帝王切開による出産が増えている。WHO(世界保健機関)が示す適正な割合は全出産の10~15%だが、厚生労働省のデータによると、日本の一般病院では20%を超えた。30年前のおよそ3倍だ。そのなかには心に傷を負う女性たちも少なからずいて、子育てに深刻な影響を及ぼすケースもある。母になった笑顔の下に隠された本音とは何だろうか。彼女たちに寄り添う人たちには何が見えているのだろうか。5人に1人が帝王切開で出産している日本の、現場を歩いた。(益田美樹/Yahoo!ニュース 特集編集部)
一度経験したら次も必ず「帝王切開」に?
「え、そうなの......」
2014年の夏。東京都内に住む公務員の女性(37)はその情報を知った時、絶句したという。「帝王切開出産を一度したら、次からも基本的に帝王切開出産になる」という内容である。長女を帝王切開で出産した直後だった。
帝王切開に至ったのは、予定日を過ぎても産気づかず、羊水も少なくなっていたからだ。
「対面できた長女の姿を見て、素直にうれしいと思いました。無事に生まれてきてくれてよかった、と。でも、おなかを切らずに生みたかった、という思いが次第に出てきて、消えなくなったんです」
帝王切開とは、母体や胎児に何らかの問題が生じ、経腟分娩が難しいと判断される時に行われる手術だ。一般的には妊婦の下腹部を横か縦に切開し、子宮も切開して赤ちゃんを取り出す。
この女性にとって開腹手術は初めてだった。しかも、母体や胎児の状況から事前に計画する「予定帝王切開」ではなく、「緊急帝王切開」。決定から手術まで数十分しかない。説明を受けたり、同意書を書いたりしたが、気が動転していてあまり覚えていない。
急いで連絡を入れた夫の到着も、手術開始に間に合わなかった。
手術中は、視界に入らない自分の腹部で今、何が行われているのか、全く分からなかったという。産声を聞いたものの、急展開に頭が追い付かず、この間の記憶もあいまいなままだ。
「覚えているのは、その晩の痛みです。痛み止めがうまく効かず、激痛で一睡もできませんでした。翌日、長女と初めてきちんと対面した時は、心身ともに苦しい状態でした」
回復を促すため、この日から歩くことを指導された。おなかの痛みは続いている。腰を丸めたまま、病院の廊下を必死に歩いたことも覚えている。
入院は10日間だった。帝王切開でない人よりも数日長い。間もなく自分のお産を振り返るようになり、経腟分娩で産みたかった、という心の声に気付いた。
「テレビで自然分娩(経腟分娩)のシーンが出てくると、見ていられなかった。インターネットでも、そうした情報は目にするのがつらくて。なぜ、自分は下から産めなかったんだろうと」
「帝王切開の知識、全くありませんでした」
帝王切開出産を一度したら次も帝王切開出産−−−−。その情報を耳にしたのもこの頃だ。
「ショックでした。病院では聞いた覚えがないので、おそらく、インターネットでたまたま見つけたんだと思います。訪問してくださった助産師さんに『次の子は下から産みたいんです』と打ち明けたら、『受け入れてくれる病院があればいいですけどね......』という反応で」
「帝王切開出産がどんなものなのか、全くと言っていいほど知らなかったんです。妊娠中の講座で学んだのは経腟分娩のことだけ。自分からもっと情報を求めておけばよかった。そうしたら、体調にもっと気を配って帝王切開を避けられていたかもしれません」
帝王切開を受けた人が、次回のお産で経腟分娩することをVBAC(ブイバック)と呼ぶ。前回の傷が原因で子宮破裂などのリスクがあるため、母子の安全を考慮して、VBACを受け付けない病院が一般的だ。日本でほぼ唯一とされている当事者向けの書籍『ママのための帝王切開の本』でも、安全性重視のため、ほとんどの病院は最初から帝王切開を選択すると記している。
数は限られるが、受け入れる病院はある。例えば、千葉県の松戸市立総合医療センターはHP上で「帝王切開を受けた方が次回も帝王切開ということになりますと帝王切開率が雪だるま式に増えてしまいます」と説明し、VBAC率の向上を目指している。
女性が検索したところ、こうした病院の一つが自宅から1時間で行ける場所にあった。少し遠かったが2人目の妊娠が分かった時、ここで産むと決断。マタニティーヨガに通うなど体調管理に努め、第2子の出産を待った。
「長女を出産した自宅近くの病院では、帝王切開出産以外の選択肢はないような感じで言われました。でも、そっちの病院は、帝王切開を経験した妊婦も、そうでない妊婦と同じように経腟分娩を前提にして扱っていたんですね。病院によってこうも違うのか、って」
10カ月後。予定日を過ぎても強い陣痛が来ない。医師の勧めもあって、女性は再び帝王切開で出産した。
