太田好治

「音楽で何ができるだろう」――ゆずと西日本豪雨、決断と行動

2018/12/28(金) 7:00 配信

2018年「今年の漢字」は「災」。豪雨や地震などの自然災害が相次ぎ、多くのイベントや公演が中止に追い込まれた。準備を重ねてきた晴れ舞台が突然、天候の影響で中止の判断を迫られたとき、関係者は何を考え、どう行動するのだろうか。ミュージシャンのゆずは7月、西日本豪雨によって広島公演が中止になった。「音楽で何ができるのか」――。(ライター・西所正道/Yahoo!ニュース 特集編集部)

(文中敬称略)

難しかった中止の決断

今年7月6日昼過ぎ、ゆずの北川悠仁(41)は叩きつけるような雨をぼうぜんと見ていた。その日北川は、翌日から2日間にわたって行われるライブのため、広島市内に滞在していた。雨は時間とともに激しさを増し、道路には大きな水たまりができ、車が通るたび、噴水のような水しぶきを上げていた。

強い雨の中を歩く人たち。7 月 7 日午前 10 時 10 分、高知市(写真:読売新聞/アフロ)

19時40分、北川のスマホがけたたましい警報音を鳴らした。大雨による特別警報の発令だった。「生命に重大な危険が差し迫った異常事態にある」ことを伝えるものだった。北川が当時を振り返る。

「警報が出た瞬間、一緒にいた地元のイベンターさんの顔が青ざめて、『これはちょっとやばいかも』と言ったんです」

同じころ、相棒・岩沢厚治(42)は広島空港から市内を目指していた。高速道路は通行止め。一般道をタクシーで向かっていた。岩沢は言う。

「雨で道がじゃぶじゃぶでしたね。でも翌日は晴れという予報だったし、ライブはできるんじゃないかなと思っていました」

西日本の広い範囲で大雨特別警報が発令された。6 日午後 6 時 12 分、気象庁で(写 真:読売新聞/アフロ)

23時ごろ、北川と岩沢、チーフマネージャー・成田宜正がそろっての打ち合わせで、前出のイベンターが険しい表情で言った。

「この状態が続くと、明日のライブはできないかもしれません」

結論は明朝に持ち越された。

日が変わると、広島市内の雨脚は次第に弱くなった。東京にいた稲葉貢一(59)は、難しい判断を迫られていた。稲葉は、ゆずが所属するレコード会社トイズファクトリーの代表取締役CEOと、ゆずをマネジメントする音楽事務所セーニャ・アンド・カンパニーの代表取締役を兼任する。

大雨により被害を受けた道路。2018 年 7 月 7 日、広島県竹原市で(写真:三田崇博/ アフロ)

チケット購入者の居住地を見ると、広島だけでなく、中国・四国地方に散らばっている。鉄道はストップし、道路網は至るところで寸断され、土砂崩れの危険性もある。

公演を延期し、年内に振り替え公演を行うことも検討したが、会場である広島グリーンアリーナを押さえることができない。振り替えができないなら、延期ではなく中止にするしかない。

現地にいる北川と岩沢、スタッフと何度もLINEをつないだ。最終的な判断基準は「お客様の安全」だった。

朝7時、その日の公演中止を決定した。まもなく2日目の公演の中止も決定。

増水で崩落し流されたJR芸備線の鉄橋。2018 年 7 月 7 日、広島市安佐北区で(写真: 毎日新聞社/アフロ)

北川はやりきれない気持ちでいっぱいだった。

「何カ月も前にチケットを買って、仕事やいろんなことをやりくりして、その日を空けて楽しみにしてくれた方たちに申し訳なくて」

すでにセットの建て込みが行われていた広島グリーンアリーナには、出番のなかった帆船「BIG YELL号」がたたずんでいた。

「音楽で何ができるだろう」

2018年、ゆずは全国アリーナツアーを開催した。「BIG YELL」と名付けられたツアーは、文字通り「エール」を届ける旅だった。宣伝プロデューサーの篠原健太郎によれば、「エール」というコンセプトは、デビュー以来20年のゆずの活動を振り返ったときに自然と出てきたものだという。

