い作業員たちが手際よく束をほどいて大量の衣類を引っ張り出す――。マレーシアのジョホールバル。アジア最大と言われるこの古着選別工場には、毎日何トンもの衣類が日本から運ばれてくる。日本では「ゴミ」だった古着がリサイクルされ、新たな価値を生むのだという。こうした資源リサイクルのプロセスは、今や国境を超えている。日常ではなかなか見えてこないその最前線を追い、日本とアジア各地を取材した。(文・丸山ゴンザレス、写真と動画・岸田浩和/Yahoo!ニュース 特集編集部)

「ゴミの回収ではありません」

福岡市東区の住宅地。

歩道に沿って4トントラックが停車した。道路脇には新聞、雑誌、コピー用紙、段ボール、古着などが種類別に積み重なっている。月1回、町内会が集めて出しているという。

トラックの荷台に回収されていく「ゴミ」。すでに荷台で大別されている=福岡市東区

回収しているのは、株式会社「紙資源」の作業員たちだ。同社は福岡市を中心にした資源リサイクルの企業。取材に同行してくれた環境・リサイクル部部長・山内春樹さん(41)によると、インターネットの普及で新聞は一気に減ったという。

「女性誌や週刊誌も目に見えて減っていますね。最近の傾向だと、段ボールが多いです。ネット通販の利用が増えているから」

その言葉通り、荷台に山と積まれた段ボールには大手通販会社名が印刷されていた。Amazon、メルカリ、楽天……。それを瞬時に目視できたのも、住民による「ゴミ出し」の時点で整然と大別されているからだ。不用品なのに、捨てる際にはきちんと仕分けする――。システムとして確立されている資源リサイクルの第一歩はそこにある。

紙資源の常務取締役、大津正樹さん(39)は「この業界は誤解されているんです」と言う。

「誤解されやすい」という業界の現状について語る紙資源の常務取締役、大津正樹さん

「ここで行われているのは『ゴミの回収』ではありません。ときどき、『(ゴミ回収は)行政の仕事ですよね?』と質問されるんですが、『違います。ゴミを回収しているわけじゃありません。そういった業者さんは別のところですよ』と返しています。うちではゴミの焼却は請け負っていませんので。『資源リサイクル』という言い方をしないと(この仕事の実態は)なかなか伝わりませんね」

ゴミと資源リサイクル。一般の人がその違いを意識することは、めったにないかもしれないが、差は大きい。それは「ゴミ」が運び込まれた先でさらに顕著になっていく。

選別、圧縮、そして「塊」にして輸出

東区を後にしたトラックは、博多区にある同社工場に向かった。敷地内の大きな倉庫には、回収物が種類別に積み上がっている。輸出を待っているのだという。

選別されて輸出される「ゴミ」の前に立つ紙資源環境・リサイクル部部長、山内春樹さん

一見、無造作に分けてあるようで、実はきちんとした基準がある。山内さんは「分別に当たっては(取引先の)要望に合わせることも多いです」と言い、こう続けた。

「(例えば雑誌の場合)アイロンプリントなどのシールが雑誌のおまけで入っていると、クライアントから『○月号は除外してほしい』と号数指定で依頼がくることがあります。洗剤や香辛料とか、強いにおいの移った段ボールなんかも(除外の要望が届く)」

この工場で選別された段ボール、古紙、古着などは巨大な破砕機やプレス機に送り込まれる。すると、圧縮されて四角い物体に姿を変えて押し出されてくる。これを「ベール」と呼ぶ。もともとは綿花や干し草などを圧縮して梱包したものに使われていた単位で、古着1ベールの重さは600~700キロ。かさばった荷物は輸送に不向きだから、輸出には圧縮が欠かせない。

段ボールが圧縮・梱包され、ベールが製造されていく

輸出用コンテナにはベールを32個積む。この工場では1日に200個ほどのベールを扱うというから、まさに巨大工場だ。32ベールを詰め込んだコンテナは博多港に運ばれ、海外へ向かう。

