「檻ん中には戻りたくない。けど、戻るしかなかった。だってご飯が食べれるけん」。元受刑者の男性はそう話した。交通事故で障がいを負い、仕事も住む場所も失った。無銭飲食を繰り返し、たどり着いた先は刑務所――。この男性のような人々の社会復帰を粘り強く支える人たちがいる。罪を犯した障がい者や高齢者を支え、司法から福祉への橋渡しを担う「地域生活定着支援センター」の職員たちだ。事業開始から10年。職員の思いをたどった。(文・写真:吉田直人/Yahoo!ニュース 特集編集部)
「あの日が大きな転換点でした」
「何か変わるきっかけを求めていたのに、何も見つからない。心では『これじゃいかん』と思っていても、つらくなると、逃げ場を探し続けていたんです」
長崎県雲仙市に住む渡辺和樹さん(33)=仮名=は、自身の過去をこう振り返る。
渡辺さんは、精神障害者保健福祉手帳を保持している。発達障害の一つである自閉スペクトラム症。こだわりが強かったり、視覚的な刺激に過敏だったりという特性があった。
過去の職場では障がいの特性をなかなか理解してもらえず、「わがままな人」と見られていたという。
「頑張っているつもりでも、認めてもらえない。どこかに居場所を求めてしまうあまり、何十回も放浪を繰り返して、どの仕事も長続きしなかったんです」
電車を見ると、衝動を抑えられず飛び乗った。「無賃乗車はダメ」という認識はある。それでも、所持金がなくなると、寺社の賽銭(さいせん)を盗んで切符を買い、乗り継いでいく。度重なる窃盗により、少年院の入所歴も数度あった。
およそ8年前、窃盗罪で刑務所に入った。「懲役1年」の刑を終えた後は自宅に戻る予定だったが、親族側の事情で難しくなったという。
社会での居場所を失った渡辺さんをどうするのか。
動いたのは「長崎県地域生活定着支援センター」の職員だ。罪を犯した障がい者や高齢者を、刑務所から福祉につなぐ橋渡し役である。当時は一相談員で、今は所長を務める伊豆丸剛史さん(43)が、保護観察所に支援の必要性を訴え、渡辺さんの帰住先と更生計画を整えた。
出所した渡辺さんは、受け入れ先の福祉施設で暮らし始めた。5年前からは福祉作業所の製麺工場で働き、「手延べそうめん」の棚卸しや出荷作業を任されている。箱の数を素早く数えるのが得意で、月末の棚卸しには不可欠な存在だという。
渡辺さんは言う。
「(棚卸しを任されて)もしかして(自分にも)やれるんじゃないか、と。初めて自信がつきました」
訥々(とつとつ)とした語り口ながら、自身の仕事に話が及ぶと、力がこもった。
「自分の中で責任感が生まれたように思います。製品をちゃんとお客様の元へ届けようという思いで、仕事を続けてきました。(支援を受け始めた)7年前のあの日が、私にとって大きな転換点でした」
司法と福祉のつなぎ役
4月上旬の朝。センター所長の伊豆丸さんは、事務所のある諫早市から車で長崎市へ出向いた。車で40分ほどかかる。
その数日前のこと。
高齢男性が刃物を持って自宅周辺を徘徊(はいかい)し、銃刀法違反容疑で逮捕、勾留されていた。しかし、不起訴となり、近いうちに釈放される見込みだという。検察からは「認知症の疑いがあるので、釈放後の支援を手厚く」という依頼が寄せられていた。釈放まで、日にちはそれほど多くない。
長崎市に到着すると、伊豆丸さんは次々と関係者を訪ねた。保護観察官、弁護士、ケアマネジャー……。間もなく釈放される高齢男性と接点があったり、今回の事件に直接関わったりした人たちだ。
社会に戻った高齢男性には、どんな支援が必要か。どんな接し方が求められるのか。それらを聞き出し、具体策を練っておくためである。このうち、ケアマネジャーの谷口まきさん(仮名)とは、病院の一室で向き合った。この高齢男性を8年前から担当している。
谷口さんによると、本人に認知症の診断は出ていなかった。ただ、普段の訪問時から気になることがあったという。
谷口さんが説明する。
