「墓はいらない」「自然に還りたい」と考える人たちの間で、「自然葬」と呼ばれる新しい葬送が広がり始めている。遺骨を粉状にして撒く「散骨」や、火葬した遺骨を樹木の下に埋葬する「樹木葬」など、従来の墓石を建てるやり方とは大きく異なっている。自然葬はなぜ広がりつつあるのだろうか。現場を訪ねた。(文・写真:鬼頭志帆/Yahoo!ニュース 特集編集部)
「私の骨は海に撒いて」
冬晴れの日差しが降り注ぐ、東京・勝どきの乗船場。午後1時、小型船の「レノン号」がゆっくりと護岸を離れた。株式会社ハウスボートクラブが主催する「海洋散骨」体験クルーズだ。参加したのはシニア世代を中心に女性10人、男性3人。中には高齢の親と、20代や30代と思しき子が連れ立って来ている姿もある。
参加者で千葉県在住の山川真弓さん(52)は「夫の両親の墓に入りたくない」と話す。夫の両親が特定の宗教に熱心であることや、一人娘(17)の今後の負担を考え、自分が亡くなったときには、自分の骨を散骨してほしいと考えているという。
「娘がどこで結婚してもいいし、仕事が海外であってもいい。親の墓は気にしないでほしい。娘には『私の骨は海に撒いて。あなたは自由になって』と言っています」
病気の父親(80)の代わりに参加したという東京都の田川和生さん(仮名・46)は、父から墓はいらないと言われた。
「父は『その辺の川にでも流してくれ』と。でも、少しでもきれいなところで、ちゃんとやってあげたい。それなら海の散骨がいいかなと思った。『こういうところだよ』と写真を見せてあげたら、父も安心するのかなと。それで体験クルーズに参加しました」
船は出航して30分ほどで羽田沖の散骨ポイントに着く。遠くの湾岸には倉庫が立ち並び、羽田空港に向かって下りていく飛行機も見える。参加者は、太陽を反射して輝く群青色の海面をまぶしそうに見つめた。停泊すると波を受けて船は揺れ、何かにつかまらずに立っているのが難しくなる。ここからは一人ずつ船尾で散骨を行う時間だ。今回は体験会のため、塩とサンゴの粉末を遺骨に見立てて海に撒いた。実際には、あらかじめ粉状に砕かれた遺骨が水溶性の封筒に入れられており、その封筒をそれぞれが海に撒いていく。
その後全員が船のオープンデッキに上がると、鐘が10回鳴らされる中で黙祷。船は散骨ポイントを中心に3周すると、汽笛を鳴らしながら離れていった。
ハウスボートクラブ代表の村田ますみさん(46)は、自身の母の遺骨を沖縄県伊江島で散骨したことがきっかけで、海洋散骨の事業を2007年に立ち上げた。
「散骨式は決まったしきたりがなく、遺族が自分たちの手で故人を送ることができます。また最後に『自然に還る』ことは、心のよりどころや安心感につながると考えています」
体験クルーズに参加した東京都の藤井淑江さん(56)は、1カ月ほど前に夫(享年61)を亡くした。脳腫瘍だった。夫の菩提寺である曹洞宗の寺で葬儀を行ったが、お布施の金額が予想していたよりも高く、驚いたという。
「これではお寺さんとの関係で先が思いやられるな、と思いました。でも、ある時ふっと夫が『海に撒いてくれ』と言っていたのを思い出したんです」
夫はアニメの『ONE PIECE』が好きで、忙しい中でも録画したものを見て楽しんでいたという。レノン号のデッキから穏やかな水面を見つめ、淑江さんはつぶやいた。
「主人公のルフィが乗っている海賊船ではないけど、この風景を見せたら、きっと夫は喜んだろうなと思いますね」
散骨後に帆船に赤い帆を張って
散骨のような葬送方法は「自然葬」と呼ばれる。NPO法人「葬送の自由をすすめる会」は1991年10月に相模灘で散骨を行った。自然葬ではさきがけとなる団体だ。同会副会長理事の西田真知子さん(69)は、自然葬は従来の石の墓の否定ではないと語る。
「『ほかの方法もある』という考え方です。自然に還りたい、新たに墓を作ることで自然を壊したくない、といった想いで会員になる人が多いです」
自然葬は時間をかけて受け入れられてきた。
1990年7月、総理府(現内閣府)が行った「墓地に関する世論調査」では、「散骨を葬法として認めてもよいか」という問いに、「認めてもよいと思う」と答えたのは21.9%。それに対して、「認めるべきではない」と否定的な考えの人が56.7%と半数を超えていた。
