「鏡を見たら、自分はパズーの顔じゃないし、空から女の子は降ってこない。現実はこっちだということに気付くわけですね。それがとにかくすごい絶望だった」。小学生の頃、『天空の城ラピュタ』を見終えて、物語が幕を閉じる寂しさに襲われたという。BUMP OF CHICKENのボーカルで、作詞作曲を手掛ける藤原基央。創作の原点には、漫画やアニメ、ゲームがある。デビューから約20年が経ち、キャリアを重ねた今も、BUMP OF CHICKENの楽曲は少年少女の心を惹きつける。その理由に迫った。(取材・文:柴那典/撮影:太田好治/Yahoo!ニュース 特集編集部)
(文中敬称略)
なぜ10代を惹きつけるのか
BUMP OF CHICKENのメンバー4人が出会ったのは幼稚園時代、バンドを組んだのは中学生。音楽を始める前から4人は親友だった。日が暮れるまで夢中で石蹴りをして遊んでいるような、幼なじみの仲間だった。1996年の結成から20年以上経った今も、藤原基央と、増川弘明、直井由文、升秀夫の4人の関係は全く変わっていない。
「いまだにバンドをやってるなんていう未来は全く想像できてなかった。明確なビジョンは何もなかったですね」
藤原は結成当時をこう振り返る。「一緒に遊んでるのが何よりも楽しかった」というバンドは、いまや大型野外フェスのヘッドライナーをつとめ、スタジアムに数万人を集めるような存在になった。
ライブに訪れて気付くのは、観客の世代の幅広さだ。メジャーデビューは2000年。キャリアを重ね、数々のヒット曲を持つバンドだが、客席には最近になって彼らのことを知ったであろう少年少女の姿も目立つ。
なぜ、今もBUMP OF CHICKENは10代の心を惹きつけ続けるのか。
その理由の一つには、ソングライターの藤原基央が子どもの頃から変わらずに抱き続ける思いがある。藤原が自身のルーツの一つとしてあげるのが、幼い頃に出会った漫画やアニメやゲームの数々だ。
「幼稚園か小学校低学年の頃に、母親に藤子・F・不二雄先生が描いた『大長編ドラえもん』のコミックス版を買ってもらって集めてたんですね。手塚治虫先生の『火の鳥』もありました。『火の鳥』は小学生、中学生の時も面白いと思って読んでいたんですけれど、高校をやめていろいろあった時に読んだら、それまでと全然別の響き方をしたんです。今でも時々、無性に読みたくなって読み返します。ゲームだったら『ドラゴンクエスト』と『ファイナルファンタジー』(FF)はどっちも大好きです。他にもたくさんあるんですけれど、そういう優れた作品から自分が受け取ったものは大人になっても大切なものだし、むしろ大人にならないと意味の分からないこともある。そういうものと自分は出会ってきた感覚があります」
『ラピュタ』を見た後の絶望
漫画家、アニメやゲームの作り手に憧れていた。物語の続きを作りたい。その思いが、少年時代の藤原を駆り立てた。
「小学生の時にテレビで『天空の城ラピュタ』を見たんです。ハラハラドキドキしながら見ていて、気付いたらエンディングになっていた。終わったら、急に日常の現実が戻ってくるんですね。明日は普通に学校があるし、お母さんに『お風呂に入って早く寝なさい』って言われたりする。そうして鏡を見たら、自分はパズーの顔じゃないし、自分が住むのは炭鉱の町みたいなところでもないし、空から女の子は降ってこない。現実はこっちだということに気付くわけですね。それがとにかくすごい絶望だった(笑)」
「そこでパズーやシータがその後にどういう日々を過ごしていくのかを想像したんです。『ドラクエ』や『FF』をクリアした時にも同じことを思いました。彼らにはその後の物語がきっと存在する。でも、それを知るすべは自分にはない。じゃあ、俺は作る人になればいいんだと思ったんです。そうすればこの寂しさを感じなくて済む。そこから、漫画家か、ゲームを作る側にいたいと思った。最初の夢がそれでした」
音楽との出会いは、ゲームやアニメが入り口だった。
「自分が『この曲、いいな』と思って聴いていたものの記憶をたどっていくと、最初はゲーム音楽なんですよね。『ドラクエ』や『FF』だった。あとはアニメの主題歌ですね。子ども向け雑誌の付録でアニメの主題歌がまとまってるカセットテープがあって、死ぬほど聴いていた。すごく大きかったと思います」
漫画やアニメやゲームに夢中になる一方、家族の影響で80年代のポップスやロックを聴く毎日を過ごしていた。
「小学生の頃にマイケル・ジャクソンが姉と母のヒーローだったんです。『スリラー』が出た頃から、一日中MTVが家で流れていた。だから、マイケル以外もたくさん見ました。姉と母の影響でビリー・ジョエルも好きになったし、当時流行(はや)っていたハードロックも聴いてました。姉が書き起こしてくれたカタカナの歌詞を見ながら、よくマイケルの曲を真似して歌ってました」
