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大池直人

「非凡なことに挑戦し続ける平凡な存在でありたい」――国民的スターになった異色のミス・ベトナム、その半生

2019/04/26(金) 09:03 配信

オリジナル

「14歳で結婚を勧められ、何者でもなかった私が、今ここにいます。私にはできたし、あなたにもできます」――。昨年12月に行われたミス・ユニバース世界大会で、5位に入賞したベトナム代表ヘン・ニエさん(27)の受賞スピーチは、会場で大きな喝采を浴びた。ヘンさんは、ベトナム中部の貧しい農家の出身だが、強い意思と行動力で道を切り開いた。現在は、かつての自分と似た境遇にある貧しい子どもたちを支援する。トップモデルで社会活動家でもある彼女は、貧困に喘ぐ子どもたちのヒロインになった。(ライター・神田憲行/Yahoo!ニュース 特集編集部)

14歳で親に結婚を勧められる

ヘン・ニエさん(撮影:大池直人)

ヘン・ニエさんは1992年、ベトナムの中部高原地帯のダックラック省で生まれた。ベトナムに53ある少数民族のひとつエデ族出身で、実家はコーヒー豆を栽培する貧しい農家である。モデルとして働くかたわら、昨年12月17日、タイ・バンコクで開かれた「ミス・ユニバース2018」にベトナム代表として参加し、5位に入賞した。これは同国代表の過去最高の成績だ。

(撮影:大池直人)

――あなたのスピーチは多くの人に感動を与えました。私もその一人です。どのような気持ちからあの言葉が出たんですか。

「世界には私のように、幼いうちに結婚を勧められたり、勉強を途中で諦めなければならない少数民族の人たちがまだ多くいます。あの機会に自分のストーリーを語れば、多くの人に伝わり、大きな励みになるのではないかと思ったんです。偉そうな立場の高い人間ではなく、平凡な人間の一人として他の人を少しでも元気付けたかった。ミス・ユニバースのベトナム代表になることは想像できないほど遠い話でしたが、私にもできた。誰でも夢に向けて努力すれば、きっとかなえられる日が来るはずだというメッセージを届けたかったのです」

故郷は300世帯ほどが暮らす村で、ヘンさんは6人きょうだいの上から3番目として育った。両親は借金をして肥料などを買い、収穫したコーヒー豆の販売代金でそれを返済し、次のシーズンでまた借金をするということを繰り返していた。貧しさからいつまでも抜け出せないスパイラルだった。

「豆の仲買人から不利な取引を押しつけられても、知識がないのでどうしようもなかった」

ヘンさんは14歳のとき、結婚を両親に勧められた。

実家で母と(PHOTO:Thien An)

「そんな年齢で娘を結婚させようというのは、田舎ではよくある考え方です。逆に進学は、お金がかかるから一切考えません。私も親から『結婚しなさい』『畑の仕事を手伝いなさい』とよく言われましたが、『勉強しなさい』と言われたことはありません。そもそも村には大学を出た人がいなかったので、教育の素晴らしさを理解できないんですよ」

「でも私は結婚を断りました。まだ幼く、夫と子どもと一緒に生活したり、子どもを育てて家計のために働いたりという結婚生活が想像できなかったんです。そのときの私の願いは学校に行くこと。同級生たちと点数を争うことが好きだったんです」

モデルの仕事の魅力について「いろんな土地に行って、様々な人と一緒に仕事をすること」という(撮影:大池直人)

ベトナムには54の民族がいて、国民の9割近くを占めるのがキン族だ。民族衣装のアオザイなど、私たち日本人が「ベトナム人」と聞いて連想する文化や習慣は、だいたいキン族のものであることが多い。しかしヘンさんのエデ族は習慣・文化がかなり違う。たとえば、キン族の名前順は日本と同じ「姓・名」だが、エデ族は「名・姓」になる。母系社会であるほか、ふだんはエデ族特有の言語で会話する。ヘンさんがベトナム語を学んだのは、小学校に入ってからだ。「私のベトナム語はいまだに完璧ではない」と彼女は言う。

「エデ族の言葉がどんなものか、話してみましょうか」といたずらっぽく笑い、ヘンさんは突然歌いだした。華奢なスタイルからは想像できない朗々とした歌声だ。インタビューに立ち会っていたベトナム語の通訳は「まったく意味が分かりません」と目を丸くし、ヘンさんは「エデ族に伝わる子守歌なんですよ」と微笑んだ。

