野村佐紀子

「溺れてももがかない。かえって沈むから」――「才能のなさ」に打ち勝ったスガ シカオの気付き

4/15(月) 8:13 配信

社会人生活を経て、30歳で遅咲きのデビューを果たしたスガ シカオ(52)。それから間もなく、初めて作詞のみを手掛けたのがSMAPの「夜空ノムコウ」だった。20年以上、音楽一筋で生き、難聴や所属事務所からの独立など、苦境も“サバイブ”してきた。今も一人、スタジオにこもって曲を作り、曲ができないときには「デビュー前と同じかそれ以下まで落ち込む」。業界の変化やスランプを、どう乗り越えてきたのか。(ライター:内田正樹/撮影:野村佐紀子/Yahoo!ニュース 特集編集部)

(文中敬称略)

自らライブハウスに連絡を入れ、一人、全国各地を回った

「音が遅れて聴こえる。で、首を振ると、悪い方の耳からヒュンヒュンと音がする。それが聴こえ始めると、絶対、ヤバいことになるんです」

2011年、スガ シカオは突発性難聴を患った。原因は特定できないが、思い当たるのはストレスだった。発症する直前、彼はデビューから14年にわたり所属していた音楽プロダクションと独立のための交渉に当たっていた。先行きの見えない不安とプロモーションの激務から、心身ともに衰弱していた。

発症当初、聴力が低下したのは右耳だった。その後、快方と悪化の一進一退を続けていると、今度は左耳の聴力も変調をきたした。

「今はもう“突発性”じゃない。突発性って、片方しかならないの。最近はまた右耳がダメ。もはや“慢性”だね。時々、急にガクンと聴力が落ちて、立っていられなくなるほどのめまいに襲われる。1年に1回はヤバい時があります。リズム感が悪くなるし、ライブでも(バンドとの演奏で)俺だけが間違えていても気付かない。レコーディングの追い込みで来られると、トラックダウンもできなくなってしまう」

突発性難聴からこれまでの8年は、スガにとって挑戦と変化の時期となった。発症からほどなくして、スガは独立した。理由は、独立の3年ほど前から感じていた危機感だった。

「俺は景気が良かった音楽業界の恩恵を受けた最後の世代でした。俺がデビューした90年代は、まだ動画や音楽の配信サービスもなく、CDもよく売れて、業界全体が潤っていた。アーティストの活動パターンは今より限られていたけれど、景気が良かったせいで、多くの人が何の疑問も持たず、そこに自分を当てはめていた。でも、俺はそんな状況が長くは続かないと思っていた」

スガの予感は的中する。1998年に迎えた売り上げのピークを最後に、音楽シーンはCD不況へと突入した。

「これから先は、アーティストそれぞれが自分に合った活動スタイルを構築していくべきだと俺は思った。ただ、組織の中で俺だけが勝手な動きをするのは申し訳ないから、(プロダクションを)離れたほうがいいと判断したんです」

独立後、スガはインディーズで活動。自らライブハウスに連絡を入れ、公演の予約を取り付け、自分で必要最小限の機材を運びながら、一人で全国各地を回った。知名度はあるものの、集客のための告知ツールは、SNSと無料のメールマガジンのみだった。

「どうサバイブしていくか。あの時期は、その一点だけで頑張っていました」

この頃、「最高傑作と自分で胸を張れるアルバムを作って、デビュー20周年を迎える」と当座の目標を掲げた。そして、2014年に再びメジャー契約を交わすと、2016年には人間の暗部を濃密に描いたアルバム『THE LAST』をリリース。17年には、さいたまスーパーアリーナでデビュー20周年の記念フェスを盛大に催した。目標は達成された。

2017年5月にさいたまスーパーアリーナで開催された「SUGA SHIKAO 20th ANNIVERSARY『スガフェス!~20年に一度のミラクルフェス~』」(写真提供:ビクターエンタテインメント)

才能もないのに、無理して頑張って傷付きたくない

自分の意思を、一人で行動に移すような生き方は、幼少期から身に付いていた。

「子どもの頃から、“和して同ぜず”の精神でした。同じ目的があれば人とつるむのもいいんだけど、目的もないのにつるむのは嫌だった。だからずっと一匹狼な感じで生きてきた。わがままな性格ではないほうだと思うけど、協調性も乏しかった。バンドでデビューするなんて全くイメージが湧かないぐらい、共同作業が苦手でしたね」

