「代理母出産」とは、子どもを望む夫婦が第三者の女性のおなかを借りて妊娠・出産することだ。先天的に子宮がない、あるいは病気で子宮を失った女性が唯一、子どもを持てる方法である。生命を尊重する観点から海外では法整備が進むが、日本に法制度はない。今後、「代理母」をどう考えるべきなのか。法制度が未整備の中、実際にそれを手がけた医師、当事者、反対する人などの意見を聞いた。(ライター・中村計/Yahoo!ニュース 特集編集部)
代理母出産を手掛けた唯一の医師
新宿からJR特急で約2時間半、諏訪湖畔の小さな町、下諏訪。そんな片田舎に日本の産婦人科界で、ある意味、最も有名な病院がある。1976年に開業した諏訪マタニティークリニックだ。
今年で76歳になる諏訪マタの院長・根津八紘医師の言葉には、迷いや逡巡といったものが、ほとんど感じられない。
「目の前に困っている人がいて、その人を助けるための医療技術があるのなら、ちゃんと条件を決めて、その条件に合う人には対応してあげよう、と。それが医者じゃないですか」
諏訪マタには、三つの「国内初」がある。86年の減胎手術(母と胎児の安全のため子宮内の胎児数を減らす手術)、98年の非配偶者間体外受精(卵子・精子の提供を受けて行う体外受精)、2001年の代理母出産だ。代理母出産とは、子どもを欲する当人ではなく、「代理母」と呼ばれる第三者のおなかの中で妊娠・出産する方法だ。
いずれも、国内では暗黙の了解事項として医師たちが自粛していた行為だ。にもかかわらず、根津医師は信念のもとに実施し、国内での道を切り開いた。
減胎手術も、非配偶者間体外受精も、現在は事実上「原則禁止」が解かれ、他の医療機関でも行われている。ただし、代理母出産に限っては、実施を公表したのは国内では今も諏訪マタが唯一だ。
代理母出産という言葉が世間に広く知れ渡ったのは03年だった。タレントの向井亜紀さんと格闘家の高田延彦さん夫妻が、アメリカで代理母出産を経て双子の男児を授かったというニュースがきっかけだった。今年1月には、ニュースキャスターの丸岡いずみさん夫妻がロシアで代理母出産によって男児を得たと発表し、久しぶりに代理母出産が注目を集めた。
ただ、根津医師は、丸岡さんのケースには慎重な姿勢を見せる。
「カルテがあるわけではないので詳細は分かりませんが、もし丸岡さんが一般的な不妊治療の延長で代理母出産されたのなら、私がご対応している患者さんとは違います」
根津医師はこれまで21組の代理母出産を手掛け、14組が妊娠・出産し、計16人の子どもが誕生した。依頼母の21人には共通点がある。それは子宮が欠如しているという点だ。
「先天的に子宮がない人、あるいは病気で全部摘出してしまった人は、夫婦だけでは絶対に子どもをもうけることはできません。そういう方々を、少し強い言葉ですが、私は『生殖障がい者』と呼んでいます。彼女たちは、誰かに妊娠を担ってもらう以外、他に治療の道がないんです」
また、根津医師は、代理母に報酬を支払う「ビジネスとしての代理母出産」にも反対の立場を取る。
代理母出産を請け負うとき、根津医師は、独自の厳しいガイドラインを設けている。「代理母は無償で引き受けてくれる人に限る(03年からは実の母親に限定)」「代理母は健康状態を精密に検査してもらうこと」「生命の危険があるときは、子どもより母体優先を了承すること」等だ。
「代理母出産」を禁止する学会
産科医界で強い影響力を持ち、03年には「会告」として代理母出産を禁止した日本産科婦人科学会(以下、日産婦)は数度、根津医師に厳重注意を与えた。07年から11年まで日産婦の理事長を務めた吉村泰典氏はこう説明する。
「第三者から精子や卵子の提供を受ける場合は、子どもを求める当事者が妊娠・出産する。それに対して、代理母出産は、他人の身体に負担をかける。産婦人科医は分娩のリスクを分かってますから、基本的には賛成できないと思う。私も、自分の遺伝子を残したいがために、他人に命のリスクを負わせていいのかなと思いますね」
