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殿村誠士

方言丸出し、暑苦しさ全開、漂う昭和感――地方発、ご当地アイドルの「下克上」

2019/07/13(土) 09:48 配信

オリジナル

東京や大阪の大手芸能事務所に入ることが定石とされてきたスターへの道。歌番組は減少し、若者のテレビ離れも顕著な今、ネットの伝播力を武器に全国のファンを獲得する「ご当地アイドル」が増えている。名古屋発の男性グループBOYS AND MENはその先駆けとも言える存在だ。愛する名古屋を起点にしながら、日本各地を往来する。新しい芸能の在り方を切り開こうとする彼らの、ファンたちを惹きつけてやまない独自の魅力とは。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース 特集編集部)

東海地方からオリコン1位に

2016年夏、日本の男性アイドルシーンに激震が走った。オリコンのデイリーランキングで、ジャニーズ事務所の新進アイドルグループ・Kis-My-Ft2の「Sha la la☆Summer Time」が、2位に甘んじたのだ。 その日、1位を獲得したのはBOYS AND MENの「YAMATO☆Dancing」。東海地方を拠点とする彼らが、地方からの乱のように、1日だけとはいえ男性アイドルシーンで下克上を果たした。 それは、解散前のSMAPの活動が流動的ななかでの出来事。ジャニーズという絶対王者を向こうに回し、地方からのカウンターのように登場してきたのがBOYS AND MENだった。勢いに乗った彼らは、それ以降もオリコン1位を連発。同年には第58回日本レコード大賞新人賞を受賞する。

翌年、日本武道館で初のワンマンライブを成功させた後、約3か月で47都道府県を回るコンサートツアーを完走。そして今年、結成史上最大規模のナゴヤドーム公演を行うに至った。

地方発男性グループの象徴に

2005年以降、AKBグループの成功を起因に、全国的にさまざまな「ご当地アイドルグループ」が誕生。そこに、ご当地男性グループも現れた。BOYS AND MEN、通称ボイメンはその1つで、2010年の結成。東海地方出身・在住のメンバーで構成されている。

「ご当地アイドルグループ」ブームに乗って誕生したものの、すでに活動終了した男性グループは少なくない。いま本格的に活動しているご当地男性グループの多くは、ボイメンのブレーク以降、ここ2〜3年で結成されたもの。いまや「ジャニーズ並み」とも称される人気となったボイメンの成功が、追い風となっているのは間違いない。

▼現在活動中の、主なご当地男性グループ▼
【北海道】「NORD(ノール)」(2016年〜、7人組)
「White Explosion(ホワイトエクスプロージョン)」(2016年〜、6人組)
【東海】「MAG!C☆PRINCE(マジック・プリンス)」(2015年〜、5人組)
【関西】「京都男子」(2016年〜、3人組)
【九州】「九星隊(ナインスターズ)」(2017年〜、4人組)

ボイメンのトレードマークは、和風の刺繍が施された「ヤンキー風学ラン姿」。現在メンバーは24歳から30歳だが、「何歳になっても、学ランといえばボイメンと呼ばれたい」と独特のスタイルを貫く。彼ら自身は、「アイドルグループ」ではなく、「エンターテインメント集団」を自称。演劇、歌、ダンスに加え、地元テレビ局ではバラエティーを中心にさまざまな番組に出演する。最近は全国レベルで個人としての俳優・タレント活動も増えた。名古屋での知名度は不動のものとなり、「名古屋観光特使」「愛知県警察広報大使」などにも就任している。

名古屋の「顔」、そしてご当地男性グループの象徴的存在となったボイメンだが、一方で全国に名をとどろかすまでには10年近い歳月を要した。時にはメンバー同士でぶつかり合いながら、それでも夢を諦めることなく熟成させて、ここまで上ってきたボイメン。今、彼らは何を思うのか。東京でのイベント終了後、名古屋へ戻る新幹線の終電前に、話を聞いた。

ネットの力が僕らを押し上げた

――地方発男性アイドルグループとして、今どんな位置にいると思いますか?