「ゆずは歌うことで人を勇気付けたり励ましたり、笑顔にしたりしてエールを送ってきました。ゆずの2人も、ライブ会場でいただく歓声などでファンの方からエールを受け取ってきた。エールの交換をしてきた20年だったわけです。『この大きな船でエールを届けに全国に行きますよ』というイメージだったのです」

帆船「BIG YELL 号」に乗って演奏する 2 人。「YUZU ARENA TOUR 2018 BIG YELL」よ り(撮影:太田好治)

しかし広島での「出帆」はできなかった。岩沢は中止を受け、ともかくファンの無事を祈った。そして「またライブで会おう」と念じた。北川も同じ気持ちだった。7日の夜、北川はスタッフに言った。

「ライブをやる場所(の手配)を頼む。野外でもどこでもいいから。場所さえくれたら、俺たち、絶対にいいライブをやるから」

翌日、北川が帰京するため広島駅に向かうと、女性ファンに呼び止められた。女性は泣きながらこう言った。

「今日、ライブに行くはずだったんです……」

東京までの約4時間、北川は車窓を眺めながら考えていた。

〈自分たちに何ができるだろう。音楽で何ができるだろう〉

(撮影:太田好治)

北川の脳裏によみがえるのは、2011年、東日本大震災のことだった。北川はスタッフと被災地を訪ねた。津波の爪痕がなまなましい現場や、福島第一原発事故による立ち入り禁止区域の境界近く、避難所にも足を運んだ。

「音楽の力で何かできるのではないかと思っていたんです。ところが何より物資を届けなければいけない状況を見て、本当に音楽なんて必要なんだろうかと疑問を持ちました。もしミニライブをやれば、ゆずのファンは喜んでくれると思います。でも避難している人の中には大切な家族を亡くした方もいるだろうし、さまざまな問題を抱えて、身も心もズタズタの人もいるかもしれない。そんななかで歌を届けるのは難しいなって」

ゆずの北川悠仁(撮影:太田好治)

だが、何カ所かの避難所を訪ねるうちに、予想もしなかった声を耳にすることになった。

「『来てくれてありがとう』とか、『元気になった』とか、『一番怖かったときに〈栄光の架橋〉を聴いてたんだよ』とか。被災したときにみんながいかに音楽によって救われたか、その体験を話していただけたんです。それまでも音楽に打ち込んできたんだけど、2011年を境に、曲に対する向き合い方がより深くなりました」

かっこ悪くても、誰かを励ます歌を

北川によれば、横浜の路上で活動を始めたころは、エールなどまるで無縁な歌を歌っていたという。

「どちらかといえばパンクスみたいな。世の中の既成概念に対して『そんなの関係ねえ』ってスタイルでやっていました。『夏色』のように聴いて楽しくなる曲はありますが、誰かを応援するという自覚はなかったです」

それを変えたのが「栄光の架橋」だった。2004年、NHKのアテネ・オリンピック中継公式テーマソングとしてアスリートたちの活躍を彩ったこの曲は、いつしか、日本中の人たちにとっての応援ソングとなっていった。

(撮影:太田好治)

震災後、惨状を前に無力感にさいなまれながらも、自分たちの歌が、希望を失いそうになった人たちの心に火をともす力になっていたことを確認できた。被災地のラジオ局を訪ねたとき、リクエストの多かったのはゆずの曲だったという話も聞いた。2人はそのとき、あらためて自分たちの立ち位置に気付かされたのだった。北川は言う。

「かっこいいスタイルの音楽ってたくさんあると思うけど、Jポップで、みんなが知っている歌を自分たちは持っていた。『ゆずさんはよく分からんけど〈栄光の架橋〉は知っとるぞ』みたいなおじいさんとか、『夏色』でジャンプする子どもとか。前向きな歌を歌うのってかっこ悪いという見方もあるかもしれないけど、僕たちは誰かを励ます歌をこれからも歌っていくんだという決意がそのとき芽生えて、『BIG YELL』にまでつながっているんだと思います」

