「ゲイタウン」として知られる新宿二丁目が変わりつつある。観光PR動画で取り上げられたり、初心者向けのネット記事が作られたりしたこともあって、女性や外国人観光客の姿が増えた。入りやすい路面店や、テラス席を設けた店まで登場している。一方で、「女人禁制」を貫く店も。変わりつつある新宿二丁目を取材した。(取材・文:鈴木紗耶香/撮影:yOU(河﨑夕子)、鈴木愛子/Yahoo!ニュース 特集編集部)
「LGBTブーム」と「観光地化」
「ごめんなさい、今日は撮影が一切禁止になっちゃったんです。わざわざ申し込んでいただいたのに本当に申し訳ないんですけど」
新宿2丁目振興会が主催する夏祭り「東京レインボー祭り」の本部テント。振興会会長の玉城利常さん(59)がすまなそうに言った。事前に祭りの取材を申請し、許可も出ていたのだが、当日になって撮影NGとなったのだ。
祭りに先立ちネットに公開された紹介記事が、問題になっていた。
2000年に始まった「東京レインボー祭り」では、振興会に加盟するゲイバーやレズビアンバーなどが、露店を出したり、御輿をかついで練り歩いたりする。歌やダンスなどの路上パフォーマンスもあって、客が十重二十重に取り囲む。二丁目の常連だけでなく、祭りを目当てに来る人や観光客もいる。
問題になったのは過去の祭りの写真だったが、出演者や観客の顔が写っていた。出演者は全員がカミングアウトしているわけではない。写りこんだ人の一部から強い抗議が本部に寄せられた。玉城さんら本部関係者は個人が特定できる写真の記事掲載やSNS投稿を禁止しているが、祭りの参加者が増えるほど、二丁目のルールを徹底することは難しくなる。
「口をすっぱくして言ってきたつもりなんですが……。一般の方を(二丁目に)迎えるのは時代の流れですが、古くから来ているクローゼットの人たちを守る役割も僕らにはあって、それがうまく噛み合わない状態です」
クローゼットとは、自分の性的指向や性自認を公表していない人を指す。
二丁目は、観光PR動画で紹介されるほど「LGBTタウン」としての認知が進んだ。ノンケ(ゲイシーンの言葉で性的マジョリティを指す)をメインの客層とする「観光バー」や、韓国系中国系をはじめとするインバウンド対応の店もできている。
2010年代に入り、LGBTの権利は少しずつ拡大されてきた。2015年に東京都渋谷区で同性パートナーシップ条例が成立。2018年4月には性別適合手術が保険適用になった。2019年5月にはWHOが国際疾病分類の改訂版(ICD-11)を決定し、性同一性障害は「精神疾患」から除外された。現在、国内で同性パートナーシップ証明制度を導入済みの自治体は47に達している。
しかし、玉城さんはこうした世間の動きに対してまだ懐疑的だ。玉城さんは、1997年からゲイバー「Base」を経営している。女人禁制を貫く古典的なゲイバーだ。
「世間は盛り上がっているけど、クローゼットの人たちからしたら『なんのこっちゃ』みたいな、温度差はありますね。多様性を認めると言いながら、日本ではまだ同性婚すら認められていない。うちのお客さんにも、会社では言えない、家族には言えないという人はいっぱいいますよ」
「ノンケの遊び場」になるのは抵抗がある
かつて二丁目は「女は来るな」と言われる街だった。二丁目に通って約20年の佐藤まみさん(仮名、50)は実際にそう言われたことがある。佐藤さんは花園通り沿いの女性が集まる居酒屋を行きつけにしている。性愛の対象、性自認ともに女性だ。
二丁目にはゲイバーよりも少ないがレズビアンバーも集まっている。1991年にスタートしたクラブイベントを母体として、2008年にオープンした「BAR GOLD FINGER」は代表的な存在だ(オープン当初の店名は「MOTEL203」)。振興会が発行する町内誌「2丁目瓦版」2019年7月発行号では、11軒の女性専用店が確認できる。
佐藤さんは短髪で、ボーイッシュな格好をしている。仕事や飲み屋で知り合った人などから「なんでそんな髪形してるの?」と聞かれることは珍しくない。
「そういうとき、『フットサルやってます』と言うと、相手は『あぁ〜ん!』と納得する。我々はその『あぁ〜ん!』のためにいろんな技を持っているんです。でも、飲んでるときまでやってなきゃいけないのはめんどくさいじゃないですか。嫌なことを言われて言い返せないことも多いし。マイノリティや差別されている人の日常はその連続。だからこういうところが必要なんです」
