毎年、秋から冬にかけ、日本海沿岸では不審な木造船の漂着が相次ぐ。新潟県の佐渡島もそうした場所の一つだ。木造船は日本海でイカ釣りをする北朝鮮籍の漁船とみられる。日本の排他的経済水域、EEZ内で違法操業を行う船も多いという。粗末な船での漁は、船員にとっては命がけだ。日本海の荒波で転覆し、命を落とす船員も少なくない。浜に流れ着く船、遺体。それを処理し、供養するのは誰なのか。冬の佐渡島に飛んだ。(取材・文:ノンフィクションライター・中原一歩、撮影:塩田亮吾/Yahoo!ニュース 特集編集部)
佐渡島に流れ着いた木造船
冬の佐渡には「波の花」が咲くという。これは、強風に巻きあげられた波の一部が、泡状の「花」となって辺り一面を埋め尽くす現象だ。こうした日は決まって台風並みに発達した低気圧が日本海に居座っている。
古くは流刑の島として知られる佐渡島は、新潟県の沖合32キロに浮かぶ。人口は約5万4千人。半農半漁の島で、近年は農業を志す移住者も多い。新潟と佐渡の間には、1日数便の連絡船が運航しているが、海が荒れる冬は運休する日もあり、そうなると佐渡は四方を海に囲まれた孤島となる。
木造船が漂着している――。
佐渡在住の知人から情報が入ったのは12月初旬だった。向かったのは島の南西に位置する素浜(そばま)海岸。夏は海水浴場として家族連れで賑わう浜辺も冬は閑散としていて、周囲に人影は見当たらない。
波打ち際に朽ち果てた無人の船が打ち上げられていた。全長は10メートル強。外形こそ船だと分かるが、甲板には何もない。操舵室は無残にももぎ取られ、錆びたエンジンがあらわになっている。相当、長い時間、海上を漂っていたのだろう。船内は浸水した形跡があり、甲板の内側に藻や貝が付着して、乗組員のものと思われる長靴などの遺留品が船底に放置されていた。
船首と船尾の外板に、「587-61174」の数字とハングルで「リョンジン」と書かれている。調べると、リョンジンとは「連津」と表記され、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の北東部、咸鏡北道清津市青岩区域に位置する港町だと分かった。
佐渡海域の警備を担当する第九管区海上保安本部に問い合わせると、この船は「北朝鮮からのものと思われる漂流・漂着船」だという。同本部がこの船を「北朝鮮籍」と断定しないのは、船長も乗組員も不明で、持ち主が特定できないからだ。
同様の木造船の発見が日本海沿岸で相次いでいる。2019年、日本国内で確認された木造船は158隻。また今年に入ってすでに17隻(2020年1月16日現在)が確認されている。
木造船はなぜ漂着するのか
どうして木造船は日本海沿岸に漂着するのだろうか。第九管区海上保安本部・総務部総務課の箕輪周一企画係長によると、これらは日本のEEZ内にある大和堆(やまとたい)でイカを釣っている漁船だと話す。大和堆とは佐渡島の沖合にある岩礁で、日本海有数の漁場として知られている。
「大和堆周辺で確認された北朝鮮の船は、年間のべ1624件(2018年)。警備に当たる海上保安庁の巡視船の警告を無視し、それでも操業を続けるため放水を浴びせるなどして日本のEEZ内から退去させた船は513件(同)ありました。これらの船は大きさにもよりますが、およそ10人から20人が乗船していることを確認しています」
しかし、秋以降、大和堆周辺では最大風速20メートル強の猛烈な北西の季節風が吹く。そうなると装備の古い北朝鮮の船はひとたまりもないと佐渡漁業協同組合・専務理事の内田鉄治さんは話す。
「船といっても木材に釘を打って、プロペラをつけただけ。日本では戦前、戦中に使われていた旧型で、今となっては、まず見ることはありません。あれで日本と朝鮮半島のほぼ真ん中にある大和堆まで来るのですから決死の覚悟ですね。彼らは数隻の船団で移動し、刺し網を流してイカを取ります。取れたイカは腹を割いて、甲板で干して保存食にする。それを、中積み船という輸送専門の別の船が回収しにやってきます。つまり、一度、海に出たら、あの船団は漁期の間はずっと沖にいる。天候が悪化しても、あのエンジンでは逃げることはできません。乗組員は海上に投げ出されるなどして死亡することが多いですね」
