多くの女性にとって全身の体毛処理は当たり前のこと。男性の脱毛も関心が高い。その一方で、「ムダかどうかは、自分で決める。」というキャッチコピーとわき毛を出したバーチャルヒューマンを起用した、刃物メーカー・貝印の広告が話題を呼んだ。体毛は本当に「ムダ」で「恥ずかしい」ものなのか。わき毛を緑色に染めた写真をSNSに投稿したラッパー・あっこゴリラ(32)は「わき毛、かわいくない?」と話す。(撮影:佐々木康太/Yahoo!ニュース 特集編集部)
「女の子なのに」自己否定の呪いを解きたかった
「シンプルに、わき毛生やすのかわいくない?って。言っちゃえばそういうことです」
ラッパー・あっこゴリラは2年前、自身のわき毛を緑色に染めた。その頃にリリースした曲の歌詞には、「カミソリ負け肌荒れ 誰のためにしてきたのよ?」「愛しくない? ぷよぷよ腹 ガッツリ余裕でおヘソだすわ」という言葉がある。
「私たちの世代は価値観の呪縛が強烈でした。たとえば、体毛は全身処理して当たり前、目はでかくて足は細くて、男性を立てるのがいい女とか。“自分が嫌い”みたいな精神構造が生まれやすい年代。その価値観にうまく乗れないと、いわゆる“社会の負け犬”だとか。そういう自己否定の呪いを解きたかった」
あっこゴリラが体毛を意識したのは小学5年生のときだ。
「プールの授業で男子にわき毛が生えてるって指摘されて、本当に恥ずかしかった。そこから剃るようになりました。中学では細眉がはやっていて、ゲジ眉はイジられ対象。みんな剃ったり抜いたりしていました。バンドでメジャーデビューしたときにわき毛の剃り残しを指摘されて、20代で美容脱毛にも行きました」
従来の価値観に疑問を投げかける楽曲を発表し続けるあっこゴリラだが、20代半ばまでは人並みに体毛を気にしていた。そして、幼い頃から「女である」ということに従順になろうともしていた。それに当てはまらないときは、正解になれない自分がだめなんだと思った。
「すごく居心地が悪くて、生きてるのきついとか思っていました。その違和感に気づいたきっかけはMCバトル。ブスとか枕営業とか言われたのがトリガーになりました」
「女の子なのにそんなにドラムたたけてすごいね」「女の子でラッパーって珍しいね」「女のなかでは韻踏めるね」。評価にも常に「女」が付きまとった。
「ラッパーって自分の歴史を解体していくのが仕事。自分で自分をカウンセリングするみたいな。私、本当に自分に自信がない人間なんですけど、じゃあなんでこんな人間なんだろう? なんであのときこう思ったのかな? この価値観が当たり前だから? それって本当に当たり前? そうやって自問自答していった結果、自分自身を取り戻すというか、獲得できた。やっと自分を認められるようになったんだと思います」
「わき毛を生やそうよ」とは言ってない
居心地の悪さを感じ続けてきた自分を解放する表現のひとつとしてあったわき毛。近年、女性を巡る似たような「窮屈さ」が話題になることが多いが、体毛を処理しないことが「女性の解放」だと言いたいわけではない。
「私はわき毛を生やそうよと言っているつもりは全くないです。わき毛を染めたのは、海外の女の子がわき毛を染めているのを見て、単純にかわいいと思ったから。今も腕毛と指毛はボーボーだけど、アンダーヘアと足の毛は剃ったほうが調子いいから剃るし」
緑色のわき毛に対して、「なんで染めるんですか」「ダサいですよ」と言われたこともあった。
「自由じゃないですか? 何がかっこよくて何がダサいかは私が決めるのであって、あなたではない。要するにどっちでもいいじゃんっていうこと。選択の自由、正解の幅を広げたいし、かわいいを増やしたい。極論はそこです」
「眉毛つなげたよかわいいでしょ?」(GRRRLISM)、「太いこの脚でどこまでも走ってゆける」(エビバディBO)、「いい歳って誰が決めたの?」「産まなきゃ価値ないの?」(グランマ)。彼女の曲には、当たり前を疑い、解放する力がある。その主張に、押しつけがましさはない。
「『生やしてて何が悪いんですか! 社会の仕組みが〜』とも言えるけど、私は『わき毛、かわいくない?』『ボーボーよくない?』って言葉を選ぶ。言ってることは同じなんですよ、きっと。私の場合はテンション上げたいんで、自分が楽しいと思えるほうを選んでます」
わき毛の歴史 ないほうが不自然だった
「個人の自由」が尊重される時代になりつつあるが、それでも「女性の体毛はないほうがいい」「男性は会社に行くときにひげを剃る」といった価値観は根強い。本来、体毛が生えるのは自然なことのはず。なぜそんな考えが生まれたのか。
国際日本文化研究センターの所長で、日本の風俗史に詳しい井上章一氏はこう話す。
「一般の女性がわき毛の処理を始めたのは1960〜70年代からと最近のことです。しかし、今ほど神経質ではなかった。それ以前は、わき毛がないと無毛症だと思われるか、当時はまだ偏見があった水商売の女性だと思われるほどでした」
体毛処理自体は江戸時代にも行われていたことが確認されている。それが女性の間で一般化し、「わき毛=恥ずかしい」という考えが浸透したのはさらに最近のことだ。
体毛への考え方が変わるきっかけについて、井上氏は明確な答えはわからないとしつつ、西洋文化やハリウッド女優、ノースリーブ、入浴頻度の増加、そして美容産業が発展し、体毛を処理する人口を増やそうとしたことなどが影響したのではないかと推測する。
では今後、体毛処理の常識は変わっていくのか。
「一度浸透してしまった価値観を変えるのは簡単ではありません。たとえば、大正時代は葬式に振り袖で参列することもありました。ですが今、黒以外で参列すれば非常識か変わった人だと思われてしまいますよね。ただ、生活の身繕いについて、個人の自由だという考え方が浸透してきている時代ではあります。それは素晴らしいことだと私は思います。今は除毛が当たり前だからこそ、毛を生やすことが意思表示として受け取られるでしょう」
彼氏にわき毛を否定され号泣
あっこゴリラは、中学生や高校生と話す機会もある。その中で、「あっこさんは正しくて強くて、私はそうなれない」と言われることが何度かあった。そのたびに伝えることの難しさを痛感するという。
「私が正解ってことではないんですよ。私はこういうやり方を、自分が調子良くいるために選んだだけ。別に当たり前に抗う必要もないし、お前はお前でいろよって思う」
ただ、「肌が荒れる」「面倒」など、剃りたくない理由があっても、「当たり前」があるために、剃らなくてはいけないと思ってしまう人も少なくない。
「それはわかる。自我が形成されるまでの戦いは、マジで大変。私は自我の形成が遅くてすごい苦労したので、他人事じゃないなと思う。やりたいけどやれない、自分をやらせないようにしているものの正体をひもといていくには時間がかかるけど、いろんなものが助けてくれる。映画や本、カルチャーに触れることをお勧めしたいです」
ラップやヒップホップ、フェミニズム……多くのカルチャーに触れ、「救われた」彼女は、どこまでも自分にまっすぐで、かわいいに貪欲だ。
「でも、彼氏に『本当にわき毛やめなよ』とか言われたときは、号泣した。誰に何言われてもいいけど何でお前がわかってくんないの?って。だけど途中でわかってくれなくてもいいやってなった。私も合わせないし、向こうは向こうで俺はこう思うけどまあ好きにすればっていう感じ。それで仲良くやってます。だから共存はできるんですよ、違う人間でも。当たり前だけど」