水野勝

水野勝(リーダー):10年前は特に、僕たちのような形態の地方発男性グループというのはなかった。「誰もやったことがないことをやってみよう」というところからスタートしたんですが、地方から始まり、地方を盛り上げるためにというスタンスは新鮮だったと思います。新しい芸能のカタチをつくるきっかけになれたんじゃないかな……と。そして、僕らを全国区に押し上げてくれたのは、ネットの力が大きいと思います。

吉原雅斗:出演する東海地区のテレビ番組を、放映されていないエリアの人たちがネットでチェックしてくれていて。九州や山陰地方など、離れたエリアのファンの方々も「待ってたよ!」って声をかけてくれて、ね。

吉原雅斗

本田剛文:海外でもファンクラブのようなものができたりして、世界規模で広がるネットの影響力を感じています。今は、ほかにも地方発の男性グループができてきていますし、先駆けになれたんだとしたら、嬉しいですよね。

東京で実績を残さないと地元に還元できない

本田剛文

――地元に軸足を置いて活動することに、デメリットを感じることは?

水野:ほかの地方発グループでも共通の課題と思いますけど、「ある程度東京で実績を残さないと地元に還元できない」ということ。これは、この10年でひしひしと感じています。地元で知っていただいたことを、もう一度、一から全国で頑張って見せるという、山を二つ越えなければならない難しさはあります。でも、だからこそ、地元に凱旋できるときの気持ちよさはあるし、応援してくれる地元の方々へ返せるものが多いと信じてやっています。

――アイドルグループではなく、「エンターテインメント集団」と自称する理由は?

土田拓海:僕たちのスローガンは、「雑草魂」。泥臭い、暑苦しい、汗臭いというイメージ全開でやってます。こんなむさ苦しいイメージで売ってるグループは、ほかにはないんじゃないですか(笑)。アイドルの枠にとどまらないというか。

土田拓海

水野:魅力というと、絶対的な地元愛と、「夢は諦めなければ、必ず叶う」というメッセージを体現しているところ……かな。基本的には、それぞれに任せて個人の活動をすることが多いんですけど、全員、雑草魂の「ボイメンイズム」を大切にしていると思います。

新幹線移動ができる喜び

――約10年にわたる活動期間のなかで、特に嬉しかったことは?

辻本達規

辻本達規:メンバー全員でテレビ番組「めちゃ×2イケてるッ!」に出られたこと!
田村侑久:ナゴヤドームでライブ!
平松賢人:日本レコード大賞新人賞!
小林豊:初めてミュージカルで、スタンディングオベーションをしてもらったときかな……。
勇翔:地元のテレビ局が協力してくれて、一つの映画をつくれたこと。
土田:グループでテレビの冠番組を持てたとき。
水野:オリコンチャートで1位になったとき!
本田:ライブで、お客さんが1万人ホールに集まってくれたことかな……。
吉原:新幹線移動ができるようになった!

一同:ああ〜!!(賛同)

田村侑久

吉原:前は、ボイメンカーって呼んでたバンに乗って、全国を移動していたんです。僕たち、けっこう背が高いヤツが多いんで、背中も丸めて、足も折り曲げて……。名古屋から東京に着いたときには、もうボロボロでしんどい状態で。だから、今度から新幹線で移動ですよって言われたときは、めちゃめちゃテンション上がりました! ついに新幹線に乗れるようになったか〜って。次は、目指せグリーン席(笑)。

――現在のボイメンに至るまでの間で、つらかったこと、苦しかったことは?

水野:それはもう、いろいろありました(笑)。ミュージカルの公演にもお客さんが集まらなくて、150人規模のホールに、ゲスト1桁のときもありましたし。途中で稽古場もなくなってしまったから、公園で練習することになったり。公園は、スペースを使うために、サークル活動をしている人たちと取り合いでした。

平松賢人

小林:公園では、まず最初にみんなでゴミ拾いをしてから練習するのを習慣にしていたよね。チラシを配ったり、チケットのもぎりとか、会場の設営もやらせてもらったり。マネージャーもいなかったですし、ライブのときに支給されるご飯がおにぎり1個っていうときもあったかな。おにぎりもないときは、スープをみんなで飲んで空腹をごまかした(笑)。パン屋さんでパンの耳もらって食いつないでたヤツもいたよね。

