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殿村誠士

「私の人生、出会ったことも別れたことも間違いじゃない」―――大塚 愛、16年目の再スタート

2019/01/02(水) 09:04 配信

オリジナル

「私の人生、出会いも別れも間違ってない」「吹っ切れましたね」。そうまっすぐにこちらの目を見て大塚 愛は言う。家庭を巡るさまざまな報道があったのは、昨年後半のこと。

2003年にデビューし、すぐに大ブレーク。次々とヒット曲を生み、J-POPの第一線で活躍し続けてきた大塚だが、本人は肥大化する「大塚 愛」のイメージに耐えられず、「暴発」しそうだったという。そんな大塚を救ったのは、2010年に生まれた娘だった。デビュー15周年を迎え、ミュージシャンとして新たなスタートラインに立つ大塚が、Yahoo!ニュース 特集の独占取材に対しすべてを激白した。(Yahoo!ニュース 特集編集部)

「吹っ切れましたね。『バイバーイ!』って感じ」

「恋愛って、最終的にはつらい思い出で終わるじゃないですか。でも、昔好きな人がいたときにできた曲は、いま聴いても『なんていい曲なんだ』って思える。だからすごく感謝してるんです。『何曲も作らせてくれて、あなたはすごく良い種馬でした』って」

大塚 愛はそう笑い飛ばしながら、少しだけまじめな表情になって続けた。

「私の人生、出会ったことも別れたことも間違いじゃない」

2018年、大塚には家庭を取り巻くさまざまな変化があった。しかし、取材する側が気を使いすぎなのだろうかと思うほどに、本人の表情は明るい。

「吹っ切れましたね。私、グッバイしたらもう『バイバーイ!』って感じ。未来のことは考えるけど、過去のことは振り返らないんです」

私は「さくらんぼ」じゃない

2003年9月に歌手デビューした大塚は、同年12月にリリースしたセカンドシングル「さくらんぼ」で早くも大ブレーク。時代は着うた全盛期だったが、日本で初めて100万ダウンロードを記録したのは「さくらんぼ」だ。彼女は一躍ポップスターの座にのぼりつめる。

「さくらんぼ」の曲調やビジュアルイメージそのままに、一般的に大塚は「元気いっぱいの女性」というイメージが強いかもしれない。しかし、「真逆ですよ」と本人はあっけらかんと言う。

「しゃべっていてもみんなに『ネガティブだよ』とか『考えすぎだよ』とか言われることが多いんです。『思ってた人と違う』ともよく言われますね。『さくらんぼ』のイメージでキャピキャピした人かと思ってたとか」

大塚にとって、楽曲にとどまらず自分自身までも注目されたことは、予想外の出来事だった。「さくらんぼ」自体も、もともとは他の人に歌ってもらうつもりのデモ音源が、レコード会社の目に留まったものである。

「曲が注目されることが望みで、自分が『表』ではないっていう認識でやっているんです。でも、音楽をやっているはずが芸能人みたいなことになっていて」

そんな状況のなかで、大塚は自分の書きたい楽曲だけではなく、ヒットを狙うための楽曲も書いていくことになる。それは、大阪からデビューを目指し上京してきた彼女にとって、「後がない」という覚悟ゆえでもあった。

「もう帰れる場所もないし、ヒットしないと東京にも居場所がない。生活をしていくために、スタッフの人にお願いしてタイアップを取ってもらいました」

独り歩きする「大塚 愛」のイメージ

多くの人々に受け入れられるような楽曲を書き続ける日々。その過程で、楽曲と自身の間に生まれた距離を、自分自身を「大塚 愛」というキャラクターとして見ることで埋めていた。

「自分から『こう聴いてほしい』っていうのがないんです。リスナーに合わせて、曲が形を変えてくれるほうがいいなと思うし、それが音楽の役目だという気がして。あまり自分がどう思っているかは重要ではないんです」

エゴを押しつけるのではなく、純粋に楽曲を届けたいと考える大塚と、数々のヒット曲が生まれていくなかで、別人格のように肥大していく「大塚 愛」のイメージは次第に衝突していく。そのストレスは、2008年から09年にかけてピークを迎えた。