エデ族の民族衣装を着たヘンさん(PHOTO:Dai Ngo)

大学進学について、最終的に母は許してくれた。わずかな身の回りの品と、厳しい家計から母が捻出してくれた150万ドン(約7200円)だけを持って、ヘンさんはベトナム一の商都・ホーチミンに出た。

チラシ配りと家事手伝いのアルバイト生活

「ホーチミンでは、篤志家が貧しい学生用に建てた無料の学生寮に住んでいました。寮生は最大で30人ぐらい、1部屋を6、7人でシェアする形でした。学費は1年間で約300万ドン(約1万4400円)。生活費は節約して1カ月約50万ドン(約2400円)でやりくりする生活です。週末はインスタントラーメンで済ませる感じで。寮生はみんな仲が良くて、寮母のおばあさんも優しかったので、楽しい時間でしたよ」

やがてチラシ配りと家事手伝いのアルバイトを始めた。ベトナム国内の報道では彼女の苦労話の一つとして紹介されるが、本人は「とんでもない」と否定する。

「チラシは、子ども向けの英語学校に勧誘する内容でした。私は配るのがうまかったんですよ。交差点で立って配るだけでなく、『新しくできた英語学校です。子ども向けの面白いコースがたくさんありますよ』とか、説明をつけて『プロ』のチラシ配りとしてやっていました」

「家事手伝いは『おしん』みたいな仕事ですね(注・ベトナムでは日本のドラマ『おしん』が人気)。でも私には楽で夢のような仕事でした。田舎では、午前中の学校を終えたあと(注・ベトナムのほとんどの学校は午前・午後の二部制)、午後1時から5時までは畑仕事の手伝いでとても大変でした。それを思うと、1日2時間の皿洗い、食材の下ごしらえ、床掃除などの仕事はすごく楽。そのうえお給料は1カ月で200万ドン(約9600円)もいただけました」

とにかく明るい性格の持ち主(撮影:大池直人)

モデルになったきっかけは、テレビのオーディション番組に応募したことだった。数千人の応募者の中から、ヘンさんは最終選考の8人に残った。

「オーディション番組のWebサイトで、アメリカの元スーパーモデルのタイラ・バンクスさんが、モデルという仕事について語っていたのを見て感動したんです。『写真撮影ではどうすれば魅力的に見せられるか』『目線はどうするのか』とか、すべてが私にとって興味深いことで、この仕事にチャレンジしたいと思いました」

財布の中は1400円。480円のハイヒールで優勝

モデルの仕事は不安定で、生活苦は続いた。そこでヘンさんが考えたのは、ミス・ユニバースのベトナム代表に挑むことだった。ベトナムではミスコンは国民的関心事である。優勝者は国民のほとんどが知る人気者となり、トップモデルへの道も開ける。

「友人たちは、このアイデアはクレイジーだと言いました。そのときの私の靴は、スニーカー1足とホーチミンの街角で買った10万ドン(約480円)のハイヒール1足だけでしたからね。コンテストで必要なジーンズもドレスも友人に借りて、足元は最初から最後まで1足しかないハイヒールで過ごしたんです」

身長173センチ、ベトナム人の女性の中ではかなり背が高いほうだ(撮影:大池直人)

ミスコン審査の期間中に、友人から「100万ドン(約4800円)を貸してもらえないか」とメールが来た。だが、彼女は「ごめんなさい、今私のお財布の中には30万ドン(約1400円)しかありません」と返事するしかなかった。友人の役に立てず、苦しかったという。だがあとで、このやりとりが彼女に幸いした。

ミス・ユニバースのベトナム代表に決まったとき、すべての人が彼女に拍手を送ったわけではない。ショートカットで色黒という彼女の容姿を問題視する人々もいた。ファッション・ジャーナリストたちからの中傷もあった。

「ベトナムの伝統的美人はロングヘアの色白で、彼女のような容姿が選ばれるはずがない」「ヘン・ニエはお金で審査員の票を買ったに違いない」

これに敢然と反論したのは、ヘンさんが100万ドンを用立てられなかった友人だった。彼女はヘンさんからの「30万ドンしかお財布にない」というメールをSNSにアップして、「彼女は票を買うことなんてできない」と証言した。

