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佐々木康太

以前の顔をもう一回取り戻したかった──エレカシ宮本浩次、「男」からジェンダーレスへ

2021/01/23(土) 13:11 配信

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1988年にエレファントカシマシのボーカリストとしてデビューしてから32年。長いキャリアのなかで、現在ソロとして歌番組への露出が増えている宮本浩次(54)。初のソロアルバムをリリースしたのは2020年、53歳でのこと。ソロは「恐怖ですよ」と語る宮本が、それでも足を踏み出した。そして、かつてエレカシで「男」を歌いあげていた宮本はなぜ今、ジェンダーレスな服に身を包み、女性歌手の楽曲をカバーするのか。エレカシ宮本が語る「男」への反動とは。(取材・文:兵庫慎司/撮影:佐々木康太/文責:Yahoo!ニュース 特集編集部)

ソロは恐怖、でも時間がなくなった

「エレファントカシマシがバンドだったのは最初の3枚のアルバムだけ」とか、「ひとりでアルバムを作っている、実質はソロと変わらない」などと公言する時期を、これまで何度も経てきたのが宮本浩次である。しかし、それでも、ソロ名義ではなくバンドで活動を続けてきた男が、ついにそこに踏み出したのが今である。

「この間、亡くなった偉大なるデザイナー、高田賢三のドキュメンタリーをテレビで見たんです。思い立って兵庫県から東京に出てきて、それからまた思い立ってパリに行くんだよね。偉大な人って、やっぱりその行動力なんだな、と思ったもん。俺、思い立っても行かないし、答えがわかっていても、恐怖から目をそらす。大変なことから目をそらして生きてきたと思うんだ」

宮本にとってのソロ活動とは、そんなに恐ろしいものだったのだろうか。

「恐怖ですよ。だって俺は、自分のことをプロデュースできないもん、椎名林檎や横山健みたいに。俺は芸人だし。バンドのリーダーの時は、まだバンドのリーダーの顔でいられるけど、ソロになるとそうはいかなくなるしさ」

それでもソロに踏み切れたのはなぜかと問うと、「時間がないから」という答えが返ってきた。

「人間だったら、大なり小なりいろいろあるじゃない? でも、年をとってくると、若い時よりもそれを跳ね返す力が......筋肉痛が治らなくなるのと一緒で、心もなかなか戻りにくくなんのよ。誰もが肉体と精神を使って生きていて、最後は死ぬんだけど、その過程で『今しかない』っていう時がやってきたんだよ。もう時間がない、このままだと、いつまで経っても歌手の宮本浩次になれない。俺はもう疲れちゃってるし、メンバーもみんな疲れてる。持ちこたえられなくなっちゃったんだよね」

「だから俺は、2016年の時点で、(当時の所属事務所の)社長にも、改めて言ったし。30周年(2018年)の活動が終わったら、バンドはいったんとめる、ソロをやると。それで最後の力を振り絞って、苦しいけど4人で一生懸命やりましたよ、それで紅白にまで出たから、もう喜びもひとしおだった。あのままやってたら死ぬんじゃないか、っていうぐらいのところで、ようやくソロに行けた」

俺は何もしてない、時代背景のなせる業

そして、30周年の活動後、バンドはいったんストップ。ただ、この段階では、少しオフをとって、旅行でもしたあとに、自分のペースでソロ作品の制作に入ろうと考えていたという。つまり、バンド以上に華やかで激しい、現在のような活動をする、というビジョンは持っていなかったようだ。

「最初のソロライブは、リキッドルームだったんですよ(2019年6月12日)。誕生日にさ、ひとりで弾き語りで、800人くらい集まったら黒字にはなるかな、とか思っていて。ほんとに小さく考えてたの。そしたら谷中(敦)さんが『スカパラ(東京スカパラダイスオーケストラ)で歌いませんか?』と。そんなの願ってもないからさ、もう二つ返事で受けたら、その1週間後に椎名林檎さんから、『一緒に歌いませんか?』っていう話が来た。それで、2018年9月からレコーディングをしたわけ。で、林檎さんと『獣ゆく細道』のミュージックビデオを撮って、11月には『ミュージックステーション』にも一緒に出て、同じ月に今度はスカパラと『明日以外すべて燃やせ』で出た。さらに関西テレビのプロデューサーの方から話があって、作ったのが『冬の花』(ドラマ『後妻業』主題歌)。で、『ソフトバンクのCMに出てくれない?』って話と、『月桂冠』のCMに出演し曲も提供するっていう話も、ほぼ同時に来た。だから、何もしてないんですよ、俺は。なぜか全部来たの」