東京の下町育ち。一人っ子だった。小さな新聞社に勤めていた父と、築地の魚市場で働いていた母のもとで、甘やかされることなく育った。

「うちは極めて個人主義的な家風で、しかも『自分が欲しい物は自分で働いて買え』みたいな家訓があった。中学の時も、自転車を欲しがったら、『じゃあ、働けば?』みたいな感じで(笑)。住み込みで近所のこんにゃく屋さんを手伝って、もらったお金で自転車を買った。高校に入ってからも、ギターやバイクは全てバイトで賄っていました。ほぼ毎日バイトしていた。大学に入ってからもずっと働いていたから、卒業後の就職にも何ら抵抗がなかったんです」

デビューは30歳の時。社会人生活を経ての遅咲きだった。

「デビューが遅かったのは自己防衛していたから。才能もないのに、無理して頑張って傷付きたくなかったし、貧乏になって親に迷惑掛けるのも怖かった。実際、若い頃は才能なんてないと思っていたし。友だちにはプータローをやりながらプロを目指していたやつもいたけど、『いや、俺はいいわ』という感じだった」

だが、1997年にシングル「ヒットチャートをかけぬけろ」でメジャーデビューを果たす。

「なぜかあの時、根拠のない自信があったんだよね。30歳を迎える前に、一念発起した。根拠のない自信でもないと、人って案外と動けないものなんですよ。俺、会社をやめた時、曲が4曲しかなかったんです。よくデビューしましたよね(笑)」

才能は“あった”。10枚のオリジナルアルバムは全てオリコントップ10入りを果たしている。1998年、SMAPに歌詞を提供した「夜空ノムコウ」はミリオンセラーを記録し、2002年には中学校の音楽の教科書に掲載された。作家・村上春樹もスガの歌詞を高く評価している。著書『意味がなければスイングはない』では、「スガシカオの柔らかなカオス」と題した章で歌詞の文体について綴り、「情景がすっと目の前に立ち上がってくる」と評している。

しかし、それでもスガは自身の才能について「よく分からない」と首を傾げる。

「だって歌詞を書いているの、俺じゃないから。桜井君(Mr.Childrenの桜井和寿)も一緒に飲むと、『歌詞を書く時、自分で書いていないでしょ?』って言います。いや、確かに自分で書いているんだけど、すごいスピードで、コントロールが利くわけでもなく、何だか知らないうちに突然出てきて、気付くとできちゃっているんです。それがいい歌詞だと、『俺、天才じゃん!?』と思うけど(笑)、もう一方で、『これ、本当に俺が書いたのか?』と疑問に思う時もある。だから、仮に明日、『はい、書けなくなりました』という日がきても、『そうですか』と納得するしかない。書ける理由が分からないということは、たぶん書けなくなっても理由が分からないだろうから。それを考えると怖くなります」

SMAPのほかにも、これまでに嵐やKAT-TUN、山本彩、Little Glee Monsterなどへ楽曲を提供している。2015年からは周囲のリクエストに応えて、プロを対象とした作詞講座“スガ塾”を不定期で開いている。ギャラは取らず、たまに受講者たちのカンパで食事をおごってもらう程度だという。

「歌のサビなんて別に必ず結論を言わなくてもいいし、記事じゃないんだから、間違ったことを言っていてもいい。『俺はこう思うんだ』でもいいんです。でも、みんな意外とそこに気付かない。そんなことを話す場になっています」

精神年齢はどこかの時点で止まったまま

歌詞は大抵、飲酒している時に生まれる。基本はワイン。空けた本数は数知れず、「もはや作詞のための必要経費」と笑う。

「俺は精神年齢がどこかの時点で止まったままなんだと思います。でも、“中二病”みたいな歌詞を書いている一方で、友だちからは『息子の就職が決まった』というメールが届く。恥ずかしくなるんですよ(笑)。だから現実と切り離すために飲む。実生活では実年齢に見合う常識や理性が備わっていないと、いろんな場面で怒られるじゃん? でも、『それ、全部取っ払っていいよ』と言われたら、俺の歌詞みたいな感じの人、たくさんいるんじゃないかな。新作の作詞でも、結構飲みましたね」

スガが楽曲制作のために「毎日こもる」というプライベートスタジオで

大都会のなかで 割といい子にしてきて
大都会のなかで 破裂寸前だよ
大都会のなかで 天に祈ってても
大渋滞のせいで 天使なんかこない
「あなたは神を信じますか?」 いやまだ見たことがないです