「二丁目の何がラクかって言ったら、(恋人と)付き合ってるっていう話ができるところ。デートどこ行きたいとか、誕生日に何が欲しいとか」
ところが、ここ10年で風向きが変わってきた。佐藤さんの二丁目通いを知るノンケ女性の友人から「連れてって」と言われるようになったのが象徴的だ。
「二丁目はなんだか怖いところというイメージを持たれていたけれど、ネットが出てきて調べられるようになったし、行ってみたいと思う人が増えたんでしょうね。女の子ってゲイが好きでしょう。っていうかマツコが好き。それはともかく、商売になるから観光バーが増えた」
通りを歩いていても「女は来るな」と言われることはなくなった。ところが数年前、二丁目のコンビニで女性客がこう言うのを聞いてしまった。
「『あたし、ゲイは好きだけどレズは嫌い。気持ち悪いじゃん』って。ここをどこだと思ってるんだと思いましたね。誰がどこで何をしようと構わないけれど、分かり合える者たちで守ってきたこの聖域みたいなものが、ノンケの遊び場みたいになってしまうことには抵抗がある」
二丁目は欲望ドリブンの街だった
二丁目のゲイバー街には、たった300m四方の狭いエリアに、7〜8坪ほどの小さいバーがひしめく。その数は300とも、500とも言われる。ゲイバーだけでなく、女装系ゲイバーや観光バーなどさまざまな種類があり、「何をもってLGBT関係のバーとするか」については意見が分かれ、正確な数を出すのは難しい。
作家の伏見憲明さん(56)は、昨年上梓した『新宿二丁目』(新潮社)で、「赤線・青線地区だった二丁目がゲイバー街になったといえるのは、六〇年代後半から七〇年代初頭と考えられる。一九七一年には少なくとも一一〇軒以上のゲイバーが現在の二丁目に存在していた」(p.167)と書いている。
「オネエブーム」や「LGBTブーム」で女性客や観光客が増えるまでは、二丁目自体が「クローゼット」な街だった。「ポリティカル・コレクトネス」などという言葉もなく、むしろ二丁目は、性愛に局在化した世界として独自のルールと文化を築いていた。
伏見さんが二丁目に足を踏み入れたのは1981 年、高校3年生のとき。週刊誌にゲイディスコ潜入記事を見つけて読むと「いやらしい目で見られた」「体を触られて気持ち悪かった」などと書かれていた。伏見さんは冗談めかして振り返る。
「『そんなことされたいわー』と夢をふくらませて、親が留守のときに出かけていったんですよ。でも、ダサい高校生なんか誰も相手にしてくれなくて。昔はドアから新しいお客さんが入ってくると、みんなバッて一斉に見るんですよ。で、ブスからは視線が一瞬で消えていくんです (笑)」
評価基準はイケメンかどうか、体形が好みかどうかだけ。
「性愛の欲望には差別的な側面があるんです。社会の中に差別や価値序列があれば、性愛の欲望にも反映されてくる。そもそも対等な関係におけるエロスなんていうものが、かつて存在したことがあったのだろうか」
前出の玉城さんは、二丁目に小さいバーがひしめく理由をこう説明する。
「今みたいにSNSとかインターネットとかがない時代は、こういうところに飲みに来て好みの人を探す、友達をつくることが基本だった。そうすると自分の好みの人がいっぱいいるお店に行きたいし、そのほうが出会いの確率も上がる。だから二丁目にはさまざまなカテゴリーの店があるんです」
「観光地化」のジレンマ
伏見さんは文筆業のかたわら、2013年から二丁目でゲイバー「A Day In The Life」を経営している。ゲイバーを謳うが実質はミックスバーだ。ミックスバーとは、どんなセクシュアリティの人にも門戸を開放しているバーのこと。
伏見さんは昔のゲイバーと今のゲイバーの違いをこう語る。
「バーによって濃淡はあれど、ゲイバーの機能は、性愛中心のコミュニケーションから、親睦を深める場へと比重が移ってきています」
バーの数自体は増えているが、一軒ごとの売り上げは減っている。さらに他の「出会い系」同様、LGBTも若者の出会いの場はアプリへ移りつつある。「ゲイのバー離れ」と「若者のバー離れ」が進んでいるというのが、玉城さんと伏見さんに共通する見解だ。