「家にビールが2ケースくらいストックされて、冷蔵庫も二つあって。深夜に泥酔状態で福祉事業所に電話を掛けてきたり、道端で倒れているのを地域包括支援センター(高齢者支援の総合窓口)の方に介抱されたり。認知症ではなくて、アルコール依存症じゃないかと思うんです」
事件の影響で介護保険の更新手続きも保留になっており、居宅介護支援事業所の一つからは支援を断られてもいた。このまま地域に戻っても、十分なケアは難しいかもしれない————。そして、谷口さんは具体的な見立てを示した。
「少なく見積もって週2回のヘルパー支援が入ることができたら、(間もなく釈放になる高齢男性は)なんとか生活できる。それ以下になると……難しいかな」
普段の飾らぬ様子を見ているから、高齢男性の「いいところ」もたくさん知っている、とも谷口さんは話した。
「それでも(罪を犯すという)一面を見てしまった以上、恐怖心はあります。できれば、ヘルパーさんを1人で行かせるのは避けたい。少人数でいいので、複数の人の目が届く環境で関わりたいのが正直なところです」
「警察は、釈放されたら(その後は関係機関とも)シャットアウト。『連携、連携』って言うけど、司法、行政、福祉と縦割りで。だから福祉と司法、両方の視点を持った伊豆丸さんのような方が支えてくださるのは、すごくありがたいです」
「知らぬ存ぜぬ」ではなく
「地域生活定着支援センター」の仕組みは、厚生労働省の事業として2009年から始まった。長崎では、全国に先駆けて同年1月に開設。2012年3月までに全ての都道府県に設置された。各自治体の委託を受けた社会福祉法人やNPO法人などが実際の運営に当たっている。
主な業務は、矯正施設の出所後に行き場のない障がい者や高齢者に対し、帰住先や福祉サービスの利用調整を行うことだ。受け入れ先が決まった後も、継続的にフォローアップする。近年では、矯正施設に入るか否かにかかわらず、支援を行うことも増えてきた。
背景には、刑務所など矯正施設への入所を繰り返す高齢者や障がい者の存在があった。経済的な苦しさや地域社会に溶け込めないといった事情から罪を犯し、罪を償って出所しても、生活環境は変わらず、再犯にいたるケースが頻出していた。司法と福祉の連携が薄く、センターが開設されるまでは「出所後」の公的な支援体制は整っていなかった。
ケアマネジャーのヒアリングを終えると、伊豆丸さんは警察署に向かった。勾留中の高齢男性と再び面会するためだ。面会は30分ほど。伊豆丸さんは「結構、踏み込んだ会話ができました」と言う。
「アルコール(の摂取)に関して、本人も後ろめたい気持ちはあるようでした。実は、以前にもお酒絡みのトラブルで、アルコール依存症の治療病院に入院したことがあったそうなんです。今回の(刃物を持って徘徊した)事件の日も飲んでいた、と」
ところが、アルコール依存症から脱するプログラムを提供する更生施設を利用してはどうかといった提案に対し、本人は難色を示したという。
「アルコールは自分の意志で一切やめます、と。ケアマネさんが心配していると伝えても、自分一人で暮らせると言っていました」
地域生活定着支援センターでは、支援の押し付けはできない。センターの職員にできることは、あくまでも「提案」と「説得」だ。
「こういう場合は、いっぺん、ご自身にお任せするのがいいと思います。大事なのは、(支援が)途切れないこと。『今だ』というときに、再び支えられるように、です。知らぬ存ぜぬ、じゃなくてね」
「息長く関わる」ということ
伊豆丸さんには、思い出深い元受刑者がいる。いま、51 歳のコウイチさん(仮名)だ。長崎のセンターが開設されて間もないころ、支援を受けた。
コウイチさんは早くに両親を亡くし、中学生のときから非行に走った。少年鑑別所に入ったこともある。
料理人として再出発した矢先、交通事故に遭い、人生は大きく変わった。高次脳機能障害、右半身不随。23歳で障がいを負ったのだ。リハビリを終えて戻ると、離婚。事故で得た賠償金も飲酒や詐欺被害で底をついた。住む場所も失った。障がいを理由とされ、職も見つからない。