幼少期から、藤原はよく歌う子どもだった。
「子どもの頃、お手伝いでお皿を洗いながら歌ってたら、お母さんが『上手ね』って褒めてくれて。その後に『こんなふうに楽しそうにやってくれるとこっちも気分が良くてうれしいわ』って言ってくれたんですよ。僕はすっかり気を良くして、それ以降はいろんな場所で歌ってました。家でも、学校でも、登下校の道でも歩きながら歌ってました。『ドラクエ』の竜王のテーマを授業中に耳を塞いで目を閉じてずっと口ずさんでいて、先生にすごく叱られたのを覚えています(笑)」
ゲーム音楽やアニメの主題歌、マイケル・ジャクソンのようなポップソングだけでなく、オリジナルの曲も子どもの頃から口をついて自然と歌っていたという。
「今でも覚えているのは、4歳か5歳の時に『たんこぶの歌』というのを作ったことですね。ピアノに思い切り頭をぶつけて、同時に鼻水がビシャッて出て、だんだん痛くなっていって。『たんこぶってこうやってできるんだ』って感じて、そこから歌になったんです」
歌う先に“あの日の俺”がいる
増川弘明、直井由文、升秀夫も、やはり同じような漫画やアニメやゲームに触れて育っていた。別の小学校に通っていた3人は、中学で藤原と再会する。そこでBUMP OF CHICKENが結成された。
「中学2年生の時、升くんのクラスは七夕にお願い事を書いた短冊を飾っていたんですけれど、升くんがそこに『ベースが欲しい』と書いたら『ドラムが欲しい』って書いた別の友達がいて、それで『俺たちでバンドを組もうぜ』という話になった。その時に『いつも歌ってるからあいつを誘おう』と隣の隣のクラスだった俺のことを誘ってくれた。よく休み時間に歌ってたんで、学年でも結構有名だったみたいなんです」
地元の千葉県佐倉市で友達の前だけで演奏していたバンドは、下北沢を拠点に活動するようになり、急速に支持を広げていく。
2000年にバンドはメジャーデビュー。2001年に発売されたシングル「天体観測」が大ヒットとなり、バンドの知名度は一気に全国区となった。しかしそのことは4人にとってプレッシャーにもなったという。
「景色がいきなり変わって、すごく戸惑いました。それで、すごく怖くなった。元々4人だけのインナー思考だったのが、さらにそうなったというか。当時は、自分のやってることがちゃんとお客さんに届いてるのか、信頼しきれなかったんだと思います。それで、より4人は4人だけの言語でしゃべるみたいな雰囲気になってきた。一番訳が分からない時期でしたね……」
それでもバンドが歩みを止めることは一度もなかった。歌詞が書けずスランプに陥った時期もあったが、藤原は、一つ一つの曲を、自分に向き合いながら誠実に書いてきた。
「自分基準でいいメロディー、いいコード進行、いいリズム、これが音楽にとって最も重要な三つの要素だと思っているんです。そこで最初に起こる衝動や感動が全てだし、何かを作っていく動機になってるんです。毎回それに忠実に動くしかない。だから、書ける時はすげえ書けるし、書けない時は全然書けないんです。若い頃に『ロストマン』という曲を作った時は、9カ月経っても何も出てこなかった。今も歌詞を書きながらギターを弾いてみるのを3〜4時間繰り返して、何も出てこなくて『ダメだ、今日は帰ろう』みたいになったり。そういう日々の繰り返しです」
曲作りはいつも孤独な作業だ。そんななか、藤原にとって支えになったのが、リスナーの存在だった。
「お客さんから受け取ったものはとても大きいです。特になかなか曲が書けなかった後、『jupiter』や『ユグドラシル』というアルバムを出した頃は、お客さんが『もっと信じろよ』って言ってくれてる感じがした。僕は一度信じるとめちゃめちゃ強いんです。だから今は、心を込めて投げた音符を必ずリスナーが受け取ってくれるはずだと信じきっているんですね」
たとえ数万人が集まった大規模なライブの場でも、藤原は集まったオーディエンスの一人ひとりに語りかけるように歌う。一対一の関係を結ぼうとする。
「広い会場でライブをやって大勢の人が来てくれたという事実に本当に感謝しているのは間違いないんですけど、僕は、何万人がいても『一対大勢』とは思えないんです。目を閉じて歌えば『一対一』という感覚になる」
藤原にとって、ファンやリスナーは「かつての自分」と同じ存在だという。
「自分は漫画にもアニメにもゲームにも一人で触れてたし、そこから得たものは自分一人の宝物だった。音楽もそうでした。ラジオやCDから聞こえてくる声と一対一の関係性で育ってきた。だから自分が曲を作って歌う時も、その感覚が強いんですね。レコーディングのブースで歌っていても、3万人がいるステージで歌っていても、歌う先には明確に“あの日の俺”みたいなヤツがいるんです」