「YUZU ARENA TOUR 2018 BIG YELL」より(撮影:太田好治)

広島公演中止から4日後の7月11日朝、東京都内にある事務所でミーティングが開かれた。ゆずの2人と、稲葉、成田ら関係者7人が顔をそろえた。

北川の提案はシンプルだった。まずは「歌を届ける」ということ。

届ける曲は、アルバム「BIG YELL」から「エール」と名のついた楽曲「うたエール」に決まった。アレンジはゆずの原点でもある弾き語り。

稲葉が口を開く。

「配信した収益金は全額、広島県に寄付したいと思う。ゆずのファンだけでなく、曲がいいな、あるいは企画がいいなと賛同してくださる方も関われる形にしたいんだ」

大事なのはスピード感だということも付け加えられた。

岩沢によれば、それぞれが意見を口にし、それぞれが自分の立場で何ができるかを真剣に考え、具体的な支援の形を描けていったという。「気持ちのこもった、すごくいいミーティングだった」と岩沢は述懐する。

ゆずの岩沢厚治(撮影:太田好治)

一度だけ、場が静まりかえった瞬間があった。いつレコーディングを行うのかという話になったときだ。3日後にはツアーの静岡公演が控えており、その前後も予定がめいっぱい入っていた。沈黙を破るように北川が言った。

「今日やればいいじゃん」

夕方、北川の自宅にあるプライベートスタジオに集結。北川はこう言う。

「どうアレンジすればいいか、最初は迷いましたけど、これを聴いた人が励みになるものにしようと思ったとき、変な小細工は一切やめようと。僕らの歌とギターでシンプルに届くようにと考えたら、意外とすっとアレンジが決まっていきました」

岩沢がこう続ける。

「レコーディング自体は、できるという自信がありました。ツアー中ずっと歌ってきた曲だし、弾き語りはゆずの原点ですから」

(撮影:太田好治)

想像を超えた集中力だったのだろう。何回も録らないうちに完成したという。日付が変わって午前1時ごろのことだ。

曲を試聴したチーフマネージャーの成田は、「気持ちがすごく歌に乗っている」と思った。

「公演中止から歌入れまでの時間が短かったからでしょうね。被災地への熱い思いがこもっていました。激しい感情の入れ方だったり、やさしい気持ちの歌い方だったり」

「また来るよ」の約束を果たしに

レコーディングから5日後の16日、「うたエール」弾き語りバージョンが全国のラジオ局から流れ始めた。広島FMの「GOOD JOG」という朝の番組でパーソナリティーを務める神原隆秀もその曲をかけた。

〈惜しみない拍手を/頑張るあなたへ〉
〈LALALA…あなたに/LALALA…エールを/LALALA…謳おう/LALALA…いつの日も〉

「YUZU ARENA TOUR 2018 BIG YELL」より(撮影:太田好治)

神原は「被災した人たちにぴったりと寄り添ってくれる歌だと思った」と言う。

「あのような大災害が起きたときって、どんな曲を流せばいいのか迷うんです。でもゆずのお2人の弾き語りバージョンを聴いたとき、『コレだ!』と。僕の番組でも何度もかけたし、他の番組でもたびたびかかっていましたよ」

リスナーからは、「直接被災しなかったけど、手を差し伸べる方法を提供してくれてよかった」「広島への思いが伝わってきてうれしい」といった感想が寄せられた。

20日に一斉配信。集まった収益金は7月から10月の4カ月で497万8928円に上った。

8月22日、10都市31公演を展開した「BIG YELL」ツアーは大阪でファイナルを迎えた。総動員数は約33万人。大成功だった。そんなとき、もう一つうれしい知らせが届いた。広島の代替公演の日程と場所が決まったのである。

「YUZU ARENA TOUR 2018 BIG YELL」より(撮影:太田好治)

日程は10月10日と11日。場所は広島サンプラザホール。喜びの一方で課題もあった。広島サンプラザホールの収容人数は広島グリーンアリーナの約半分。ステージが小さいので、あの巨大な帆船「BIG YELL号」は入らないし、舞台装置もすべて見直さなければならない。バンドメンバーにもう一度集まってもらうことも難しいため、2人だけの弾き語りライブになる。新しいステージをつくるに等しかった。