前出の大津さんは言った。

「古紙や古着だけじゃなく、粗大ゴミのような不用品なども輸出しています。もともと(日本の)リサイクルビジネスの海外展開は中国への古紙輸出から始まりました。今はタイ、ベトナム、インドネシア、フィリピンなども(当社の)輸出先になっています」

コンテナを積み込んだ巨大な貨物船の前で語る大津さん=博多港

アジア最大の古着選別工場 ジョホールバルで

マレーシア第2の都市・ジョホールバルは福岡市から約4500キロ離れている。コンテナ船で移動すれば、1週間前後。そこにアジア最大の古着の選別工場はある。運営企業「Hong Soon Hung(M)SDN BHD」のCEOはシンガポール人のナイ・スー・トン氏(52)。毎日、シンガポールからここに通う。

ナイ氏は長年リサイクルビジネスに携わり、現在はこの工場を含む複数の会社を経営している。海外視察を繰り返し、古着については「販売ではなく、選別が商売になる」と考え、ビジネスチャンスを見いだしたという。

「選別システムはパリなどに視察に行ったけど、基本的には自分で使いやすいように考えました」

日本から輸入した古着はその状態では「塊」でしかなく、小売店向けにそのまま売ることはできない。ベール単位では量が見合わないうえ、種類も分からないからだ。そこで「選別」という工程が必要になる。ジョホールバルのこの工場は現在1カ月にコンテナ約200個、計約4400トンの古着を受け入れている。この量を全て選別するのだ。

塊として輸入された古着のベール(マレーシアのジョホールバルで)

選別する作業員たちは古着を一瞬で判別していく(同)

いったい、どんな工程なのだろう。

コンテナ内のベールは1階の着荷場からリフトで4階へ。各ベルトコンベヤーの脇に運ばれると、そこで拘束ヒモを切る。選別の品目は、なんと約400種。男性用パンツ(ギャバジン生地)、女性用Tシャツ(コットン)、スカート(ミニのみ)、ベスト(ウエストコート)、着物(浴衣)などのように細かい。そして品目ごとに専門の従業員がいる。

コンベヤーで流れてくる古着を、熟練職人のような動きで次々にさばく従業員たち。種類の違うもの、傷みのひどいものなどをはね、まとまった量になるとダストシュートと同じ構造のパイプを使い、階下へ送る。

作業員たちは日本製のTシャツを身に付けていた

下のフロアでは、同じ種類ごとに再びパッキングし、新たなベールを作る。今度は100キロほどの重さ。「同じデザインのパッケージ(ベール)に統一することで、自社ブランドを確立しています」とナイ氏は言う。

これらの選別はすべて手作業で、工場には実に多くの人がいる。

「従業員は280人です。80人がマレーシア人、200人がインドネシア人。来月にはさらに150人入ります。既に働いているインドネシア人の知り合いや家族が、次々と仕事を求めて来るんです」

取材中、小銭やインスタント写真、紙焼きの写真などが床のあちこちに落ちていることに気付いた。古着のポケットに入っていたものだという。

「小銭には大した価値がないことを従業員たちは知っているんですよ。価値のないモノは全部、床へポイです。従業員が服を1~2枚持っていっても、別にどうってことはありません」

ジーンズをはじめ、人気の商品は種類ごとにまとめていく

「日本製はいい。中国製でも日本経由ならいい」

経営者のナイ氏には、日本製の古着へのこだわりがある。

「デザイン、素材、ダメージなどを総合的に見た場合、アメリカ、中国、韓国などに比べて日本製は品質がいい」

現在の日本で流通する衣類の多くは、メイド・イン・ジャパンではないはず。それなのに、日本製がいい? 「メイド・イン・チャイナであっても、ユーズド・イン・ジャパンだと品質が信用できる」とされ、生産国がどの国であっても日本を経ると価値が出るらしい。