前出の海上保安本部によると、乗組員が投げ出されて無人となった木造船は、数週間から1カ月もの間、日本海を漂流。その時々の風向きと潮流によって、日本海沿岸に打ち上げられるという。しかし、佐渡の例のように、原形をとどめた形で打ち上げられるケースは少ないそうだ。沈没したり、波に揉まれてバラバラになったり、沿岸の消波ブロックに衝突したりして、船体の一部分だけが漂着するケースが大半だという。
そもそも、木造船は日本海沿岸のどこに漂着するかわからない。何しろ同本部が管轄する新潟、富山、石川各県の海岸線の総延長だけでも1280キロあり、全てを把握するのは難しい。重視するのは一般人や警察からの照会で、情報をつかんだ同本部は、即日職員を現場に急行させ実況見分を行う。
問題は、実況見分後の処理だ。自治体によって違いはあるが、木造船を不安視する地元住民に配慮し、委託を受けた業者が1週間以内に解体、処分するのが一般的だ。しかし、船が漂着する場所は平坦な砂浜とは限らない。高低差のある断崖絶壁の岩礁地帯など、作業車やトラックの乗り入れが難しい場所が多く、処分には高額の費用がかかる。
海岸線に打ち上げられたゴミや障害物の回収を担当する新潟県村上市環境課の担当者は、次のように話す。
「場所にもよりますが、木造船を解体、運搬する費用は数十万円から数百万円にもなります。また、打ち上げられた場所によっても対応が変わります。例えば港湾施設内であれば県の担当ですし、海岸線であれば各市町村です。人手がなくてそのまま放置されることもあります」
相次ぐ木造船の漂着を受け、政府も動きだした。2017年、自治体が財政的不安を伴うことなく処理できるように「海岸漂着物等地域対策推進事業」の補助率を拡充。事実上、地方自治体に財政負担は発生しない施策が始まった。
木造船に遺体が残っていた場合はどうなるのか。昨年12月27日、佐渡市の素浜海岸に木造船の船首とみられる部分が漂着。佐渡海上保安署が立ち入り検査をしたところ、船底から、折り重なるようにして7体の遺体が見つかった。一部は白骨化するなど損傷が激しかったという。こうした「漂流遺体」「漂流遺骨」は誰がどのように処理するのだろうか――。
供養するのは誰か
荒々しい外海とは対照的な、紫紺色の穏やかな内湾を見下ろす佐渡市内の高台に、その古寺はあった。952年(天暦6年)に開山した真楽寺。佐渡国分寺の末寺として、千年以上の歴史がある。三浦良廣住職は、佐渡で行方不明になった身元不明の遺骨を市役所から預かり、寺に安置している。その中に北朝鮮からのものと思われる遺骨が複数ある。
「そもそも、ご遺体が浜に打ち上げられても、身元が特定されるケースは少ないのです。海を漂っている間に衣服は剥がれ、遺体は水を吸って腐敗しています。遺体が船内から発見されたり、身元や国籍を特定できたりする遺留品がない限り、名前や国籍を特定するのは極めて難しい。ここにあるのは佐渡全土で見つかり、火葬され、ご遺骨になったものです。葬式はあげてはいません。あくまで身元がわかるまでの間、保管させていただいているだけです」
こうした、住所や氏名が不明の遺体は「行旅死亡人(こうりょしぼうにん)」と呼ばれる。佐渡市社会福祉事務所の大屋広幸所長はこう説明する。
「身元不明のご遺体は、海で亡くなったものに限らず、全て司法解剖後、警察から連絡を受けた私たちが火葬場の予約をし、霊柩車を手配して検察庁までお迎えに行きます。火葬の際には真楽寺のご住職にも立ち会ってもらい、お経をあげてもらいます」
官報にはこうした行旅死亡人の情報が掲載されている。昨年12月にはこのような情報が掲載された。
「本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20代の男性、身長169センチ、着衣紺色Tシャツ 青色半ズボン。所持品ウキ(高さ28センチ位、直径30センチ位)。上記の者は令和元年11月13日佐渡市小比叡、青少年海の家第一サービスセンターから北東図測850メートルの素浜海岸にて発見され死後1~2ヶ月経過と推定されます。遺体は火葬に付し、遺骨は当市の真楽寺に保管してありますので、心当たりの方は、当市社会福祉課まで申し出てください。令和元年12月9日。新潟県佐渡市長 三浦基裕」