そうして暮らしは困窮し、無銭飲食を繰り返した。捕まって有罪。執行猶予刑が確定し、身柄が自由になった翌日、再び罪を犯し、初めて服役した。それ以降、3回、計7年ほどを刑務所で過ごしたという。
「檻ん中には戻りたくない。けど、戻るしかなかった。だってご飯が食べれるけん。寝るときは布団もあるし、着るもんも支給されるから……」
伊豆丸さんは刑務所の面会室で、初めてコウイチさんに会った。センターに支援を頼んだのは、コウイチさんの親戚である。
伊豆丸さんは振り返る。
「(出所直後)彼は、メチャクチャでした。スナックでツケ(による飲食)を繰り返す。『俺はまた刑務所に行く』とケンカ腰で声を張り上げる。金銭管理をしていた社協(社会福祉協議会)に『金返せ』と怒鳴り込む……。でも、私一人ではなく、関係者みんなで関わり続けたら、5年くらい経って、生活が徐々に安定していったんです」
コウイチさんは今、諫早市内のアパートで暮らしている。3日に1回ほどの割合で、近くの福祉作業所に通う。毎週金曜日に渡される生活費で日用品を買い、余裕があれば行きつけのスナックでささやかに楽しむ。
最後に刑務所を出所してから約10年。再び罪を犯したことはない。
コウイチさんは、こうも言った。
「自分の中の天秤が、なかなか横一本にはならなかったとですよ。常に悪い方が勝ってた。ほんとにここ最近です、今の生活が大事だと思うようになったのは。伊豆丸さんたちに、それを教えてもらいました」
その言葉を引き取るかのように、伊豆丸さんは「再犯をする、しないはあくまで結果」と話した。
「生きづらさを抱えてずっと生きてきたのだから、福祉につながったからといって、ピタッと生活が良くなることなんてない。失敗しても、また一緒に頑張りましょうよ、というぐらいの姿勢でいいと思っていて。そうでないと、支援をする側もされる側も、息苦しくなってしまう。息長く関わることが大切なんです」
「知ること」で社会を変える
伊豆丸さんは、若い世代との交流にも力を注いでいる。
長崎の大学で医療・福祉を学ぶ学生たちに向けて講演し、耳を傾けた学生との交流が続く。刑務所の矯正医官を志したり、実際にセンターに就職したりした学生もいるという。
昨年6月には、東京大学教養学部の自主ゼミナール「『障害者のリアルに迫る』東大ゼミ」で講義した。学生の今井出雲さん(23)は「衝撃でした」と振り返る。
「障がいのある人が罪を繰り返して刑務所に入っていることも、そんな人たちに対する支援があることも知らなかった。当時は大学院進学を考えていましたが、伊豆丸さんのように、複合的な福祉の現場で働いてみたいと思うようになりました」
今井さんは大学を休学し、今は千葉県で生活困窮者や生きづらさを抱える人々を支援する事業に携わっている。
東京大学などの学生が長崎の大学生と交流を始めるなど、新たなつながりもできつつある。
センターの事業が始まってから10年。
2016年12月には「再犯防止推進法」も施行され、この問題への関心も高まってきた。厚生労働省の全国集計によると、2017年度のセンターの支援実施件数は4948件。2013年度の3762件に対し、約3割増加している。
伊豆丸さんは、センターの仕事を「出会いの起点をつくっていくこと」と表現した。
「学生たちとの交流を通して、罪を犯した人の背景には何かあるんじゃないか、と考えてくれる人が増えているように思います。司法と福祉の課題を知った若い世代が、タンポポの種のように各地域に飛んでいく。その結果、社会に何らかの化学変化が起こるかもしれません。それが、センターの仕事を通して見えてきた景色です」
吉田直人(よしだ・なおと)
1989年、千葉県生まれ。中央大学卒業後、広告会社勤務を経て2017年よりフリーランスライターとして活動中。Frontline Press所属。