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八尋伸

ニュータイプからレトロまで――銭湯じわり復活の最前線を歩く

2017/07/26(水) 10:07 配信

オリジナル

夕暮れどきの商店街を抜けて、容器に入れたせっけんをカタカタ言わせながらのれんをくぐる。大きな湯船、少し熱めのお湯。湯上がりに特大の扇風機の風に煽られながら飲むフルーツ牛乳の味は格別だった。いま都内で銭湯が静かに復活している。近ごろまた銭湯に通い始めたコラムニストが、湯船に肩までつかりながらその魅力を考えた。
(コラムニスト・石原壮一郎/Yahoo!ニュース 特集編集部)

散歩途中で発作的に入浴する

都電荒川線の小台停留所(荒川区)から続く昔ながらの商店街をぶらぶら歩いていて、いきなり白い壁に小さな窓が並んだ2階建ての建物が現れた。「梅の湯」と書かれた看板やお風呂マークののれんがなかったら、とても銭湯には見えない。ここで「最近の銭湯は、こんなことになっているのか!」と驚かされたのが、元をただせば今回の取材のスタートである。

66年前に創業、去年の秋に大きくリニューアルした。ポップなウエルカムボードを書いているのは、3代目の栗田尚史さん(撮影:八尋伸)

発作的に、いきなり入浴。のれんをくぐって靴を脱ぐと、なんとエレベーターで2階に上がる仕組みである。自動販売機で入浴券(460円)を買ってフロントに出す。最近はカウンター形式が主流で、男湯と女湯の脱衣所が見渡せる番台スタイルの銭湯は少数派だ。

無料シャンプー・ボディーソープ常備。タオルのレンタル(有料)もあるので、手ぶらで訪れても大丈夫だ(撮影:八尋伸)

新しくてきれいなお風呂の中には、サウナにジェットバスに薬湯、空を眺められる露天風呂もある。風呂上がりにフロントで地ビールが飲めたのも、予想外の嬉しい展開だった。

億単位のお金をかけてリニューアル

受付フロントにいたのは、栗田尚史さん(34)、「梅の湯」の3代目である。

「もともとサラリーマンをしていたんですが、実家の仕事の方が自分のアイデアで経営を変えられるし、街の人の役に立っている実感も得られる。そう思って、7年前に会社を辞めました」

左から、栗田さんの叔母の北原美子さん、祖母の北原花子さん、栗田さん、母親の栗田京子さん。(撮影:八尋伸)

「梅の湯」の創業は1951年。施設の老朽化で改修工事が必要になったのを機に、全面的な建て替えを決心。億単位のお金をかけて、2016年9月にリニューアルオープンした。

「建て替えるにあたっては、今の銭湯に何が求められているのか、若い銭湯ファンに意見を聞いたり、人気のあるスーパー銭湯をめぐったりしました」

のれんに描かれた梅の花をあしらったロゴマークは、若いデザイナーに「銭湯っぽくないもの」を依頼してデザインした。

リニューアルオープンの際に作ったオリジナルTシャツ。予想外の大人気だとか(撮影:八尋伸)

ヨガ教室やプレゼント企画など、まずは銭湯に足を運んでもらうイベントも頻繁に企画し、7年前に始めたツイッターでそのつど告知している

来客は以前の2倍に

リニューアルやイベントの効果で、若い女性のひとり客、深夜の会社帰りのサラリーマン、週末のファミリー層など、今まではなかった需要を掘り起こした。平日、週末ともに以前の2倍の客が訪れるという。

「僕は、銭湯には地元のコミュニティーの核になる力があると思っています。将来の理想は、好きな銭湯があるからこの街に引っ越してきたっていう人が増えてくることですね」

「梅の湯」のフロント。右の壁に飾られたカルタ絵は、以前の建物の天井にあった創業以来の名物(撮影:八尋伸)

さらに調べていくと、都内各地では「梅の湯」のような「ニュータイプ銭湯」が続々と増えていることがわかった。

SNSの広がりも、銭湯の人気復活を後押ししている。

たとえば、東京都公衆浴場業生活衛生同業組合(以下、東京都浴場組合)が2015年4月にスタートした「銭湯サポーター(公式)」のフェイスブックページには、7月24日現在で3076人が参加。「あの銭湯に行ったら、大量のマンガ本があった」「この銭湯ではペンキ絵のイベントがある」など、熱い情報が盛んに交換されている。

銭湯大使になったフランス人元留学生

銭湯ジャーナリストのコロイン・ステファニーさんは、フランスからの元留学生。銭湯への深い愛とSNSを通じた熱心な活動が認められて、2015年12月に日本銭湯文化協会から第一号の「銭湯大使」に任命された。