「とても恥ずかしかったけれど、助かりました」とヘンさんは笑う。

このときから、「伝統的美人」ではない少数民族出身で貧しいヘン・ニエはベトナムの人々の心を掴んだと思う。

そして彼女の挑戦は、ミニ・ユニバース世界大会で5位入賞という大きな結果を残した。

ミス・ユニバース世界大会でアピールするヘン・ニエさん(写真:ロイター/アフロ)

コンテストの賞金は全額寄付に

ミス・ベトナムに選ばれたことをきっかけに、ヘンさんは社会活動家としても本格的に活動を始めた。これまで、貧しい子どもたちへの奨学金支援と図書館建設、少数民族の女性の起業支援などを手がけてきた。識字教育の普及を目指す国際的なNGO団体「ルーム・トゥ・リード」のベトナム大使も務める。その活動はベトナム国内だけでなく、英・仏のテレビ局に取り上げられるなど、国際的な注目も集めている。

ヘンさんは、ミス・ユニバースの賞金2億ドン(約96万3000円)のうち、税金などを除いた全額を寄付した。自分が通っていた小・中・高校への奨学金と、田舎の貧困家庭への旧正月の贈り物として役立てられた。

「昔、周りには私より勉強ができる友人が多くいました。でも友人たちは貧しさや、ちょっとした困難で勉強することを諦めました。今振り返ると、彼女らのことを非常に残念に思います。後輩や子どもたちには、どんなに貧しくても教育を諦めないでほしい。だから、全ての賞金を寄付することにしたのです」

――でもお財布に30万ドンしかなかった人が、そんな簡単に2億ドンを寄付できるのでしょうか。全部自分のものにしても非難されないでしょう。

「エデ族の女性たちが夢を追い続けられるよう、賞金を寄付することは最初から決めていました。たしかに2億ドンは簡単に稼げる金額ではありません。でも母も『神様がくれたお金だから、自分よりお金が必要な人たちにあげるべき』とアドバイスしてくれました」

社会活動として学校訪問をしたときのヘンさん(PHOTO:Thien An)

頑張って生きる女性たちの希望の星に

今回の取材で、彼女の人気の本質を実感した出来事があった。

ポートレート写真を撮るために近くの市場に移動したときのこと。彼女の知名度からして、ある程度の人だかりができることは予想していたが、集まってくる人たちを見てあることに気付いた。みんな女性なのだ。それも果物売り場や野菜市場で働いている女性たちだ。

路上にまな板を置いて、しゃがんで魚をさばいていた若い女性はヘンさんを見つけると、いそいそとスマートフォンを取りだした。そばにいる私の顔をうかがい、私がうなずくと、顔を赤らめながら写真を撮った。バイクで荷物を運んでいた女性はいったん通り過ぎてからヘンさんに気付き、戻って来て一緒に写真を撮ってもいいかと尋ねた。果物売り場のおばちゃんはヘンさんと腕を組み、笑顔で写真に収まった。

みんな決して豊かではない、体を張って家計を助けている女性たちだ。みんなヘンさんが子どものころから農園で働き、苦労しながらここまで来たことを知っている。ヘンさんは彼女らの代表だった。

市場で働く女性たちに囲まれる(撮影:大池直人)

抱えているスイカは撮影の途中、市場で自分で買った(撮影:大池直人)

歩いている途中も撮影を頼まれる(撮影:大池直人)

「ミス・ユニバースに入賞してから、エデ族以外の少数民族の女の子たちからも手紙をたくさんもらいました。彼女たちの励みになれて嬉しいです」

――もうヘンさんはベトナムのヒロインですね。

「うーん。この国ではミス・ベトナムは『オシャレで社会的地位の高い人』と評価されますが、そう思ってほしくはありません。私はたまたま幸運にも今の立場になっただけ。一般の人と違うのは、発言や行動に影響力があることです。今後はそれを生かして、社会活動やチャリティーに積極的に力を入れていきたいです。私は特別な存在であるより、非凡なことに挑戦し続ける平凡な存在でありたいのです」


神田憲行(かんだ・のりゆき)
1963年、大阪市生まれ。関西大学法学部卒業。大学卒業後、ジャーナリストの故・黒田清氏の事務所に所属。独立後、ノンフィクションライターとして現在に至る。主な著書に『ハノイの純情、サイゴンの夢』『「謎」の進学校 麻布の教え』など。

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