「2回目は精神的にさらにつらかった。1回目の反省もあって、体づくりに励んでいたから余計に、です。それに、私が『手術をもう少し待ってください』とお願いしていたら、(子宮口が全開して)自然に産めたかも、という後悔が残りました。手術直前に『子宮口がすでに5センチ(全開は10センチ)開いている』と言われていて、手術中にも『これだったら下から産めたんじゃないの』という先生の声が聞こえたものですから。たられば、ですけど」
あれから1年以上が過ぎた。かわいい子どもを2人も授かってありがたい、という思いは日に日に強くなる。それでも「自然分娩できなかった」という心のざらつきは消えていない。
「目の前に子育てと仕事がありますからね。悩む時間は減りました。時間がたつと、いつか消化できるんでしょうか」
心の傷、家族にも言えぬまま
経腟分娩できなかったことで、心に深刻な傷を負った人も少なくない。
帝王切開カウンセラーの細田恭子さん(53)は、全国の延べ2000人を超える経験者に接し、心のセルフケアを支援してきた。当事者が心の澱(おり)を吐き出す機会が必要と考え、振り返りの会などを開いている。
「振り返りの会に、お母さん同伴で参加した若い女性がいました。生まれたばかりの赤ちゃんはお母さんが抱いたまま。女性はわが子をいとおしく思えず、一度も抱くことができていない状況でした。また別の方は、帝王切開で産んだわが子が憎いらしく、メールで『(私を)人殺しにしないでください』と訴えてきました」
「産み方にどうしてそれほどこだわるのか分からないと言う人もいます。でも、その後の人生に大きく傷を残す人がいる。出産から10年以上たって参加し、心の傷が子どもへの悪い接し方につながっていたと気付いた人もいます」
細田さん自身も子ども3人を帝王切開で出産した。主宰が経験者だからこそ、参加者たちも少しずつ口を開く。細田さんによると、そうした本音の核は「無事に生まれたんだから、つらいとか言っちゃいけない」という思いだ。家族にも打ち明けることができず、心の奥に押しとどめている本音。それを振り返りの会で口にする時、涙を流し、嗚咽する人もいる。
細田さんは言う。
「心のトゲは三者三様なんです。経腟分娩をよしとする年代の人に『どうしてまともに産めなかったの』と言われたり、身近な人に『陣痛がなくて楽でよかったね』と声を掛けられたり。自然志向で経腟分娩を強く望んでいた場合には、夢がかなわなかったことで尾を引く。おなかに刻まれた傷痕は、お風呂のときに嫌でも目にします。毎日です。心の底で、人知れず後悔や憎しみと闘っているんです」
「この問題、医療従事者もほとんど知らない」
さいたま市在住の理学療法士、近藤鮎美さん(33)はこの6月中旬、細田さんと一緒に、帝王切開出産をした女性のための「からだケア講座」を初めて開いた。そうした女性が抱える心の傷を知って衝撃を受け、「そもそも、体のケアが十分になされていないことが問題」と考えたからだ。
定員8人の小さな集まりには、乳幼児連れの人から出産後数年を経た人まで多様な女性が参加した。近藤さんがスライドを使っておなかの傷の治り方などを説明していく。
世間一般でよしとされているケアが、実は深刻なダメージを体に与えることがある−−−−。近藤さんはその説明もした。
「残念ですが、帝王切開出産の女性の心の問題は、医療従事者の間でもほとんど知られていません。帝王切開出産が増え、ケアが必要な人も増えています。正確で必要な情報を伝えなければ、と。PT(理学療法士)として、できることをやっていきます」
帝王切開出産、なぜ増えるのか
厚生労働省の「我が国の保健統計」によると、一般病院における帝王切開手術の割合は2014 年に24.8%。その30年前は10%以下だった。では、そもそも帝王切開出産はなぜ増えているのだろうか。
前述した『ママのための帝王切開の本』の共著者で、産科医の竹内正人さん(56)はこう言う。
「帝王切開の増加については、高齢出産などハイリスク、つまり妊婦側の医学的要因がよく挙げられます。そうではなく、社会的要因の方が圧倒的に大きいんです」
どういうことだろうか。
「私が医師になりたてのころには、大先輩から『(切らずに)何としても下から出せ』と言われたものです。当時の産科医はそれだけの技術と経験を持っていた。社会の側も『帝王切開は手術だ』として避けがちだったんです。『あの病院に行くと切られるよ』などと言って、帝王切開した病院をヤブ医者呼ばわりしたり」
その後、帝王切開出産は次第に受け入れられていく。
「逆子は帝王切開出産のほうが安全、という論文が海外で発表されたのを機に、子どもが元気であれば帝王切開出産でも、という雰囲気が広がっていきました。先に話した大先輩のような技術を持つ産科医もいなくなり、技術の継承もされていません」
お産を取り巻く技術や環境の発展も、帝王切開出産の増加につながっているという。麻酔の技術が向上したり、より充実したNICU(新生児集中治療室)が整備されたりして、経腟分娩よりも帝王切開のほうが母子のリスクを減らせるケースが増えたからだ。