「銭湯に本格的にハマったのが、2012年に働くために再来日したときです。仕事にも日本の会社の習慣にも慣れなくて、帰りたいと思ったときに、ふと留学生時代に通った銭湯のことを思い出したんです」

コロイン・ステファニーさん。フランス生まれ。リヨン大学で日本文学を専攻し、2008年に交換留学で来日。立教大学で学んだ(撮影:八尋伸)

「久しぶりに行ってみたら心も体もすごく癒やされて、お店の人やお客さんもあたたかくて、ああ、ここが私の居場所だと感じました。銭湯に行くという楽しみがあったから仕事も続けられました。私は銭湯に救われたんです」

これまでに行った銭湯は、およそ700軒。ツイッターインスタグラム、ブログ「Dokodemo Sento」を駆使して、日本語、英語、フランス語で銭湯情報を日々発信している。

女性&外国人の視点で銭湯の魅力を紹介した著書も、9月中旬に出版される。

撮影協力は足立区関原の「堀田湯」。男湯と女湯が毎週入れ替わり、一週ごとに露天風呂が楽しめる(撮影:八尋伸)

ただ、話題は多いが、データを見ると銭湯をめぐる環境はなかなか厳しい。

都内の銭湯はピーク時の4分の1

東京都浴場組合によると、東京都内の銭湯がもっとも多かったのは、1968年で2687軒。以後は減少の一途をたどり、2017年7月21日の時点で580軒と、4分の1以下になった。全国でも、ピークだった1968年には1万8000軒ほどあったが、2015年度末で4000軒程度にまで減少している。

トップ画像にも登場した江戸川区北小岩の「鶴の湯」。脱衣所の格天井(ごうてんじょう)と漆喰の白壁も宮造りの特徴(撮影:八尋伸)

減少した理由は関係者の話を総合するとおもに3つあるようだ。

ほとんどの家に内風呂があって銭湯の需要が減ったこと。

深夜にまで及ぶ長時間労働や将来に対する不安から、後継者がなかなか見つからないこと。

毎日大量の水やお湯を使うだけに施設が老朽化しやすく、だいたい20年ごとに大規模な改修のための多額の費用が必要になること、である。

いま集客に成功している銭湯は、この「3つのハードル」に果敢に挑戦している。東京都浴場組合の理事長を務める近藤和幸さんは、まず経営者の意識が変わったという。

銭湯といえばフルーツ牛乳。子どものころはたまにしか買ってもらえなかったが、だからこそおいしさも格別だった(撮影:八尋伸)

「かつての銭湯はお客さんが来るのを待つだけでした。今はサービスの向上やイベントの仕掛けなど積極的に動き始めています。たしかに銭湯の数は減っていますが、少数精鋭で企業努力を積み重ねています」

後継者不足も、冒頭に紹介した「梅の湯」のように、若い人たちが進んで継ぐようになってきた。大胆なリニューアルで、次々と「銭湯らしくない銭湯」をオープンさせている。

経営を支える銭湯専門の金融機関

資金面では、東浴信用組合の存在が大きい。同信用組合は浴場組合を母体にして銭湯専門の金融機関として90年の歴史を持つ。融資部部長の山田博史さんは、こう話す。

「どうすれば銭湯を続けられるか、きめ細かくご対応させていただいています。貸付先はいわば身内ばかりですから、延滞も貸し倒れもいっさいありません。審査もスピーディです」

「梅の湯」の脱衣所には、昔から使っている体重計(撮影:八尋伸)

最近は、銭湯ファンが東京都浴場組合に「銭湯をやってみたい」といって電話をかけてくることもある。東京都浴場組合としては、廃業しようと考えている銭湯の相談に乗って、東浴信用組合とも連携しながら、やる気のある人に経営を任せる道も探っている。

開店を待つ「梅の湯」のカランと手桶。設備は変わっても、お湯のあたたかさは変わらない(撮影:八尋伸)

戻り始めた客足

こうした努力に、目に見えた効果も上がってきた。1日当たりの客足が増えてきたのだ。

東京都浴場組合の資料によると、都内の銭湯1軒あたりの1日の平均入湯者数は長く減少傾向が続いていたが、2013年に119人で底を打ち、2016年には127人まで戻した。銭湯の健全経営のためには1日200人の来客が必要と言われ、楽観できる状況ではない。しかし、上向きのベクトルに転換したことは、関係者を大いに勇気づけている。

