テレビで頻繁に顔を見るわけではない。しかし、ネット上では毎日のようにその名前が流れ、その発言が話題となる。今の時代らしい存在感を放っている異色のタレントといえば、彼女かもしれない。タレント・フィフィだ。
2005年に芸能活動を始めた当初は“面白外国人”としてバラエティー番組を賑わし、その気さくなキャラクターと歯に衣着せぬ物言いが支持を集めた。エジプト人の両親を持つ外見から生粋の外国人と思われがちだが、2歳から名古屋で育った。国籍はエジプトだが、むしろ“日本人”としての生活感覚が染みついている。
「名古屋に25年住んでたから『ケンミンSHOW』に呼ばれてもいいくらいなんだけど(笑)。日本のことちゃんと知るんだったら首都に一度は住まないと、と思って、結婚と同時に上京したらテレビに出ることになって。派手な顔立ちだからすぐに顔が割れちゃって、すごく恥ずかしかった。私、本当に普通の庶民だから」
ツイッターフォロワー数は23万5000人を超え、デビュー年の2005年から書き綴るブログの内容は、公開直後にメディアが引用記事として拡散するということが頻繁に起こる。そして、それらのタイトルに踊るのは、「苦言」「非難」「一喝」「疑問」といった用語だ。取り上げる題材は、ワイドショーで話題になる社会問題から、芸能、スポーツ、そして国内外の政治。彼女は何にも恐れず、「これっておかしくない?」というストレートな疑問を放つ。
なぜ彼女はネットで“怒る”のか。本人はネットで発信する活動に込めた思いを語り始めた。(ライター宮本恵理子/Yahoo!ニュース編集部)
「私、もともとジャーナリストになりたかったんですよ。日記を毎日欠かさないほど文章が好きな子どもだったし、10代から『Newsweek』や『TIME』を読んで、勝手に記事の感想文を書くのが趣味だった。実は大学3年の時に『AERA』の学生向けの記者セミナーに参加したこともあるの。“右寄り”なんて言われている私が朝日の記者になっていたかもっていう話(笑)」
その後、アメリカに留学。そこで徹底的にディベート教育を叩きこまれた。
「留学以降は意見を言う体質がますます磨かれた感じ。テレビでは面白外国人として期待されていた期間が長かったけど、ずっとうずうずしていたんです。だから、ブログやツイッターみたいなSNSのツールが出てきた時はうれしかったですよ。やっと言える!って」
転機は2011年初め、母国エジプトで起きた「アラブの春」について4回に渡って長文で私見を綴ったブログだった。当時はまだ政治や社会について発言するタレントはほとんどおらず、現政権を批判する姿勢に「引退覚悟で書いた」とまで報じたメディアもあった。その直後に東日本大震災が発生。タレントがその存在意義を問われる空気が広がり、社会について発言することは自然と受け入れられるようになっていった。ここまで”攻めた”発言ができるのには所属するサンミュージックという事務所の存在も大きかった。
「サンミュージックは本当にタレントの自由を尊重してくれるから。年初にベッキーさんの件が起きた時も、あれだけの稼ぎ頭のタレントさんでもプライベートはきちんと確保されていたんだなと思って『うちの事務所、マジで自由だ』と感心したくらい。私の発言もすべて放任してくれていることはありがたいですね」
とは言え、自由な発言ばかり続けていたことにいついて、一度、社長に頭を下げたこともあった。「その時に社長が『こういうタレントがいてもいいんだよ』と返って。もちろん、自由には責任が伴うもので、その重さを感じることはよくありますよ」
フィフィ本人が今、感じている重圧。それは自らの発言が“影響力”があるとされ、時に“メディア”の役割まで背負わされてしまうことだ。
「私は感想文を書いていた延長で、感じたことを言ってきただけ。ただの“意見”なんです。日本人が中東のことを知りたいというニーズには応えたいから、頼まれたり必要を感じたりしたら、現地のメディアも含めて右も左も読んで調べて自分なりの言葉で書きますよ。中立性を謳うメディアはむしろ重視せずに、主張が明確なメディアを複数比較する感じかな。それでもあくまで私の意見。なのに『フィフィが言っていることは違う』って叩かれたりする」
だからこそ日本人に危機感を感じている。
「ある発言をどういう人がどういう背景で語ったのかを読み取って咀嚼できる力、つまり、メディアリテラシーがこれからの時代に絶対必要なはずなんだけど、日本ではほとんど育っていないですよね。私はニュースではなくて、ただの庶民なのに過大な期待を背負っているな、と感じることは多いですね」
戸惑いながらも、“物言うタレント”をやめられないフィフィ。タレントという存在の価値の行く末を案じるゆえでもある。
「昔は皆同じものをテレビで観て楽しんでいたけれど、今は視聴者のニーズが多様化、個別化、細分化してきて、タレントがテレビで稼げる時代は終わりつつあるんですよ。うちの10歳の息子なんて、気に入ったユーチューバーの映像ばかり観ているし。規制のないネット上でより思い切ったことができる“匿名のタレント”と、私たちは戦っていかなければいけない。かといってネットの活動にはほとんどお金がつかないからとても食べていけない。本当にシビアですよ。グルッと一巡して、タレント個人が生身で勝負していくしかないのかもしれないと私は思っています」
淡々と語るその目線はどこまでも冷静だ。
「足りていないんですよ、私もまだまだ。“意見を言う力”ではある程度評価されているかもしれないけれど、他人の意見を聞く力が圧倒的に足りない。90歳くらいのばあちゃんと話すとその包容力に感動しますもん(笑)。そして他人を受け入れた後に放つ言葉はすごく重みがある。私もばあちゃんレベルに到達できるよう精進します。まだまだ言いたいことはたくさんあるから」
フィフィ
1976年生まれ。エジプト・カイロ生まれ。工学博士の父、国際政治学博士の母の元に生まれる。2歳で来日し、名古屋で育つ。中京大学卒業後、ジョイ・サウンドに就職し、カラオケ制作に携わる。結婚後に上京し、出産。2005年にTBS系深夜バラエティ番組「アイチテル!」に出演し、芸能活動を始める。2005年よりブログ「all about FIFI」を発信。著書に『おかしいことを「おかしい」と言えない日本という社会へ』(祥伝社)がある。
編集協力:プレスラボ
撮影:高円寺イラン料理「ボルボル」