その後、意識は変化していく。2013年11月に厚生労働科学特別研究事業の一環として行われた調査で「身近な人から散骨を希望された場合」という問いに71.9%の人が「頼まれれば行う」と答えた。また、「自分自身の遺骨を散骨してほしいか」という問いでは、「すべて散骨してほしい」「一部散骨してほしい」と答えた人の合計は34.5%にのぼり、「してほしくない」と答えた22.2%を上回った。自然の中へ散骨する方法が受け入れられ始めているのがわかる。
西田さんも父親を散骨で送った。父親は上顎がんを患い、1997年に亡くなった。「散骨してほしい」と父が語っていたことは、死後に母から聞いた。
「思えばその頃、俳優の沢村貞子さんが亡くなって散骨されたことが話題になっていました。ひょっとすると、その影響もあったのかもしれません」
父の想いはその7年後に実現させた。母が2004年に亡くなり、相続の処理などを全て終わらせた同年秋に、両親そろって海に送ったのだ。幼い頃に家族で暮らした鎌倉に近い相模灘。家族や友人たちと帆船に乗り、両親の遺骨を花びらとともに撒いた。両親にとっては、この日が自然へと還る第二の旅立ち。そう考えた真知子さんは、散骨後に帆船に赤い帆を張ってもらった。両親の遺志を叶えられたこと、そして自分が意思を持って散骨したことを祝うためだった。
ただ父の希望を叶えたい一心だったが、それは真知子さん自身も納得がいく送り方だった。
「散骨をしてよかったと思うのは、いつどこで海を見ても『両親は今頃どこを旅しているかな』と想いを馳せられること。同乗していた私の息子(40)から『シンプルでとてもいいと思う』と言われた時は、嬉しかったですね。だから『私も同じようにお願いね』と、息子に頼みました」
「どこか、山を見渡せるところがいいな」
「自然葬」には「樹木葬」もある。遺骨をそのまま土に埋め、墓標の代わりとして樹木を植える。そんな樹木葬を先がけて行ってきた寺が、岩手県一関市にある「知勝院」だ。
一ノ関駅から、西にある須川岳(栗駒山)の方面に向かって車で25分。久保川のそばに臨済宗の知勝院がある。12月初旬、里山の周囲は冬の気配を濃くしていた。間伐で適度に人の手が入っているため、山の中は冬日が差して明るく、ところどころに名前を書いた小さな木の札が立っているのが見える。そこに誰かが眠っているという印だ。
前住職・千坂げんぽうさん(74)が1999年に樹木葬を始めたのは、墓地の整備を通して里山を守る取り組みでもあった。千坂さんが言う。
「そもそも樹木葬とは、ただ散骨するだけでなく、里山全体の保全も考え、もっと自然に優しい葬送方法として考案したもの。これまで葬送を担ってきた寺としての矜持を示したかった。石の墓か散骨か、という選択肢だけでは極端すぎるでしょう。樹木葬が広がったのは、従来の墓石より自然に近い形だからでは」
知勝院の樹木葬では、地面に深さ1メートルの穴を掘り、焼骨だけを埋め、その上に土地の生態系に合った木を選んで植える。宗派は問わず、内縁の夫婦や友人同士でも入れる。後継者がいない場合でも埋葬された遺骨は33年間永代供養され、その後も掘り返されることなく同じ場所で眠る仕組みだ。
「どこか、山を見渡せるところがいいな」
東京都内に暮らす穂積明子さん(仮名・78)は、2002年ごろ、夫がそうつぶやいたのをよく覚えている。学生時代、大学のボート部でのダンスパーティーをきっかけに知り合い、結婚。一男一女を授かり、幸せな暮らしが続いた。大手製鉄会社の技術職だった夫に胃がんが見つかったのは、55歳のときだった。
幸い治療が功を奏し、5年経ってがんは治癒したように見えた。しかし、その後リンパ節へ転移していることがわかる。夫は次第に亡くなったあとのことを考えるようになった。
夫が入院先の病室で耳にしたのが樹木葬だった。うまく歩けない夫を支えながら一緒に大型書店をまわり、そこで手に取ったのが千坂げんぽうさんが記した樹木葬についての本だった。芯の通った環境保全の考え方に賛同した。同時に、知勝院から望める須川岳の写真に、自分の死後の行き先として夫は強く魅せられたという。
夫は2004年4月、65歳で逝去した。明子さんは四十九日の法要を前に、知勝院を訪れた。5月の若葉あふれる里山の風景がすっかり気に入り、すぐに決めた。