大屋所長によると、遺骨は「行旅病人及行旅死亡人取扱法」に則り7年間、真楽寺で保管される。その間に引き取り人が現れない場合は、市が再度、遺骨を引き取り、市の共同墓地で無縁仏として永代供養をするそうだ。真楽寺が行旅死亡人の遺骨を預かるようになったのは、2004年の市町村合併後のこと。佐渡市には、およそ500の寺社があるが、その中で行旅死亡人の遺骨を預かるのは真楽寺しかないという。預かる側の三浦住職の心中は複雑だ。
「本来、地域の寺というのは檀家さんのためにあるので、身元不明のご遺骨をそれらと一緒くたにはできない。今は本堂の脇で預からせていただいていますが、遺骨は場所もとる上、きちんと保管する責任もある。そして7年間預かったとしても無償なのです」
それに――。三浦住職は佐渡ならではの事情をこう続けた。
「実は拉致被害者の一人である曽我ひとみさんが、この寺のある地域の出身で、拉致された現場もすぐ近くなんです。未だ解決していない拉致問題を抱える佐渡では、北朝鮮に対して様々な意見があるのも事実です」
北朝鮮の人の遺骨を保管することに批判はあるか、と三浦住職に尋ねると、「誰も分け隔てなく弔うことが私の仕事です」とだけ答えた。
北朝鮮の木造船や北朝鮮の人と思われる遺体が流れ着く佐渡の海。そこはかつて北朝鮮が日本人を拉致した恩讐の海でもある。そうした島民感情への配慮なのだろうか。今回、佐渡市が管理し、無縁仏として永代供養をしているという共同墓地の取材は許可が下りなかった。
しかし、三浦住職によると、まれに寺に遺骨を引き取りにくる人がいるという。
「数年前に日本赤十字社の方が、朝鮮総連からの依頼で、遺骨を取りに来たことがありました。当初、朝鮮総連のスタッフも来るというので、市長をはじめ、佐渡市役所の方が立ち会うことになっていたのですが、結局、来られたのは日本赤十字の方のみでした。その後、朝鮮総連を介して、遺骨は本国へと戻されたそうです」
返還される遺骨もある
前出の大家所長によると、日本赤十字社に引き渡した北朝鮮の人と思われる遺骨は、2016年度に7柱、2017年度に2柱。実は木造船の船首と船尾に書かれた数字は、木造船が所属する地域と船を特定する番号だということが分かっている。つまり、木造船の中で遺骨が発見された場合には、船の所有者が理屈の上では特定できることになる。しかし、北朝鮮と日本との間に国交はない。日本赤十字社はどのように遺骨を返還しているのだろうか。問い合わせたところ、文書で回答があった。原文のまま、以下に紹介する。
「それぞれ身元不明の漂着遺体(遺骨)のうち、市町村様のご判断で、北朝鮮のものと疑われるケースについて、身元確認を行いたいご意志(つまり返還するご意志)がある場合、弊社日赤から必要情報を北朝鮮の赤十字に当たる朝鮮赤十字社に提供して照会します。朝鮮赤十字社が当該遺体(遺骨)を北朝鮮のものと判断し、返還を希望した場合、弊社でご遺骨をお受け取りしたのち、朝鮮赤十字社が指定する本件の国内代理人である朝鮮総連にお引き渡しいたします」
北朝鮮の人のものと思われる遺骨を返還するか否かは、各自治体の判断ということのようだ。おそらく、行方不明者の家族は海で亡くなったことは分かっても、まさか、その遺骨が日本で保管されているとは思いが及ばないのであろう。日本赤十字社は、朝鮮半島に眠る日本人遺骨の回収を続けている。そのつながりで返還の仲介しているのだろうか。日本赤十字社に対して、その点を質問したものの、先に紹介した文書以外のことについては答えられない、とのことだった。
ただし、具体体的な市町村の名前については出せないとした上で、初めて過去5年間で北朝鮮に返還した遺骨の総数を日本赤十字社は明らかにした。
2019年 6柱 (2市町村)
2018年 21柱(5市町村)
2017年 11柱(2市町村)
2016年 32柱(4市町村)
2015年 0柱
違法操業とはいえ、祖国の土を踏むことができずに眠る遺骨は佐渡だけでなく全国にある。遺骨の返還を望む家族も北朝鮮にはいるだろう。国交がない両国だからこそ、政治問題とは別に日本赤十字社のような人道支援の糸が切れてはならない。木造船の漂着は日本海に春の訪れを知らせる3月中旬まで続く。
中原一歩(なかはら・いっぽ)
1977年生まれ。ノンフィクションライター。「食と政治」をテーマに雑誌やウェブで執筆している。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』。最新刊に新書『マグロの最高峰』(NHK出版)がある。