しかも10月は六つのライブが決まっていた。そこに広島の代替公演と、同じく雨で流れたファンクラブライブの代替公演をねじ込んだ。9月は連日、リハーサルに次ぐリハーサルとなった。北川は冗談めかしてこう振り返る。

「午前中と午後の練習が別のバンドでやるときがあって、『ベース変わりまーす』って言われて、同じ曲なのに違うアレンジで演奏するから、『あれっ?!』ってなったり」

(撮影:太田好治)

10月10日夕刻、広島FMの神原(前出)は広島サンプラザホールを目指して歩いていた。神原は、仕事を終えたであろうファンが「早く行かなきゃ! ゆずに会える!」というワクワクした気持ちを身にまといながら、同じ方向に足早に歩いている光景がいいなと思った。

ライブが始まると、横にいた40代ぐらいの女性が泣いていた。涙を流しているのは彼女だけではなかった。神原はその気持ちが分かる気がしたという。

「中止になったとき、もう一度見られるなんて思っていなかったんです。でも、広島のためだけに全て弾き語りでやってくれて、セットも全て新しくするというスペシャルなライブを実現してくれた。その準備のためにどれだけ大変だったかを思ったとき、ほんと、感謝しかなかったです」

広島サンプラザでの公演。巨大な帆船「BIG YELL 号」を持ってくることはできなかった が、船をイメージしたセットを新たにつくり、帆と同じデザインの旗を掲げた(提供:セー ニャ・アンド・カンパニー)

最後は「うたエール」で締めくくった。会場を出るときにはみんな笑顔だったことが、神原には印象的だった。

岩沢は「すごくいい空気でライブができたと思う」と振り返る。

「むしろ、(被災地支援に行くという)使命感みたいなものに自分たちが押しつぶされないように気を付けていました。ここに来た理由とか経緯とか、いろいろあるけど、始まったらそういうことはいったん置いて『楽しいコンサートにしよう』と。ほんとのツアーのファイナルがここにあるというぐらいの気合でやってましたし、お客さんも個々の思いを胸に秘めつつ、すごくいい空気でできたコンサートだったと思います」

(撮影:太田好治)

広島で実現したエールの交換。北川はこう言う。

「僕らが大切にしてることは、そのときに2人でギター持って飛んでいくこともそうですが、やっぱり継続することなんです。細くてもいいから『また来るよ』って約束して、また行くんです。その約束を続けていくことこそ、僕らができる支援だって思っています」

西日本豪雨が発端となった弾き語りレコーディングと弾き語りライブは、ゆずの今後の活動を考えるきっかけにもなった。北川は力を込めてこう話す。

「自分たちの原点である弾き語りの底力を自覚できたんです。『BIG YELL』ツアーは、立派なセットとしっかりしたバンドで回らせてもらいました。でも僕たちのこの先を考えたとき、もう一度弾き語りでツアーを回りたいと思いました」

原点回帰である。しかもホールではなくドームで。ゆずらしさがどう化学反応を起こすか。もうすぐ新しい年がやってくる。

(撮影:太田好治)

ゆず
北川悠仁、岩沢厚治により1996年3月に結成。横浜・伊勢佐木町で路上ライブを行うようになる。1997年、ファーストミニアルバム「ゆずの素」でデビュー。翌年、ファーストシングル「夏色」リリース。2017年にデビュー20周年を迎えた。2018年はアルバム「BIG YELL」をリリースし、「YUZU ARENA TOUR 2018 BIG YELL」を開催。12月19日にライブDVD&Blu-ray「LIVE FILMS BIG YELL」をリリース。


西所正道(にしどころ・まさみち)
1961年、奈良県生まれ。京都外国語大学卒業。雑誌記者を経て、ノンフィクションライターに。著書に『五輪の十字架』『「上海東亜同文書院」風雲録』『そのツラさは、病気です』『絵描き 中島潔 地獄絵1000日』がある。

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