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伊藤圭

「ロボットを着る」とは?世界が注目する22歳が導く「ロボット×ファッション」の答え

2016/09/09(金) 12:45 配信

オリジナル

「高校生の頃から、ファッションはテクノロジーに近づいてお互い刺激しあうべきだと思っていました」

そう語るのは「メカを着る」ことを目標にファッションとしてのウェアラブルロボットの開発を進める、ロボティクスファッションクリエイター・きゅんくん。彼女は大学で機械工学を学びながら作品を制作し続け、国内外で注目を集めている。

2014年に「TOKYO DESIGNERS WEEK」の「スーパーロボット展」にて招待展示、2015年にはテキサス州で開かれる音楽と技術の祭典「SXSW2015」にてアーム型ウェアラブルロボット「METCALF(メカフ)」を発表。

同シリーズの作品はAKB48単独公演のステージ上でメンバーに装着されたことでも話題となった。オーストリアでのアートイベントにも招待され、フランスでの作品展示も成功、海外からの評価も高い。

model: 近衛りこ photo: 萩原楽太郎

公開された新作『METCALF clione(メカフクリオネ)』の映像には、ブルーの装飾が施されたアクリル板のアーム型ロボットを背負い、女子高生が街中を歩いていく様子が映っている。

設計から組み立てまできゅんくんが手掛けたこの作品は、『動く』こと以外の機能を一切持たない。運動量の計測や通話ができる最新のウェアラブルデバイスが売り出される中、なぜあえて機能を無くしたのか。

「大学に入ってから『Wearable(ウェアラブル=身につけられる)』という言葉を知って、それが私のつくりたかったものなのかどうかも考えました。でも、世間一般で言うウェアラブルデバイスって、私のつくりたいものじゃなかったんです」

自分のことを「アーティストではなくエンジニアだ」と言うきゅんくん。彼女が「ロボティクスファッション」を生み出すようになった背景を探った。(ライター・相羽クルミ/Yahoo!ニュース編集部)

撮影:伊藤圭

被服部でジャンク品を解体していた高校時代

きゅんくんこと松永夏紀は、1994年生まれの22歳。子供の頃に好きになったものは『鉄腕アトム』だった。

手塚治虫ファンだった父親の持っていた漫画を読み、ロボットの開発者に憧れた小学生時代。博物館に売っているロボット工作のキットで遊び、中学生の頃には自分で部品を買ってきて電子工作をするようになったという。

そんなロボットづくりへの熱がファッションにも向けられたのは、中学から高校にあがる頃だった。

「ゴシックやロリータのファッションに興味を持って。そういう服は自作する人も多くてものづくりと近いところにあったので、今度は服づくりにも気が向いたんです」

高校入学後、ファッションコンテストのチラシを見つけ先生に「応募したい」と言うと「学校単位で参加するものだから応募したいなら被服部に入って」と言われ入部した。

作品としての服をつくるうえで自分が何を表現したいのか考えた結果、ずっと好きだったテクノロジーを表現したい、と思い立ったという。「他の皆は布縫ってるのに、私だけ友達とジャンク品解体して服にくっつけたりしてて」と笑った。

この頃からすでに、メカを着る「ロボティクスファッション」がテーマの作品をつくり始めていた。

同時に写真部の友人に誘われ、中学時代のあだ名「きゅんくん」を名乗ってネット上で写真のモデルとしても活動を始める。

「高校生の頃はアートを見るのが好きだったけど、私はアーティストみたいに絵を描いたりしたいわけじゃなかった。そうじゃなくて、テクノロジーを使ってアーティストを助けたいと考えてました。そこで『助けてほしい』って思ってもらえるような人になるために、まずは自分の中で完結させて作品をつくってみようと思ったんです」