「衝撃的で記憶に残ってるんですけど、当時のシングルのイメージのビジュアルで雑誌の撮影に行ったら、『大塚さんのイメージはそういう感じじゃないからやめて』と言われたんです。自分の自由さを奪われた気がして、ずっと蓄積していたものがそこでピークに達して、暴発してしまいそうで。引退も含めて、一回止まる時間が必要だなって思ったんです」

娘の誕生が転換点に、「商業路線やめた」

そんな時期の大塚を救ったのは、子を身ごもったことだった。2010年に結婚し、その年の終わりから産休へ。翌年、娘を出産する。

今回の取材は、いつもとは違う光景があった。彼女の7歳になる一人娘が、人見知りすることもなく、その場にいたスタッフ全員を笑顔にしていたのだ。

「娘は基本的にすごく人が好きで、そこは私に似てないんです。元旦那さん似なんですよね。すごく似てるから、娘と一緒にいると、彼と一緒にいるみたいな感じがする」

ちなみに出産後、大塚は「商業路線をやめた」とまで発言するようになる。その理由は、娘と一緒の時間を削ってまで音楽を作る意味を考えるようになったからだった。

「人にウケるものを作るのもひとつのクリエーティブだけど、わざわざ子育てをしながら、やる意味があるのかなって」

2019年の元日、大塚の15年の足跡をたどるベスト盤『愛 am BEST, too』がリリースされた。その中でも突出しているのは、2015年のアルバム『LOVE TRiCKY』に収録されている「パラレルワールド」や「タイムマシーン」だ。このアルバムでの大塚は、一気にテクノへと振りきれている。その一方で、2018年にはピアノの弾き語りアルバム『aio piano』をリリースしていたりもする。近年の彼女は、表現の振れ幅が非常に大きい。

「産休の後、音楽活動を再開してからのテーマは『自分で自分を好きになりたい』ってことなんです。最近は『30歳を超えたら何歳でも一緒』みたいな感じの曲が多いけど、それまでは年齢を意識していて。いま聴き返すとしんどい曲もありますね」

過去は振り返らないけど、未来は娘の老後まで考えてしまう

自分を好きになれなかった大塚と、30歳を超えてからの変化。やはり、娘の存在は大きい。

「子どもの人生も誘導していかなきゃいけないから、視野を広げていかないとダメで。それに、子どもと触れ合うからこそ、若い目線も身近になって。今は娘の目線に立って書いたりすることで、ちょっと若めかなと思う曲も作れたりしますね」

大塚の娘への愛情は、遠い将来のことまで考えるきっかけにもなった。

「お金のことをちゃんと認識してないと、子どもに迷惑がかかると思って。だから今、親の老後と、自分の老後と、なんなら娘の老後のことも考えていて。お墓のことも考えるんです。なんであんな暗い所に閉じ込められなきゃいけないんだと思って、娘に『家に置いて』って言ったら『嫌だ、怖い』って。『何で怖いの、化けたりしないよ』とか言って」

「上を向いて歩こう」みたいな曲を作りたい

そう笑う大塚だが、2019年以降の音楽活動については「考えるのはやめた」と言い切る。

「思い通りにならないし。自分が今からどういう人に出会って、どう生きていくのかによって変わるのかなって」

しかし、彼女にはひとつ大きな目標がある。

「歴史を超えて残っている名曲の中に入るような曲を、やっぱり私も死ぬまでには書きたいなって思うんです。坂本 九さんの『上を向いて歩こう』や、中島みゆきさんの『糸』みたいな曲を。そういった普遍的な曲を書いて、だんだん誰の曲かわからないものになればいいと思うんです。作品が主役でいいし、別に私の名前なんかどうだっていいんです」

大塚は、世間からイメージされ自身につきまとう「大塚 愛」を乗り越え、作品だけを残していこうとしている。デビューから15年を経て、彼女はいま、新たなスタートラインに再び立つ。愛娘とともに。


大塚 愛(おおつか・あい)
1982年、大阪府生まれ。15歳から作詞・作曲を始め、2003年9月にシングル「桃ノ花ビラ」でメジャーデビュー。シンガーソングライターとしてだけでなく、イラストレーター、絵本作家、楽曲提供など、多彩な活動でも知られる。今年元日にベスト盤『愛 am BEST, too』をリリース。


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