伊藤圭

「みんなと一緒がカッコいい、という世界は変わる」りゅうちぇるが先導する“個性”の未来

3/24(金) 8:04 配信

「中学までは自分の事、大っ嫌いでした。でも高校からは、SNSのおかげで自分を表現するのが大好きになったんです」

時折「うふふ」と笑う高い声。くるんと上がったまつげが、瞬きのたびにはたはたと上下する。が、ふわりと軽いまつげの奥にある瞳はこちらが戸惑うほどにまっすぐで、捉えられたら最後、逃れることはできない。

「可愛いものが好きだけど、恋愛対象は女の子。自分でも自分のポジションがわからなかったし、周りも扱いにくかったと思います。でも、自分自身をずっとアピールし続けるとそれが文化になるというか、世の中にとって当たり前になってくるものなんですよね」

りゅうちぇるというひとりの男の子から伝わってきたのは、夢を信じ抜く力だった。彼の話は、価値観や流行りが次々に変わりゆく時代の中で、私たちがどのように生きるのかという深いテーマにまで迫っていた。(取材・文=さえり 写真=伊藤圭/Yahoo!ニュース編集部)

憧れたのは芸能界ではなく、原宿という街

ここ1、2年で急激にその人気を集めてきたりゅうちぇる。ニホンモニターが発表した「2016タレント番組出演本数ランキング」によると、2016年の出演数は250番組。ブレイクタレント部門第3位に入るほどの多忙ぶりだ。休みがほとんどなかったという彼は、「2016年のことは……正直、ほとんど覚えていないんです」と申し訳なさそうに笑っていた。

「テレビの世界のことって全然わからなくて、俳優さんや芸人さんたちのお名前もイチから覚えました」

彼が憧れていたのは、テレビの中で活躍する人々でも高級な暮らしでもなかった。彼を強烈な力で惹きつけたのは、東京にある“kawaii”街、原宿だ。

高校卒業とともに「自分が浮かない場所があるなら」と、原宿への強い憧れを持って上京した。カリスマショップ店員になって、いつかは社員になれたら。そんな未来を描いていた。

だが彼の「ショップ店員人生」は大きく変わることになる。当時既にカリスマ読者モデルとして有名だったぺこの“彼氏”として出演した『行列のできる法律相談所』で、明石家さんまという大御所芸人を目の前にしてまったく緊張せず、それどころか一緒に「建築関係トントントン」というフレーズを生み出した。これがブレイクのきっかけとなった。

テレビに出演するようになってから約2年。出演前には約2万人だったTwitterのフォロワー数は、今では100万人を超える。

テレビは仕事ではなく「ちょっと目立つデート」くらいの感覚でいた彼の心を動かしたのは、熊本地震直後の番組だ。番組放映から3秒後にはSNSに被災地の方から「りゅうちぇるのおかげで元気が出ました」「地震後、はじめて笑顔になりました」という反響が続々と届いたのだ。

「そこではじめて僕がテレビに出ることが誰かの元気に繋がっているんだって思えて、テレビのお仕事も頑張れるようになりました」

原宿のアパレルショップで働くカリスマ店員に憧れていた少年は、こうして瞬く間にお茶の間のアイドルにまで駆け上がっていった。

“おうじさま”になるための道が塞がれていた中学時代

1995年9月。りゅうちぇるは5人きょうだいの末っ子として生まれ、高校を卒業するまで海に囲まれた小さな島で過ごした。彼の動き、喋り方、声。それらすべてが、思春期の子どもたちの間では「男っぽくない」「周りと違う」とからかいの対象になっていた。

自分の好きなものさえわからなくなるほどに物や情報に溢れた時代のなかでも、彼は自分の「好き」や「なりたい」をしっかりと掴みながら大きくなった。ただ、それらは意図せず“みんなと違う”ものだった。小学生の頃にはすでに“ちぇるちぇるらんどのおうじさま”になりたかったのだという。

なりたい自分になることで人はキラキラできる……。彼にはそうわかっていた。でも、なれなかった。友人の目や笑いが、“おうじさま”になるための道を塞いでいた。

夢を手放すのは簡単だ。周りに合わせて、無難な道を選べばいい。けれども、彼は諦めなかった。週末になれば化粧をしたりおしゃれをしたり。彼は人知れずひっそりと、けれど強烈な力で夢を見続けていた。

魔法使いが助けてくれない現実世界で、“おうじさま”になりたい彼は一体どのようにシンデレラストーリーを紡いだのだろう。

「結局、自分を押し殺すことに疲れちゃったんです。どれだけ押し殺しても、結局ちょっとはみ出しちゃってからかわれるし、それに何より、そんなふうに過ごしてるのが超つまんなかったし。だからもういいやって」