帝王切開を行うか否かは、国や地域の習慣、文化的背景などにも左右され、変化してきた。
竹内さんによると、経腟分娩を第一に掲げる助産師の活動などもあり、日本では帝王切開出産の割合が外国より低く推移してきた。中国では「吉日に産みたい」として帝王切開出産が好まれ、ブラジルでは、経腟分娩はその後の性生活に影響が出るとの考えから敬遠される傾向があるという。
帝王切開出産の女性が抱える問題も、こうした変化の延長線上にあると竹内さんは感じている。
「人類史をさかのぼると、数えきれない命が失われながら綿々とつながってきました。しかし今、この大きな流れを意識できなくなり、『出産はそもそもリスクを伴うもので、自分の命も無事に生まれてきてくれた新しい命も、本当に奇跡的だ』と思えなくなってきています。完全や絶対が要求される社会になり、出産をそうしたストーリーから切り離して、可能な限りリスクを排除する機械的な作業としてとらえるようになった。これが大きいんです。出産への意識が変化したり、想定外の結果への落胆が強くなったりしているのは、そのためでもあるのでは」
「帝王切開があってよかったと言えるように」
お産を30年以上取材してきた出産ジャーナリストの河合蘭さん(59)は、情報に過度に依存する傾向を危ぶむ。
「スマホなどで簡単に情報が手に入る時代ですが、その分、不満や苦しみもあおられます。ある意味、妊婦さんたちにとって過酷な時代。ニュージーランドで働く知人の助産師は、妊婦さんに『googleしないで』とアドバイスしています」
医療関係者の対応も課題だと指摘する。
「帝王切開出産に『なってしまった』という表現をよく使うんです。特に助産師に少なくない。『帝王切開出産があってよかった。なかったら大変なことになった』という考えを持ってほしい。事あるごとに伝えるようにしています」
母子手帳の記入ページでは、帝王切開出産は「異常分娩」とされている。これもおかしい、と河合さん。「経腟出産でも、どこかで"正常範囲"を逸脱しているケースはある。そもそも出産は百人百様のものなので、正常・異常の2種類に分類することはできないはず」
理解を広げるため、地道に活動
それでも、帝王切開出産への理解は少しずつ広がっている。
神奈川県鎌倉市の産科診療所「ティアラかまくら」は、2015年から2、3カ月に1度の頻度で、「ママのための帝王切開講座 ~産後傷つかない、傷つけないために」を開いている。一般的に、行政や産院によるお産の講座は、帝王切開出産にほとんど触れない。「妊婦の不安回避のため」という指摘もある。
この診療所の看護師・山口歩さん(51)は「お産=経腟分娩ではないんです。心の準備として、帝王切開出産についても知っていてもらいたいから」と開催の理由を説明する。助産師の鈴木佳世さん(51)は講座を開いた結果、スタッフにも新たな気付きがあったという。
「助産師って、経腟分娩が自分たちのテリトリー。帝王切開出産は医師がやるもの、お産とは違うもの、という意識がどこかにあります。でも、考えが改まりました。当事者の方にもさらに配慮ができるようになったと思います」
最後に「クローバーの会」も紹介しよう。
出産を経験した女性を中心とした集まりで、川崎市の「いなだ助産院」を拠点に、安心・安全なお産環境を目指して活動している。ここでは2013年から、経験者のための「帝王切開出産ママの振り返り会」が開かれている。代表の吉田美穂子さん(45)が発案した。
吉田さん自身、この産院で3人の子どもを出産した。帝王切開出産は経験していない。
「でも退院の時、ある妊婦さんに出会って......。入り口で、体を屈めて陣痛に耐えている姿を見掛け、『もうすぐですよ』と励まして帰ったんです。後になって知ったんですが、その方はどうしても助産院で産みたかったのに、あの時は緊急帝王切開の必要が生じ、転院を余儀なくされていたんです」
その後、ママ友として再会したが、彼女の前で、経腟分娩した他の仲間と陣痛の話題で盛り上がることもあったと言う。吉田さんは「当時はその方の気持ちに気付けなかった。今でも申し訳なく思っています」と明かす。振り返り会を始めたのは、「お産で嫌な思いをする人が減ってほしい」という願いからだ。
振り返り会には年齢や環境もそれぞれ異なる女性たちが参加し、リピーターもいる。自身も帝王切開出産の経験者であるスタッフの平藤範子さん(42)はこんな話を披露してくれた。
「ある女性はこの会でしっかりと帝王切開出産を振り返り、受け止めたことで、2度目の出産は前向きに予定帝王切開出産で迎えられました。前回の集まりでは、2人のお子さんの育児を頑張っていらっしゃると報告してくれて......。本当にうれしかったですね」
益田美樹(ますだ・みき)
ジャーナリスト。元読売新聞記者。
英国カーディフ大学大学院(ジャーナリズム・スタディーズ専攻)で修士号。
[写真] 撮影:益田美樹、提供:アフロ