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「絶対、秘密」だったAID――「出自を知る権利」親子それぞれの思い

2018/12/14(金) 07:06 配信

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生殖補助医療の中で、もっとも古くから行われてきたのがAID(非配偶者間人工授精)だ。第三者の精子を人工授精する治療で、国内では1949年に初めて慶応義塾大学病院で出産にいたり、現在、AIDによる出生児数は毎年100人、累計で1万5000人から2万人にもなると推定される。しかし、そのうち、ほとんどの子どもが事実を知らされていない。そんな中、2000年代に入り、偶然、真実を知ったAIDで生まれた子どもたちが「出自を知る権利」を求め始めた。真実を知りたい子と、それを隠したい親。双方の声を聞いた。(ライター・中村計/Yahoo!ニュース 特集編集部)

「死ぬまでずっと、絶対秘密にする」

親子間の大きな秘密が、織田はなさん(仮称・50代女性)の心身を少しずつむしばんでいった。

「一人になると涙がバーッと出てくるんです。夜は寝付けないし、朝は4時ぐらいに目覚めるということを繰り返して。食事ものどを通らなくなり、体重も6、7キロぐらい減ってしまいました。うつ病っぽくなって、家からすごく遠い心療内科に行って、初めて他人にAIDのことを話したんです。でも、ぜんぜん理解されませんでしたね」

結婚して数年、夫が無精子症であることが判明した織田さんは、夫の提案で慶応義塾大学病院(以下、慶大)でAIDを受けることにした。第三者に精子を提供してもらい、それを医師の手で子宮内に注入する治療法だ。

慶応義塾大学病院(撮影:長谷川美祈)

日本ではAIDに関して明確に規定した法律はないものの、日本産科婦人科学会によるガイドラインがある。AIDを受ける女性は結婚していること、ドナーは匿名であることなどが謳われている。また、治療を行う施設は日本産科婦人科学会に登録しなければならず、2018年7月現在、登録しているのは慶大を含めて12施設だ。現在、国内で行われているAIDの約半数を慶大が行う。

慶大では長い間、両親には子どもにAIDを受けたことは黙っておくよう指導してきた。それが家族の幸せのための最善の方法である、と。慶大に続きAIDを行った施設も、この考え方を踏襲した。

織田さんは3回目の人工授精で妊娠し、無事女の子を出産した。「死ぬまでずっと、絶対、秘密にする」と覚悟を決めていた。

ところが――。

(撮影:長谷川美祈)

織田夫妻は2人とも一重だが、娘はくっきりとした二重だった。織田さんが話す。

「外国人のような顔立ちで、近所で遊んでいると、他のお母さんに『ご主人はどこの国の方?』って聞かれるくらいだったんです。髪の毛も茶色いし、どうしようもなく似ていなかった……。赤ちゃんのころは、かわいいですねと言われると嬉しかったんですけど、だんだん、もっと日本人っぽい顔だったらよかったのに……と思うようになっていって」

織田さんは自分の髪の毛を茶色く染めてごまかした。

そんなとき、インターネットで藁(わら)にもすがる思いで探し出したのが「すまいる親の会」だった。同会はAIDの選択を検討している人や、織田さんのようにAIDで親になった人たちが情報交換をし、よりよい家族になれるよう互いに学び合う自助グループだ。勉強会は通常、年2回開催され、50人ほどが集まる。講師として招かれた人の中には、AIDによって生まれ、その事実を両親が隠していたことに不信感を抱いている人もいた。

「親の気持ち、提供者の気持ちばかり」

現在、横浜市内の病院に勤務する加藤英明医師(45)も、そのうちの一人だ。医学部の学生だった加藤医師は29歳のとき、実習も兼ねて自分と両親の血液型を調べた。すると、父親と自分に遺伝的なつながりがないことがわかった。

「ずっとあるべき大前提みたいなものが、ストンと空白になるというか、喪失感みたいなものがあった。あと、両親にだまされたというネガティブな感情が湧きおこりましたね」

加藤英明医師。「男として最も会いたい男は、遺伝上の父親」と話す(撮影:黒田菜月)

これまでの日本におけるAIDの決定的な欠陥を、加藤医師はこう指摘する。

「親の気持ち、提供者の気持ちばかりを取り上げ、誰も子どもの気持ちを考えようとはしてこなかった。当然、子どもには『出自を知る権利』もない。両親の意図に反して真実が明らかになった場合、その心理的負担は全部、子どもにくるんです」

加藤医師は積極的にメディアに登場し、AIDの問題点について子どもの立場から訴え続けている。その過程で、同じような境遇にあるAIDで生まれた子どもの間で交流が生まれ、2005年にはDOGという10人程度のグループをつくった。