海外では倫理的な問題も起きている。1990年代から外国人からの依頼による代理母出産が盛んになったタイでは、オーストラリア人の依頼夫妻がダウン症の子どもの受け取りを拒否するという事例が起きた。同じくタイでは、日本人の実業家が16人もの子どもを代理母出産によって得た出来事も物議をかもした。問題が表面化した国々では規制が強まり、現在、ビジネスとしての代理母出産を認めている国はロシア、ウクライナ、台湾など少数派だ。
諏訪マタのガイドラインではビジネスとしての代理母を行わない方針なので、上記のようなトラブルが発生することは考えにくいが、妊娠出産に伴う「命のリスク」とは無関係でいられない。根津医師も無論、命のリスクを軽んじているわけでは決してない。
「私は代理母出産を推進しているとよく言われるけど、推進はしていない。特別養子縁組も支援しているし、選択肢を増やしたいだけ。民主主義国家なんだから、国がビジネスとしては禁止するなどのルールをつくった上で、一つでも多くの選択肢を残すべきだと言っているんです」
吉村氏も医師のあるべき姿として根津医師を根底から否定しているわけではない。
「やってること自体は認めるわけにはいきませんが、医者として患者のために尽くす姿勢に共感するところもあるんです。彼は名誉のためでも、金のためでもなく、自分の信念でやっている」
実の母を代理母に
諏訪マタで代理母出産を希望する場合、あらかじめ代理母を決めておかなければならないのだが、代理母の方が積極的なケースが多いという。09年に代理母出産で男児・海斗君(仮名)を授かった夏美さん(仮名)のときもそうだった。
夏美さんは1歳のときに子宮に腫瘍が見つかり、子宮を全摘出していた。夏美さんの実母、陽子さん(仮名)が振り返る。
「子どもを持たなきゃ幸せになれないなんてことは一切ないんですよ。でも、娘が子宮を失ったとき、本当に気がおかしくなりそうだった。だから、もし夏美が望むなら、代わりに産んであげたいと。子どもが病気になったとき、代われるものなら代わってあげたいと思うものじゃないですか。それと同じでした」
夏美さんは06年、年上の達也さん(仮名)と結婚する。達也さんは夏美さんが子どもを産めない体であることは了解していたし、夏美さん自身も、子どもを持ちたいとは思っていなかった。
夏美さんが振り返る。
「友だちに子どもが生まれると、どこかで素直に喜べない自分がいたことも確かです。養子縁組も考えたこともあるんですけど、手続きがすごく難しいことを知り、無理だろうなと思っていました。代理母出産に関しては、母(陽子さん)があまりに何度も言ってくるので、そんなに言うんだったら調べてみようかなと。でも、海外で代理出産をするようなお金はなかったし、海外で意思疎通をはかる自信もなかった。そんなある日、根津先生がテレビで会見をしているのを見て、日本でもできることを知ったんです」
夫のアドバイスで、根津医師宛てに思いを綴ったメールを出してみたところ、「お会いしましょう」という返信がすぐ届いた。
陽子さんは、初めて根津医師と会ったときの印象をこう語る。
「子宮を摘出した事情を話すと、先生が『大変だったね……』って泣き出しちゃって。びっくりしました。でも、こんな先生がいるんだって。神様に見えました」
母の体を心配し、決めかねていた夏美さんも、「根津先生なら」と代理母出産に踏み切る決心をした。
代理母出産を行う上で、根津医師は、強制ではないが、将来、なるべく子どもに告知するように勧めている。夏美さんは、海斗君の誕生日のお祝いの席では、決まって生まれたときの様子を撮影した動画を見せ、また、知人にも隠さずに話した。