辻本:それ、僕(笑)。

田村:サラリーマンだったんですけど、親に内緒で会社を辞めたので実家に帰れなくて。会社の寮にまだ残っていた友達のところへ遊びに行って、毎回ご飯をタッパーに詰めてもらったりしてました。

水野:みんな、つらかったエピソードを言い出したらきりがないんですけど(笑)、何よりも一番苦しかったのは、売れない期間そのものなんじゃないかな。「どれだけ頑張れば結果が出るんだろう」という不安の中で、焦りも感じたし、メンバーそれぞれが悩んでいたと思う。見えないゴールのために走るということが、すごく難しいと感じていました。

――メンバー同士のコミュニケーションの図り方には、何かルールがある?

勇翔:コミュニケーションは、ぶつかり合い(笑)。昔は、ほぼ毎日誰かが喧嘩してた。

勇翔(ゆうひ)

本田:雑草魂の男たちなので。手が出るくらいの勢いとか、血気盛んなころがありましたね。

勇翔:調整に入ろうとしたリーダーも熱くなっちゃったり。でも、意見交換としてはみんな熱くなることがあります。何でも、本気で話し合うので。昔の僕は、喧嘩仲裁係でした(笑)。

水野:長い付き合いですから。今はお互いのことを理解していて、喧嘩は減りましたよ。でも、それまでにぶつかり合ったからこそ、相手のことがわかったわけで……。今は、ちょうどよくコミュニケーションが図れていると思います。

「名古屋の町おこしお兄さん」として

――今後の目標は? また、まだボイメンを知らない名古屋圏以外の人たちに、どのようにアピールしていくべきだと考えている?

平松:エリア研究生という、僕らの後輩たちが活動をしているんですが、彼らが各地方で活躍するためには、僕らの知名度をもっと上げなきゃいけないと思います。

小林:全国ツアーに出て、ファンのみんなに会いに行きたい。ホールも全部パンパンにしたいね。

小林豊

吉原:ボイメン主催のフェスも夢です。名古屋でおもてなしフェスができたら最高。

勇翔:ボイメンが、名古屋の歴史に残る伝統芸能のようなものの礎になれたら……。

水野:「名古屋の町おこしお兄さん」として、僕らの活動がどれくらい地元に還元できているかが重要。広く個人での活動もしながら、地元に貢献できる仕事をたくさんすること。そこをきちんと積み重ねていけば、地元以外の全国の皆さんにも「ただのアイドルグループじゃないんだな」とわかっていただけると思うんです。

特徴ある名古屋弁のアクセントを交えながら、時に突っ込み合い、屈託なく笑うボイメンのメンバーたち。「こんなふうに10年を振り返ってもらって何ですけど、僕ら、まだまだ何も成し遂げてないんで」(水野)と、どこまでも謙虚だった。

ボイメンが単なるネットアイドルにとどまらないのは、昭和を感じさせる泥臭さ、義理堅さ、そして潔いまでのローカリズムが、人々の共感を呼ぶからだろう。イケメンたちが方言を丸出しにして、何ごとにも汗だくで取り組んでいる姿を見ると、つい熱心に応援したくなってしまう。もちろん、名古屋出身でなくとも、だ。

BOYS AND MEN
2010年に結成された東海エリア出身・在住の10人のメンバーで構成されたエンターテイメント集団(取材時は9人)。東海エリアを中心にテレビ・ラジオのレギュラーを多数持ち幅広く活動、歌・ダンス・芝居だけでなくミュージカルなどもこなす。2016年「第58回輝く!日本レコード大賞新人賞」を受賞。ソロとしてもドラマ、映画、バラエティー番組出演など様々な分野で活躍する。2019年1月14日にナゴヤドーム単独ライブを開催。その模様を追った写真集『BOYS AND MEN THANKS! AT DOME LIVE』(講談社)が発売中。2020年アリーナツアー開催が決定している。


(最終更新:2019/7/14 18:15)

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