撮影:伊藤圭

余計な機能はなにもない、ただ「着られるメカニック」の意味

ロボットをつくる技術を学ぼうと大学へ入学。高校時代に得た洋裁の知識と掛け合わせ、実際のメカニックを組み込んだ「ロボティクスファッション」の制作に取り掛かる。

そして2014年、『失楽園』の物語をテーマにした背負う形の「PARADISE LOST」を公開。電子工作、金属加工、洋裁とすべての工程を自分で手掛けつくりあげた。

制作中は徹夜することもあり、体力を使い果たして家では寝ているだけになる。それでも「つくっている時が何より楽しい! ここが動かない。でも納期もある。って壁にぶち当たってる時が一番楽しいんです」。子供のように嬉しげだ。

model: しらい photo: 荻原楽太郎

設計時に重視するのは着た時のシルエット、そして着心地と軽さ。ハイテクな機能はあえてつけない。その理由とは。

「機能よりも、“メカニックを身につける”っていう方に重点を置いた方が、生まれてくるものが必ずある。大学に入ってウェアラブルデバイスについて考えていたとき、もしかしたら機能だけが大事ではないのかもしれない、と思って。コンピューターですらない、もっと機械的なものを身に着けることに価値があるのかもしれない。そういう可能性を生み出して、自分で実際につくったらどんなことが起きるのか、着た人がどんなことを感じるのかを見てみたいと思って始めたんです」

人を助けるためなど目的や機能をもったウェアラブルロボットは、きゅんくん以前にも制作例があった。しかし、あくまでファッションとして“着られるだけ”のロボットの可能性を模索し続けているのが、彼女の作品の特徴だ。

「ここまで自分の作品が周りに受け入れられるとは思っていなかったんです。でも今ファッションとテクノロジーは近づきつつある分野。メイカーズムーブメントのおかげで生まれた技術へのとっつきやすさにも恩恵を受けているので、ありがたい時代に運よく生まれてきたなといつも思っています」

撮影:伊藤圭

きゅんくんが夢見るロボティクスファッションの未来

現在、きゅんくんが「METCAF clione」の展示で参加しているのが、新宿伊勢丹のTOKYO解放区で行われている「未来解放区万博 〜デザインとテクノロジーは、私たちの未来を変える!?〜」。テクノロジーとの関係が深いファッションブランドのVRショッピング体験の実施や展示が行われている。

今回のイベントテーマとして、「大きな時代の流れの中で、今この瞬間、ファッション×テクノロジーにはこういうものがあるんだよ、っていうことを表現したい」と語るが、人々が日常的にロボットを着る未来はいつか来るのだろうか。

「ロボティクスファッションを全員が装着している未来はある意味多様性に欠けるので、あまり肯定したくない。いろんなデバイスを色んな人が身に着けている未来が面白いですよね」

作品の世界観を固定させず多様性を持たせようと、以前のように自分が作品のモデルをするのは意図的にやめているという。ではきゅんくんの未来はどうなるのか、もうすぐ大学を卒業する彼女に尋ねてみた。

「あまりスケールの大きい話は得意じゃないんです(笑)。着実にひとつずつ、工程を踏んでつくっていくのが得意なので……。でも、つくれる環境にいることが一番大事。つくれなくなるのが一番イヤ。元々やりたかったのは産業用ロボットの開発なので、大学院に進んでからの就職も考えてはいます。ただ、自分にしかできないと思うことは他にもあるので、それをやるべきなのかなとも思います。まだ模索中ですね」

「メカを着る」、その目標は高校生の頃から一貫して変わっていない。エンジニアの仕事についても服づくりやアートには関わっていたいと言うきゅんくん。

テクノロジーとファッションの新たな可能性を求め、今日も彼女はロボットに向き合い続けている。

model: しらい photo: 荻原楽太郎

きゅんくん

1994年生まれ。ロボティクスファッションクリエイター。機械工学を学びながらファッションとして着用するロボットを制作。金属加工、電子工作、洋裁など全て自身で手がける。TOKYO DESIGNERS WEEK 2014企画展「スーパーロボット展」やSXSW2015などで作品を発表。

編集協力:プレスラボ

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