「この前、海斗が英語塾の先生に『僕、おばあちゃんから生まれたんだ』って話したって言うんです。生まれたときからそう話しているので、この子にとっては当たり前みたいで。隠すというより、むしろ、ちょっと自慢みたいです。でも将来、学校でいじめられたら嫌なので『恥ずかしいことじゃないから隠さなくてもいいけど、みんなとは違うんだよ』と話しました。そうしたら、別に違っててもいいし、それが僕ってことでしょ? みたいな言い方をしたので、強いなと」
夫の達也さんはこう話す。
「代理出産というと、著名人で、お金がある人が海外でやっているというイメージがあるかもしれませんが、そんなことはないんです。近い将来、もっと当たり前になればいいんですけどね」
店ざらしになっている代理母法案
世界を見渡すと、ほとんどの国が代理母出産に関して法律やガイドラインを定めている。アメリカの一部の州やロシアのようにビジネスとして認めているところもあれば、イギリスのように「実費以外の金銭授受がないこと」「依頼夫婦が婚姻関係にあること」といった条件下に限り認めている国もある。一方で、オーストラリアやドイツのように「行き過ぎた生命操作に当たる」という倫理的な理由で全面禁止の国もある。
ところが、日本には法制度が何もない。日産婦のガバナンスが強いため、会告が “法”として機能してきた側面もある。
代理母や第三提供の精子卵子による妊娠出産などの医療分野を「生殖補助医療」と呼ぶ。この分野の法制度化を目指す自民党内のプロジェクトチーム(PT)がすでに法案をつくっているが、国会に提出されるまでには至っていない。
自民党PTの座長の古川俊治参院議員はこう嘆く。
「医師としての責任から、私はこの問題に国会議員になる前から関わってきました。現状、法律ができていないのは私の責任でもあり、国会の怠慢でもあります。法案についてすでに与党の了承は得られておりますが、いまだ全会一致にいたっていません。生命倫理に関わる法律は多数決ではなく、議員立法にして与野党全会一致で可決するのが原則です」
古川議員が手がけた法案は、代理母出産よりもはるかにニーズが大きい第三者による精子および卵子提供の法制化を念頭において練られたものだ。そこさえ突破すれば、代理母出産も段階的に法制化できるのではと考えている。
家族が多様化していく中で
埼玉医科大の医学部産科・婦人科教授であり、『生殖医療の衝撃』の著者でもある石原理氏は、産科医として「代理母出産を勧めることはできない」と断った上で、こう提言する。
「世界的に見ると、家族のバリエーションはどんどん多様化している。そんな中、日本の法制度は、完全に立ち遅れています。そもそも、何の問題もないのに、夫婦別姓すら通らないわけですから。家族の形が多種多様になってきたら、代理母出産も絶対ダメとは言い切れない。例外として、きちんとしたレギュレーション(規則)と医学管理のもと、認めざるを得ないというのが僕の考えですね」
命のリスクは重い。一方で、夏美さんや海斗君の笑顔を眺めていると、家族がこの幸福を追求する権利も同じくらい重いと感じる。どちらを選ぶか――。それを決めるのは、政府でも医者でもない。私たちである。
中村計(なかむら・けい)
1973年、千葉県船橋市生まれ。同志社大学法学部卒。スポーツ新聞記者を経て独立。スポーツをはじめとするノンフィクションをメインに活躍する。『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇』(集英社)で講談社ノンフィクション賞、『甲子園が割れた日』(新潮社)でミズノスポーツライター賞最優秀賞をそれぞれ受賞。近著に児童書の『王先輩から清宮幸太郎まで 早実野球部物語』(講談社)がある。趣味は演芸鑑賞、京都旅行、ボートレース。
[写真]
撮影:長谷川美祈
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝
(最終更新:2018年4月6日17時00分)