いまやノンケ客、観光客が落とすお金は少なからず二丁目の経済に寄与している。一方で、「ノンケ化」「観光地化」が進むにつれて、LGBTタウンとしての独自性が失われていくというジレンマも生まれている。ゲイバーが誰にでも開かれたふつうのバーになったら、ゲイもノンケもわざわざ来る意味がなくなるからだ。
「A Day In The Life」には女性客も多い。彼女たちはゲイバーに何を求めているのか。伏見さんはこう言う。
「やっぱり楽なんだよね。女同士のこまかな政治やゲームをしなくて済むし、男に性的に見られることからも解放される。ゲイバーの女性客とゲイは、お互い差別し合っているところでの均衡がある。女の人にとっては『所詮ゲイ』だし、ゲイも『所詮女』だと思っている。みんな意識してはいないと思うけれど」
伏見さんのバーの主役はあくまでゲイだ。「ゲイのお客さんが5割を切らない状態」が経営者としての伏見さんのさじ加減である。カウンター中心の小さな店内では、ゲイ同士の打ち明け話や、新顔の客の身の上話が交わされる。ゲイだということでいじめや虐待にあって行き場をなくし、ここにたどりついた若者もいる。女性も含め、マジョリティの視線から逃れられるアジール(聖域、避難所)にもなっている。
「それでも最近は、うちなんかでもその人の『所属』が話題になります。どこどこの大手に勤務しているとかね。昔のゲイの感覚ならば、大会社の社長でもどこかの御曹司でも、『でもホモはホモじゃん』みたいな『マイナスの平等性』というべきものが担保されていた。差別が解消されて『ふつう』になることは喜ばしいことである半面、一般社会の世知辛さが入ってくるということでもあるんですよね」
どんな人が来ても必ず居場所がある街に
「一般社会の世知辛さ」はハード面にも押し寄せている。林立する雑居ビルの老朽化だ。
不動産会社・フタミ商事の二村孝光社長は、二丁目の店舗物件を多数手がけている。二村さんはこう言う。
「水漏れやネズミの被害が問題になっています。オーナーさんは60代後半から80代の人が中心で、所有するビルの上階に住んでいる人も多い。街に愛着を持っている方もけっこうおられます。でも、子どもの代になったら売ってしまおうという話にはなりやすいかもしれません。老朽化したビルの管理は大変ですから」
ビルが新しくなれば家賃は高くなる。個人経営の小さなゲイバー、レズビアンバーは続けるのが難しくなるだろう。
「実際に新築物件の1階店舗では、坪単価が非常に高額なケースも出てきました。それに、ビルを建て替えたとして、また小さなゲイバーやレズビアンバーに貸すほど、所有者に愛があるかというと……どうでしょう」
二村さんは二丁目で生まれ育った。名刺の裏には「ノンケですがこの街に真剣です」の文字。「LGBTタウンとしての新宿二丁目のためになるような商売をしたいという人に、物件を貸していきたい」と言う。
「地元への愛着もあるけれど、やっぱりこの街が面白いから」
二村さんは、二丁目の街づくりに関わる活動にも熱心だ。「新宿二丁目海さくら」という清掃活動の代表を務める。さらに、2019年4月には自らのオフィスを改装して併設したショールーム兼立ち飲みバー「Bar.軒先」をオープン。有志に貸している。
「軒先にベタベタ不動産情報を貼っていかにも不動産屋らしくしたくなかったし、仲通りに気軽に入れる路面店を一つ増やしたかったので」
伏見さんも「二丁目の面白さ」を挙げる。
「開かれてゆく二丁目ではいろいろと摩擦もある。けれど、いろんな色、違う色が出合うことによってすごく面白くなる瞬間があって、その瞬間を味わうために(バーを)やっているんです。違う文化に触れることは自分も痛いしヒリヒリするんだけども、そこに身を投げ出さないと、新しいエネルギーやクリエーションというものは獲得できないんですよね」
振興会会長の玉城さんは、「二丁目はさまざまな人の居場所であってほしいし、それを守っていくのが自分の使命」と語る。
「『ノンケさん来ないで』『外国人お断り』って言うのは簡単だけど、そんなの許されない。どんな人が来ても必ず居場所がある、受け皿のある街であってほしい。それは二丁目に与えられた義務だと思う。その中で僕らのようなゴリゴリのゲイバーの人間は、クローゼットで飲みに来る人たちをどうサポートしていけるかということを常に考えています」
鈴木紗耶香(すずき・さやか)
フリーライター・編集者。民俗、宗教、宗教美術、工芸、辺境、メンタルヘルスや文化にまつわる社会問題が主な関心ごと。