2020年11月18日にリリースされた、昭和の女性シンガーの名曲を中心としたカバーアルバム『ROMANCE』は、ビルボードやオリコンのランキングでも1位を獲得。ヒットアルバムとなった背景には、現在の社会状況もあるのではないか、と宮本は言う。

「コロナ禍の中で、みんな音楽に向き合うことを求めていたというか、ここでカバーしているような、ぬくもりのある古い曲を聴く耳をみんな持っていたんじゃないかと思う。世間が東京オリンピック一色になっている中で出したら、こういうふうにはなっていないんじゃないかと......まあ、俺は預言者じゃないから、わかんないけど。でも、こんなにテレビで歌うことになったのも、オリンピックの中継がなくなって、音楽特番が増えたからだし。そういう時代背景のなせる業としか思えないよね」

テレビの現場でも、オリンピックの空白を埋めるかのように、制作に懸けるスタッフの目の色が違うと宮本は語る。そうしたテレビ出演は、コロナ禍でライブ活動を行えないだけに、人前でのパフォーマンスの場としてとても大事だという。

「『宮本、独歩。』のツアー(2020年3~7月)のために集まってくれたメンバーと、ものすごい練習して、衣装も決めて、グッズも作って、それで全然できなかったでしょ。フェスもなくなってさ。だから、テレビでみんなの前で歌うのが、唯一の楽しみなの。ものすごい真剣にやりますよ、それは。コンサートの時と同じように、毎回すごい練習して。出演時間も夕方だったりして、それもいいんだよね、『売り出し中!』って感じで。ソロは、ほんとに俺は新人だと思って出ていくから。だから、一生懸命やるよね」

エレカシ宮本が語る「男」への反動

エレファントカシマシには、「花男」「珍奇男」「男は行く」など、タイトルに「男」がつく曲が15曲もある。「ファイティングマン」も含めると、16曲だ。ただし、2012年の「涙を流す男」以降、タイトルに「男」ありの曲は、書かれていない。そして2020年に女性シンガーの曲だけをカバーした『ROMANCE』をリリース、というのは、宮本の中のなんらかの変化を表しているようにも思える。

「10代の頃、森鴎外とか夏目漱石とか、優れた作家から、『男たるものとはなんだ?』と学んで、一生懸命、研究していたつもりだったの。太宰治も芥川龍之介もかっこいいと思って追いかけていた。メンバーも自分も奮い立たせるように、男たるものどう生きていくべきか、っていう道筋をエレファントカシマシで描いてきた。でも、『今宵の月のように』のヒットや、30周年の活動の成功で、居場所ができたからね。そういう自信に伴って、『男らしさとは』みたいなことから、『本来の自分とは』っていう旅に、移り変わっていってるんじゃないか、と思っているのね。イヴ・サンローランの服とかさ、やっぱりジェンダーレスというか、性を超える、みたいなのがあるわけよ。イヴ・サンローランと、エディ・スリマンの洋服、ほんとに私は好きで着てる。エレファントカシマシの30周年のツアーの時も、私、エディ・スリマンのジャケットとパンツで出ているわけ。それって何か象徴的というか、『いきがるのが男らしさじゃない』みたいなところにね、大人になってようやく気づいて」

そういえば、宮本が初めて人の曲をカバーしたのは、エレファントカシマシの2008年のアルバム『STARTING OVER』に収録した、荒井由実の「翳りゆく部屋」である。そのあたりは、歌を好きだった母親の影響も大きいと思う、と宮本は言う。

「母親がいろんな歌を、もうしょっちゅう歌ってんだよね。それが『こんにちは赤ちゃん』とか、女の人の歌だった。母親の影響はモロに受けてるから、むしろ自然な感じもする。だから『ROMANCE』ってアルバムは、0歳からのおふくろとの思い出、両親と兄貴との4人家族でいた時の、少年の自分がまさしくそこにいる、っていうものに結果的になっていて。それがやりたかったんじゃない? バンドっていうのは、子どもから少年になって、青年に向かう時期の......大人の顔なんだよ。『ROMANCE』で、それ以前の顔をもう一回取り戻したかったんだ、と思うんだよね。『本当の自分って何だろう?』みたいなの、あるじゃない? だからまさに、今しかないタイミングだったんだと思う」

宮本浩次(みやもと・ひろじ)
1966年生まれ。1988年、エレファントカシマシのボーカリストとしてデビュー。2018年、椎名林檎の「獣ゆく細道」、東京スカパラダイスオーケストラの「明日以外すべて燃やせ」にゲストボーカルとして参加。2019年2月、配信シングル「冬の花」で本格的にソロ活動をスタート。2020年、初のソロアルバム『宮本、独歩。』をリリース。


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