銭湯にはなぜ、牛乳が付きものなのか。一般家庭にまだ冷蔵庫が普及していなかった昭和30年代、銭湯には最新の冷蔵庫が置かれていることに目をつけた牛乳屋さんが、商品を並べてもらうことを思いついたと言われている(撮影:八尋伸)

都内の銭湯を入り歩いたり銭湯ファンに話を聞いたりする中で、昔ながらの銭湯、いわば「レトロ銭湯」の人気が復活している気配も強く感じた。

「鶴の湯」の脱衣所から続くウッドデッキ。正面のロッカーには、常連さんの風呂道具がキープされている(撮影:八尋伸)

レトロ湯に通う女子大生の理由

江戸川区の「鶴の湯」は、二重の千鳥破風や漆喰の壁など「これぞ銭湯」を体現した懐かしい佇まいだ。

かつて東京の銭湯は、このような寺社仏閣を思わせる「宮造り」の建物が多かった。関東大震災後にみんなの元気が出るようにと、宮大工の技術を駆使して豪華な建物を競うように建てたのがルーツだという。

「鶴の湯」の創業は1956年。店主の中山光雄さん(68)は、妻のれい子さん(67)の父親が体を壊したことをきっかけに、40年ほど前にお店を引き継いだ。

「鶴の湯」の店主・中山光雄さん。「まさか風呂屋になるとは思わなかったけど、いやあ、やってみると楽しい仕事だったよ」(撮影:八尋伸)

「正直、やめようと思ったことは何度もあります。二十数年前に近所の銭湯が2軒いっぺんになくなってお客さんが増えた。自分がここにきて風呂屋になったのは、この建物を長く残すためなのかなって思ってるよ」

日曜日の夕方、近所のグラウンドで部活を終えたジャージ姿の女子大生の集団や、自転車でやって来たお年寄り、都外ナンバーの車で来た家族連れなど、さまざまなお客さんがのれんをくぐっていく。

オリジナルの桶と、おなじみの「ケロリン」の桶もある(撮影:八尋伸)

「めっちゃカッコイイ建物だし、今まで銭湯って行ったことなかったけど、気持ちよくて大好きになりました」(女子大生)

「家にもお風呂はあるんだけど、ひとりで沸かすのももったいないじゃない。ここに来るとお友達に会えるしね。もう50年ぐらい通ってるかしら」(70代女性)

番台に座るのは、中山さんの妻でれい子さん。お金や回数券を受け取りながら、顔見知りのお客さんと「今日は早いじゃない」「あら久しぶり」などと言葉を交わす(撮影:八尋伸)

「若いときから番台に座っているけど、何十年も前に親に連れられて来てた小さい女の子が、お嫁に行って子どもを産んで、里帰りしてきたときに親子で来てくれたりすると、ああ、銭湯やっててよかったなって思うわね」(れい子さん)

銭湯研究の第一人者であり、庶民文化研究家の町田忍さんは、「銭湯のファンになるなら、今は絶好のチャンス」だと言う。

このタイプのシャワーはいきなり全開にせず、最初は小出しにして温度を確認するのが、思わぬ悲劇に見舞われないコツ(撮影:八尋伸)

「モダンで豪華な設備の銭湯が次々に出てきた。レトロな銭湯も、まだかろうじてがんばってくれている。幅広い種類の銭湯を楽しめる貴重な時代ですよね。そもそも銭湯は、商売として800年ぐらいの歴史があります。長い目で見れば今は時代の転換期で、新しい銭湯が登場する時代に入ったってことじゃないですか」

ひょんなことから始めた銭湯取材だが、レトロ銭湯の浴室に入ったときに、赤と青のレバーを押す懐かしい形の蛇口や、木の札がカギになっている下駄箱に、忘れていた子どものころの記憶が次々とよみがえってきた。銭湯に連れて行ってくれた父親の背中、友達と交わした他愛ないけど宝物みたいな会話……。

銭湯は「心の故郷」としてのあたたかさも持ち合わせている。

好きなプロ野球選手の背番号と同じ番号を、友達と取り合った思い出を持つ人は多いはず(撮影:八尋伸)


石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。月刊誌の編集者を経て、1993年に『大人養成講座』でデビュー。以来、『大人力検定』『大人の言葉の選び方』など、大人をテーマにした著書多数。最近は、東京のまったく知らない街をスマホに頼らずぶらぶら歩いて、ピンと来た店に入ってみたり、見つけた銭湯に入ったりする大人の迷子旅にはまっている。

[写真]
撮影:八尋伸
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝

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