「ほとんどのメンバーが30歳前後、大人になってから事実を知った。現状に不満があるから名乗り出てきているわけで、DOGの意見がすべての子どもの意見とは言えない部分はありますけど、こうして精神的に深く傷ついた子どもがいるということは知ってほしい」

加藤医師は母親が治療を受けた当時の慶大の医学部生の名簿を入手し、独自に調査したがドナーを特定することはできなかったという(撮影:黒田菜月)

子どもが自由に出自をたどれるように

今、「出自を知る権利」を法で保障することは、世界的な流れでもある。1989年に採択された国連の「子どもの権利条約」の第7条においては「できる限りその父母を知り、かつその父母によって養育される権利を有する」と規定されている。

DOG誕生の影響もあったのだろう、2006年、日本産科婦人科学会は、AIDにおける精子提供者の情報をなるべく長期にわたって保存するよう声明を出した。

加藤医師はAIDという治療法自体を否定しているわけではない。

「どんな方法でも子どもをつくりたいという親の思いは、止められないと思うんです。あらゆる事実がそう言っている。そこは万国共通ですよ」

生命倫理学の権威で、京都大学名誉教授の加藤尚武氏(81)も、こう話す。

「不妊治療を、リスクがあるとか、周囲の理解が得られないとか、親子関係が混乱するとか、そういう理由で禁止しようと言う人がいるけど、それは根本的に間違っています。アメリカで障がいを持った子どもが親を訴えたことがあるのですが、この裁判で、どんな理由があろうとも親が子どもを産んだことを不正だとか、権利の侵害というふうに見なすことはできないという判決が出た。つまり、人間が子どもをつくるという行為は人間の根本的な営みなのであって、それをやめなさいとは誰も言えないんです」

加藤尚武氏。「不妊治療は不自然だと言う人もいますが、自然の不備を補うのが不妊治療であって、不自然でもなんでもない」(撮影:長谷川美祈)

オーストラリアやイギリスでは子どもが18歳になれば自由に出自をたどれるように法律で定められている。AIDの当事者である加藤医師は、日本でも同様の条件を整えるべきだと主張する。

「海外と比べ、日本人は、秘密は墓場まで持っていくみたいな考え方が強いのかもしれませんね。だから親側に批判されようとも、僕は僕で、出自を知りたいと言い続けるしかないと思っています」

事実を知りたい子と隠したい親、両者の言い分ともに理解できると話すのは、2003年、すまいる親の会の結成に尽力した城西国際大学看護学部教授の清水清美氏(56)だ。

「過去の慶応大の調査では、将来、子どもに事実を伝えるという親は10%もいなかった。昔の親は医療者に伝えない方がいいと言われ続けてきたわけですから、その認識を変えるのはすごく難しいと思う。子どもたちも、もう大人になっていますしね」

一方、今の親は告知することを考えざるを得ない。加藤医師らAIDで生まれた子どもたちによって秘密にすることのデメリットが明らかになり、また、民間会社に依頼すれば簡単にDNA鑑定ができる時代になった。清水氏が続ける。

「正確な数字はわかりませんが、隠すことに心を砕くのではなく、正直な親子関係を築こうと、子どもに伝えた親、伝えようと思っている親は確実に増えていると思います」

清水清美教授は、2010年に非配偶者間人工授精(AID)を子ども自身に伝えるための絵本『わたしのものがたり』を編集・発行した(写真:中村計)

ともによかれと思うゆえの夫婦の溝

織田さんは、すまいる親の会で加藤医師らDOGのメンバーの話を聞いた。

「当事者の子どもたちの声は、ものすごくショックでした。嘘のない家庭をつくることのほうが子どもにとって大事なんだと分かったものの、どうしたらいいんだろう、と」

ところが夫は、告知には後ろ向きだった。

「主人は勉強会とかには参加しませんでしたし、会の資料を持ち帰っても、こんなもの家に持ち込むなと怒られるような状態だったんです」

親が子にスムーズに告知できるよう清水清美教授が編集・発行した絵本『わたしのものがたり』(写真:時事)

秘密にしておくことがベストだと考えている夫と、告知した方が子どものためだと考える妻。ともによかれと思っての結論だけに両者の溝は深かった。

「この調子だともうダメだなと思って、私が離婚を切り出したんです。そうしたら少しずつ勉強を始めてくれるようになって。そこから告知するまでに2年ぐらいかかったので、私がうつになってからすでに4年ぐらい経っていました。娘はもう中学1年生。告知するとき、思春期は避けた方がいいと聞いていたのですが、娘の場合は小学校高学年がピークで、少し落ち着き始めていたので、いま思えばいいタイミングだったのかもしれません」

告知、初めて写真館で家族写真を

織田さん夫妻が娘に告知したのは12月31日だった。

「みんな用事がなくてゆっくりできる日って、1年のうち、そんなにないじゃないですか。お掃除が済んで、コタツも出ていて、自然と言おうかなっていう雰囲気になったんです」