「TOKO HONG YANG」と八つの星。それがナイ氏の会社のブランドロゴ

「ゴミにも地域格差があります。地方の古着は高齢者のものが多いですが、デザインが良くないので売れない。都市部の若者の服がいい。東京と大阪だったら東京のほうがいいね。あと冬物は要らないので、一部は捨てています。でもコンテナの30%は冬物なんですよ」

ナイ氏の取引先は、インドネシアやバングラデシュ、カンボジアなど暑い国ばかりなのだ。

日本で売れないものが売れる

日本からアジア各国へは「粗大ゴミ」も輸出されている。

タイの首都バンコクから東へ約250キロ。サケオ県の幹線道路沿いにひときわ目立つ巨大な店舗がある。日本では「粗大ゴミ」だったモノたちが商品だ。食器が多く、ほかに家具や古着、ぬいぐるみ、楽器。変わったところでは松葉杖、剣道の防具や竹刀、看板、額縁に収められた遺影も並んでいた。

日本から輸入した不用品が置かれる巨大店舗(タイのサケオ県で)

食器類は人気商品。同じ種類ごとに買われていく(同)

日本には「アジアでは何でも売れるんです」と言うリサイクル業者がいた。それを地でいく巨大店舗。店員は「バンコクから業者が来て食器を買っていくことが多い」と言う。飲食店の開店などに利用されるらしい。

ここだけではない。カンボジア国境に近いアランヤプラテートのロンクルア市場には、無数の店舗がある。

移動用のゴルフカートをレンタルして市場内を移動していると、見覚えのあるロゴをあしらった袋が積まれていた。「TOKO HONG YANG」と八つの星が印刷されたベール袋。ナイ氏が経営するマレーシアの工場で作られたものだ。

店主は「日本製だ」と教えてくれた(アランヤプラテートのロンクルア市場で)

店主は「プノンペンから仕入れた」と言う。おそらく、ナイ氏の売り先はカンボジアの首都プノンペンに所在し、そこから別の業者が持ってきたのだろう。仕入れ値は1ベール1万5000バーツ(約5万100円)。1ベールは重さ約100キロだから、衣類がおよそ600枚入っている。

この店では、それを1枚250バーツ(約835円)からで売っているという。

福岡を出て、マレーシアのジョホールバルからカンボジア、そしてタイのロンクルア市場へ。長旅を経た「古着」の価格は、ここで初めて「重さ」単位から「枚数」単位になった。ここがリサイクルビジネスの終着点。この先は消費者に渡るだけである。

店主に聞いてみた。

――ここではどんな古着が人気ですか。

「野球のユニホームで、できればゼッケンが付いたままのもの。サインペンで漢字の名前が書かれたものがいい」

日本では予想もできない品物が、ここでは人気商品になっているのだ。

サインペンで書かれた名前があるユニホームが特に人気だという。「木下」の文字が見える

古紙もアジアで「価値」を生む

福岡の工場でプレスされ、アジアに輸出されるのは、古着だけではない。「古紙」はどうなっていくのか。それを追い、タイの首都バンコクへ足を延ばした。

博多港を出たコンテナは、バンコク南方のレムチャバン港に着く。港湾物流では、タイ最大の拠点だ。福岡市の紙資源によると、タイまでの輸送料は1コンテナ当たり古紙で5万~6万円、古着で10万円程度。その古紙を買った企業の一つは、タイの大手製紙メーカーだった。

バンコクの中心部から車で1時間ほどのバンプー工業地帯。日系企業をはじめ、外資系企業の工場や倉庫が立ち並ぶエリアにその大手製紙メーカーの工場はある。古紙の集積所を見せてもらうと、古紙をプレスして固めたベールには日本語、中国語、英語など複数の言語が印刷されている。

工場の敷地内に輸入された古紙ベールが積まれている=バンプー工業地帯

「この工場では、バラで集まってきた新聞や段ボールを種類別に分けて異物を除去します」

そう説明してくれた担当者は、しかし、この先にどんな工程があるのか、どのようなプロセスで商品にするのかなどについては、「答えられない」と言った。ノウハウの流出を防ぐためだと言い、「会社の名前も出さないでほしいと上層部から言われています」と念押しもした。