見たことのない世界に行ってみたい
作った楽曲がアニメや映画、ドラマ、CMの主題歌タイアップに起用されることも少なくない。最新アルバム『aurora arc』にも、テレビアニメ『3月のライオン』のオープニングテーマ「アンサー」、映画『億男』の主題歌「話がしたいよ」など、数々の楽曲が収録されている。藤原には、こうしたタイアップ曲を作る時の“流儀”があるという。
「まず、その作品と同じ方向を向けるというのが大前提としてある。元々僕らが大好きな漫画がアニメ化される場合もあるし、脚本を読んですごく感動するような場合もあります。何より、ご一緒させていただく作品に対してのリスペクトがある。その上で、曲を書く時には、自分たちが表現するフィールドと先方が表現するフィールド、その円と円が重なる部分で曲を書こうと思っているんです。主人公が女の人だから女の人の言葉にしたり、何かのキーワードを使ったり、作品に無理に寄せる必要はない。表現してる世界の共通項のなかでいつもどおり自分の曲作りをするという感覚でやっています」
アルバム『aurora arc』は、彼らがこうして作ってきた楽曲を一つにまとめた、いわば3年半のドキュメントのような仕上がりになっている。タイトルが決まったのは制作の最終段階だった。
「タイトルを思いついたのは今年の3月頃でした。その前に書いた曲が『Aurora』だったんで、やっぱりオーロラにまつわる言葉のイメージがあったんですね。最初は『オーロラツアー』みたいなタイトルを思いついていたんですけれど、言葉の響きにピンとこなかった。で、オーロラについてネットで調べているうちに、『◯月◯日に観測されたオーロラアークの写真』みたいな感じで『オーロラアーク』という言葉に出会ったんです」
「カタカナで書いてあったから、僕はアークを方舟(はこぶね、Ark)のことだと思ったんです。『オーロラの方舟の写真ってどういうことだろう?』って。でも、ちゃんと調べたら弧(Arc)のことだった。弧を描いたオーロラの形状の名前だったんです。でも、その言葉の響きも、自分の勘違いも含めて『なんかすげえいいじゃん!』って思ったんですね。そういうことを長めの文章に書いてバンドメンバーにLINEで送ったら、みんなも『なんかすげえいいじゃん!』って(笑)。そこから決まりました」
4人は実際にオーロラを見に、メンバーでカナダのイエローナイフを訪れた。
「オーロラは、自分の日常とはかけ離れた『いつか見てみたい』と思うものの一つでした。特に僕ら4人はゲームが好きで、みんなでよくやっていた『桃太郎電鉄』シリーズの『桃太郎電鉄USA』でイエローナイフという町を知っていたんです。『あそこに行けばオーロラが見えるんだな』って、何度も深夜に語り合っていたりしていた。オーロラを見に行くという行動そのものにピンときたんですよね。だから、たとえ行った時に曇っててオーロラが見えなくても、その曇り空がジャケットになったらそれでいいと思えた。俺たちがオーロラを見に行って、その時の空が写真になって、ジャケットになれば、それ以上の意味はないだろうって」
彼らの代表曲「天体観測」の歌詞には《見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ》という一節がある。
BUMP OF CHICKENというバンド、藤原基央というソングライターの創作の原点には「見たことのない世界に行ってみたい」「物語の続きを知りたい」という憧れがあった。そして彼は今も、たくさんの作品に胸を揺さぶられた「かつての自分」と同じようにリスナーと一対一で向き合おうとしている。そういうロマンが、音楽にみずみずしく息づいている。
藤原基央(ふじわら・もとお)
1979年、千葉県出身。1996年、藤原基央(Vo&G)、増川弘明(G)、直井由文(B)、升秀夫(Dr)の4人でBUMP OF CHICKEN(バンプ・オブ・チキン)を結成。2000年、シングル「ダイヤモンド」でメジャーデビュー。最新アルバム『aurora arc』が発売中。「BUMP OF CHICKEN TOUR 2019 aurora ark」が7月12日から開催。GYAO!特集ページ
柴那典(しば・とものり)
1976年、神奈川県生まれ。ライター、編集者、音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立。音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー、記事執筆を手掛ける。著書に『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』『ヒットの崩壊』、共著に『渋谷音楽図鑑』など。
最終更新:2019/7/13(土) 23:33