告知を決断してからというもの、織田さんは、娘にどう伝えるべきか頭の中で予行演習を繰り返していた。その過程で『おかあさんのたまご』という切り絵の紙芝居を作った。卵子をたまごに見立て、精子はハートマークで表現した。ドナーからハート(善意)をもらい受け、自分のたまごを夫婦で育てたという短い物語だ。

織田さんが娘にどう告知すればいいか考えながら作った切り絵の紙芝居「おかあさんのたまご」(撮影:Yahoo!ニュース 特集編集部)

「あの紙芝居を使って説明しようかとも思ったんですけど、中学1年生の娘に紙芝居はないかなと思って。ただ、あれを作って、自分の中でようやく夫婦がしてきたことを理解できたし、この治療をして本当によかったと思えたんですよね」

改まって話があると言うと、娘は最初、お小遣いをくれることにしたんでしょうと喜んだ。そんな勘違いが場を和ませた。夫婦は、言葉を尽くし、これまでのこと、そしてこれからのことを娘に語って聞かせた。織田さんが回想する。

「ふーんという感じで、『ああ、わかった』って。取り乱すかと思っていたら『よかった』とまで言うから、『何がよかったの?』って聞いたら、『(ドナーが)変な顔の人じゃなくてよかった』って。ドナーの方の顔が見られるわけではないんですけど、自分の顔を見ればだいたい想像はできるじゃないですか。中1の女の子らしいですよね」

夫の手と妻の手で大切に抱え、温めているイメージを描いた(撮影:Yahoo!ニュース 特集編集部)

その日を境に、家族間で今まで感じたことのないような温かいものが流れ始めた。告知から7年が過ぎたある日、親戚の結婚式に出席したときのことだった。

「その日、3人とも正装だったので、主人が急に写真館に行こうと言い出して。それまでは主人が嫌がったので、ほとんど家族写真を撮ったことがなかったんです。そうしたら、すごくいい写真が撮れて。そのとき、ようやくいい家族になれたなって実感しましたね」

「どこもドナー不足」という現状

今年8月、AIDの総本山とも言うべき慶大病院は、来年7月まで1年間の初診枠が埋まってしまったため、AIDを希望する新規の患者の受け入れ中止を発表した。今後も、凍結精子が枯渇しない限り診療を続けるとのことだが、産科診療部長の田中守医師はこう危惧する。

「『出自を知る権利』の問題が出てきて、提供者が少しずつ減ってきていた。登録病院もピーク時と比べるとずいぶん減りましたからね。どこもドナー不足が理由でしょう。これまでうちはドナー情報は患者さんには知らせずにやってきましたが、将来、情報開示が義務化される可能性はゼロではない。提供をお願いする際、そのことをお話ししないわけにはいかないので」

田中守医師。「今の時代でも、告げたくないという人が3分の2ぐらいいます。それより前の時代に生まれた方は、9割以上は知らされていないと思います」(撮影:長谷川美祈)

日本では精子提供で生まれた子どもの親子関係を定めた法律がなく、ドナーが、のちに扶養義務を負わされるなど親子関係のトラブルに巻き込まれる可能性も否定できない。

世界的に「出自を知る権利」を認める方向に流れているが、フランスでは2011年、ドナーを確保するために「匿名性を維持する」法律を定めた。

もし、慶大病院がAIDを続けられなくなったら、国内におけるAIDは、その存続自体が危ぶまれる事態になりかねない。田中医師はこう警鐘を鳴らす。

「日本で今、いちばん困っているのは、少子化だと思うんです。だから、何らかの方法でお子さんを持つ手段を提供してあげることは大事な気がしますけどね……。今、『出自を知る権利』を全面的に認めてしまうと、ドナーの方がいなくなってしまう。デンマークのように匿名と非匿名、両方を認めるとかしないと、この治療自体が行き詰まってしまう。もう、本当に1秒も待てない状況だと思いますよ」

織田さんも、AIDの将来の話になると表情が暗くなった。ただ、こんなことを思い出し、ぱっと明るくなった。

「娘が『AIDの治療がなくなったら困るな……』って言うんです。何でと聞いたら、『もし自分が結婚した相手が無精子症だったら困るじゃん』って」

AID治療の未来に向け、何のわだかまりもなくこう言える世代が出てきたことは、せめてもの希望だ。


中村計(なかむら・けい)
1973年、千葉県船橋市生まれ。同志社大学法学部卒。スポーツ新聞記者を経て独立。スポーツをはじめとするノンフィクションをメインに活躍する。『甲子園が割れた日』(新潮社)でミズノスポーツライター賞最優秀賞、『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇』(集英社)で講談社ノンフィクション賞を受賞。

[写真]
撮影:長谷川美祈、黒田菜月
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝


(最終更新日時:2018年12月17日11時18分)

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