タイの古紙仲買人、アナケクル・ジェンキジャパイブールさん(48)によると、タイの古紙リサイクルビジネスでは、原料が足りず、古紙を輸入しなければならない。公益財団法人古紙再生促進センター(東京)の資料では、タイの古紙輸入量は年間約109万トン(2016年)。アナケクルさんによると、その8割は段ボールだという。

アナケクル・ジェンキジャパイブールさん

「日本からの古紙輸入は全体の半分以上、60~70%です。日本の古紙は品質がいい。(再生に不可欠な)繊維がよく残っている。実は、単価では中国やアメリカから輸入する古紙のほうが安いんですが、品質がいいから日本製が人気です」

「ゴミと資源の差」とは……

同じ廃棄物でも、ゴミになるものとリサイクルされるものがある。その差はどこにあるのだろうか。

取材の出発点だった福岡市の紙資源。

前出の大津さんは「捨てられて、別の人の手に渡った時から価値を持つのだと思います。そもそも、回収してきたものを最初からゴミと見ていません。原材料として仕入れている感覚。それを選別してプレスすることで、商品としての価値を高めるんです。われわれは日本から資源を輸出しているという認識でいます」

タイのレムチャバン港に入港するコンテナ船

アジアのリサイクル市場では、廃棄物の輸入大国だった中国が昨年末、プラスチックや未分類の紙など24品目について「ゴミの輸入禁止」を打ち出し、大きな波紋を呼んだ。焼却による大気汚染などの環境悪化を防ぐためとされ、古着や古紙も含まれていた。

それについても、大津さんは心配していない。

「日本ではリサイクルシステムが機能しています。再利用できるものは既に利用されていて、あふれたものを海外に輸出しているにすぎません。余り物がどうなろうとも日本に影響はないんです。中国が買わなくても別に買ってくれるところはあるし、1社の取引規模なんて(世界のゴミ市場では)大した影響はありません。米一粒ぐらいです」

国内で余ったものを海外へ。中国の輸入規制にも対応し、次の売り先の開拓も進む。「エコ」とか「環境に優しい」といったリサイクルのイメージとは異なる、ビジネスヘの旺盛な意欲。それが「ゴミの世界」には生きている。

ジョホールバルの古着屋。日本ではゴミだった服が並ぶ

【文中と同じ動画】


丸山ゴンザレス(まるやま・ごんざれす)
ジャーナリスト・編集者。1977年、宮城県生まれ。國學院大學大学院修了。國學院大學学術資料センター共同研究員。無職、日雇い労働などから出版社勤務を経て独立。現在は国内外の裏社会や危険地帯の取材を続ける。著書に『世界の混沌<カオス>を歩く ダークツーリスト』(講談社)、『アジア「罰当たり」旅行』(彩図社)、『アジア親日の履歴書』(辰巳出版)など。「クレイジージャーニー」(TBSテレビ系)に危険地帯ジャーナリストとして出演中。

岸田浩和(きしだ・ひろかず)
ドキュメンタリー監督、映像記者。光学メーカー、ライターを経て、株式会社ドキュメンタリー4を設立。Webニュースメディア向けの映像取材や短編ドキュメンタリーを制作している。シネマカメラを用いた小チーム撮影と、ナレーションを用いない編集が特徴。2012年の初作品「缶闘記」は5カ国8カ所の映画祭で入賞・入選。近作の「SAKURADA Zen Chef」は、米の「ニューヨークフード映画祭 2016」で最優秀短編賞と観客賞を受賞した。関西学院大学、東京都市大学、大阪国際メディア図書館で映像とジャーナリズム領域の講師を務める。

[取材・文]丸山ゴンザレス
[写真撮影・動画制作]岸田浩和、株式会社ドキュメンタリー4


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