愛知県に住む夫側の親戚に樹木葬のことを伝えた時は、親戚から「どういうこと?」という声もあった。
「でも実際に知勝院での一周忌の集いに参加してもらったら、『本当にいいところだね』と。生前の夫の考え方を知っているので、理解してくれたと思っています」
夫を送って16年になるが、明子さんは今でも毎月のように都内から一関市へ通う。ボランティアとして知勝院の施設に滞在し、草取りなどをしながら、畑を開墾したり、味噌を作ったりして楽しんでいる。もちろん夫が眠る木へのお参りも欠かさない。
里山の風景の中で、埋葬場所の目印となる木札や近くに植えられた木々は目立たない。だが、自分が立っている土の下に遺骨が埋まっており、さらに名を知り得ぬ多くの動植物の命も、その土の中に積み重なっていることを明子さんは意識する。
「樹木葬にしてよかった。自然の中でおいしい空気を吸って、エネルギーをもらっています。石の墓だったら、毎月は行っていないかも」
樹木葬の発案者である千坂げんぽうさんが言う。
「人は自然から恩恵を受けて生きています。樹木葬では、自生種の木を植え、人の手を入れながら自然環境を残していくことで、亡くなってから、自然に少しでも還していくことができる。そういった意味では、散骨することは無に帰すること、と言えるかもしれません」
散骨についてのルールづくり
散骨も樹木葬も自然葬だが、法律による扱いはそれぞれ異なる。
樹木葬は墓埋法(墓地、埋葬等に関する法律)で許可された「墓地への埋葬」にあたる。一方、散骨は、遺骨は粉末状にすることが求められ、穴を掘ったり土をかけたりすることは一切できない。これは墓地以外の場所へ遺骨を埋めることが、現在の法律で認められていないからだ。
ただし、散骨が違法というわけではない。東京都福祉保健局は「散骨を禁止する規定はない」という厚生労働省の見解をホームページに載せており、法務省も「葬送のための祭祀として節度を持って行われる限り」は法に抵触しない、という見解を出している。
そんななか、散骨についてのルールづくりも進んでいる。ハウスボートクラブの村田ますみさんは、2012年に日本海洋散骨協会を立ち上げ、2016年まで代表理事を務めた。トラブル防止のための海洋散骨のガイドラインづくりが、団体設立の主たる目的だったと話す。
「散骨を謳いながら、遺骨を遺棄するような業者も出て、報道を見たお客様から『故人の希望に添って散骨にしたのに、まるで散骨が犯罪のような報じられ方で、傷ついた』という声もありました。散骨のあり方について発信していくことが重要だと考えています」
山全体が墓であり還っていく場所
同時に、村田さんが疑問を抱いているのが、散骨を手軽で安価な代替手段と考える人が増えていることだ。
「お墓を残して子供に迷惑をかけたくないので、墓じまいして散骨したい、という相談は本当に多いです。でも、まだ墓参りをしている人も多く、墓じまいする必要が本当にあるのか疑問に思うケースも。また墓じまいをして散骨するのに、墓を当面維持する以上のお金がかかることもあります 」
死生観が多様化し、「先祖代々の墓を守る」から「お墓を残すのは子供に迷惑」へと変化しつつある意識も、自然葬を選ぶ人が増える要因になっていると、知勝院の千坂げんぽうさんも指摘する。
「多くの人が『これから墓をどうするか』という問題に直面しています。樹木葬では、墓は跡継ぎが管理する持ち物ではなく、山全体が墓であり還っていく場所。そこに共感する人は多いです」
夫を樹木葬で送った穂積明子さんも、こう語る。
「自分も含め、私たちの世代は『墓を継がなきゃ』と思う人が減っている。自分もいずれは夫と一緒に樹木葬で眠りたい。死までの道のりには不安があるけど、そこに迷いはないです」
鬼頭志帆(きとう・しほ)
写真家。1980年、静岡県生まれ、愛知県育ち。英文学を学んだのち写真へ転向し、東京藝術大学を経てロンドン芸術大学写真科修士課程修了。文化庁新進芸術家海外研修員としてインドに2年間滞在し、世界各地で写真や映像を用いたリサーチやワークショップ、撮影、展示を行う。国内外で写真賞を受賞。現在、法政大学、相模女子大学、インド国立デザイン大学院で講師を務める。https://shihokito.com
[図版]ラチカ