「労働なんかしないで 光合成だけで生きたい」

3年ぶりのニューアルバムは『労働なんかしないで 光合成だけで生きたい』。まずタイトルのみをSNS上で解禁すると、そのインパクトから瞬く間に拡散されていった。

「ずっと以前に書き留めておいた言葉でした。解禁した時点ではまだ誰もアルバムを聴いていないから、『人は働くためだけに生まれてきたんじゃない』みたいな作品だと多くの人に勘違いされてしまった(笑)。でもそうじゃなくて、表題曲では人の幸福感についての問い掛けを歌っています」

全10曲の収録曲は、全てアルバムのために書き下ろした新曲だ。渾身の前作『THE LAST』を作った直後、スガは燃え尽き、空っぽになり、スランプに陥った。そんな彼を不調から解き放ったのは、街の風景だった。

「ある時、街を歩いている人たちや電車に乗っている通勤通学の人たちを見て、『この人たちのイヤホンで流れたら心地よい曲って、どんな曲だろう?』と考えた。すると『スターマイン』という曲が生まれました」

二人で見たその花火は 水の輪のように広がって
きっとこれでフィナーレだよって 君が言うたび
花火はまたあがるんだ

「スターマイン」

「俺はこれまで『聴いてもらうため』だけに曲を作ってこなかったし、できあがった音楽を、リスナーがどんな場面でどう聴いてくれるかも、『おまかせします』というスタンスでした。でも今回、初めて自覚的にリスナーの顔を思い浮かべて曲を作りました」

歌詞が思うように浮かばず、ただ黙々と考えながら、自宅とスタジオの間の十数キロを歩く日も続いた。

「もう20年以上活動しているのに、曲ができないと、デビュー前と同じかそれ以下まで落ち込みます。すごく苦しいし、ストレスもたくさん抱えます。でも、夜中までずっと音楽のことを考えて、明け方に寝て、起きて、また音楽をやれる生活が許されている。自分の人生を懸けて音楽をやれることに、最上級の喜びを感じている。毎回、苦しいけど、やっぱり楽しくて仕方がないんですね」

2018年には、スガが一人で舞台に立ち、ギター1本で弾き語ることをコンセプトにした「Hitori Sugar Tour 2018」を開催した(写真提供:ビクターエンタテインメント)

独立独歩、音楽一筋。今は「溺れてももがかない」

「俺は音楽を職業としては捉えていないんです」とスガは言う。

「だって書きたいことがあって、好きでやっているんだから。アーティストがやりたくない仕事をやらなきゃならないのはおかしな話だし、俺が付き合っているアーティストの友だちも、やっぱり音楽を職業と捉えていないやつばかりです。『食べていくために』『長く続けるために』とか言い出した時点で、いい歌なんて歌えなくなりそうだし。書きたい曲を書いて、それを聴いてくれる人がいなくなったら、いつでもインディーズに戻る。それぐらいの覚悟がなかったら、アーティストなんてやらないほうがいいと思う」

独立独歩。ただ一人、音楽一筋で、デビューから22年を過ごしてきた。

「でもね、昔の世の中には、大きな目標を持って頑張ることが美徳です、みたいな空気もあったけど、今の世の中って、10年はおろか、5年や3年の単位で状況が更新されてしまう。『あれ、目標、消えたぞ?』ということにもなりかねない。だから、『やりたいことが見つからない』『どうしていいか分からない』という生き方だって、俺は全然アリだと思う。むしろ、あまり目標を絞り過ぎず、身を柔らかくしておくほうが今っぽいし、チャンスもつかみやすいんじゃないかな」

そして52歳の今、一つ気付いたことがある。

「本当につらいときって、『溺れてももがかないこと』が大事なんじゃないかなって。溺れているときって、経験値がないと必死でもがくんですよ。そうすると体力を消耗して、かえって沈んでしまい、上も下も分からなくなってしまう。でも、もがかなければ、体は自然に上へ上へと上がっていく。何カ月でも、もがかずに、どこまでも耐えること。俺が言えるただ一つのことですね」

スガ シカオ
1966年生まれ。東京都出身。1997年、「ヒットチャートをかけぬけろ」でデビュー。2011年に所属事務所から独立。メジャー/インディーズの枠組みに捉われない独自の活動を行う。2014年、メジャーに完全復帰。最新アルバム『労働なんかしないで 光合成だけで生きたい』が4月17日に発売。4月27日から全国でコンサートツアーをスタート。公式サイト


内田正樹(うちだ・まさき)
1971年生まれ。東京都出身。編集者、ライター。雑誌『SWITCH』編集長を経て、2011年からフリーランス。国内外のアーティストへのインタビューや、ファッションページのディレクション、コラム執筆などに携わる。

ヘアメイク:下田英里
スタイリング:大村鉄也


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