高校に合格した瞬間から「高校では、自分がなりたい自分の姿で生きてみよう。もう押し殺さない」と決意した。彼は自分で、決意という魔法をかけたのだ。

自分の夢を現実に持ち込む一歩に選んだのは、Twitter。自ら「りゅうちぇる、ちぇるちぇるらんどのおうじさま」と名乗った。2012年、16歳の時のことだ。すでにTwitterでは個性的な自分をアピールする人も増えていた。彼にとってもまた、SNSは「なりたい自分」でいられる舞台だった。

だが、現実では高校入学前から「変な奴がいる」と話題になってしまった。あっけらかんと話す彼だが、当時のことを振り返ると「んー」と声を漏らしながら目を伏せてこう言った。

「やっぱり、入学初日は緊張しましたし、ちょっと怖かったです」

「でも、もう堂々としていたので、いじめられることはなかったですね。“ちょっとやばい奴”だとからかわれたりするんですけど、“マジでやばい奴”ってもうからかわれることもないんですよね(笑)」

人知れず膨らませた「なりたい姿」は、頭の中からSNSへ、SNSから現実へとなだれ込んで行った。

「SNSのおかげですね。自分を表現する場所になってくれて、本当に助けられました」

どれだけ忙しくなった今でも、1日最低1回の投稿は欠かさない。

「個性」が人に迷惑をかけているという恐怖

このまま順風満帆、我が道を行く……のではなく、彼の前にもう一度困難が立ちはだかる。

「周りから、『ぺこりんの彼氏、ちょっと変じゃない?』って言われるようになったんです。そのころ既にぺこりんは有名人だったので、そこではじめて『ありのままでいることが、人に迷惑をかけることもあるんだ!』と思ったんです」

「自分が好きな自分であろうとすることで、自分にとって最も大切な人を傷つけているのではないか?」という恐怖は、自分自身がからかわれている時とは比べものにならなかった。それからというもの、わざと低い声で喋って男らしさをアピールし、SNSのプロフィールには「元ヤンキーでした」とも書いた。再び自分を偽る辛い時期がやってきたのだ。

彼は、そんな状況を一体どのように打破したのだろうか。

「ぺこりんと一緒にテレビに出演する機会があったんですけど、僕の登場した場面が全部カットされてしまったんです。それをぺこりんに言ったら、『そんなん、素を出さんからやん。普通になったってなんもおもろくない。うちが好きになったりゅうちぇるはそんなりゅうちぇるじゃない!』って言われちゃって。

それから一気に視界がクリアになったんです。自分の来た道でぺこりんみたいな大切な人に出会えたんだから、また自分らしく生きてみよう。きっと、人にも恵まれるし、もっと自分を大好きになれると思えたんです」

ぺこの一言は、彼の人生に再び魔法をかけた。愛する人からの言葉は、彼がこの先ずっと自分らしくいられる何よりも強い魔法となった。

そしてその出来事の翌日が実は、先述した『行列のできる法律相談所』の収録日。ぺこの言葉を受け、自分が好きな自分をさらけ出したおかげで、明石家さんまの目に留まったのだ。

「僕の真似じゃなく、自分のスタイルを貫いてほしい」

これからはテレビにこだわらず、歌や世界観を作る仕事をして、自分を貫くスタイルを世の中に見せていきたい、と言ったその顔にもう迷いはない。

毎日のようにSNSには「りゅうちぇるに憧れて真似をしました」というコメントが届くと言うが、彼は口を尖らせて言う。

「僕を真似してほしいんじゃなくて、その人自身の個性を出してほしいんです。自分を理解して自分を愛してあげる。それが一番大切だから、『自分の個性を大切にして』って思って、テレビに出てるんです。それが伝わらなくなったら、僕がテレビに出る意味はない」

「協調性も大事だし、ルールは絶対に守らなきゃいけない」とも強調したうえで、「でも、たとえば休みの日だけでもいいし、誰もが輝ける瞬間をみつけて、自分を出していける世の中になればいいなと思うんです」と彼は語る。

「まだまだ“みんなと一緒”がカッコいいと思われることが世界かもしれないけど、だんだんいろんな人たちの個性が出てきて、変わりつつあるので。僕自身も、自分と世の中を信じてよかったなと思っています」

自分を信じ、夢をみつづけた彼は、いま夢のさなかにいる。

「どうしたら、日本を僕の色にしていけるかなと思っています」

自分のなりたい姿を叶えた彼はいま、「作りたい世界」を夢みている。

夢を現実に作りだす強さが彼にはある。一人ひとりがいまよりももっとキラキラと輝く世の中が、きっと彼の目にはもう既に映っている。

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