野村幹太

築105年、風呂なし鍵なし上下関係なし 京大吉田寮に暮らす人々

7/19(木) 6:44 配信

1913年(大正2年)の建築というから、京都大学「吉田寮」の建物は今年で築105年になる。現存する学生寮としては日本最古でありながら、今も200人ほどの学生が生活している。庭にはニワトリが放し飼いにされ、クジャクやヤギの姿も見える。玄関には鍵もない。小説家の故・梶井基次郎、ノーベル物理学賞受賞者の赤崎勇氏など、個性豊かな文化人や学者もここで育った。今はいったい、どんな「個性」が暮らしているのだろうか。建物が古くなりすぎたとして、大学側は9月末までの全員退寮を求め、寮生と対立を続けているが、そうした話はしばし休題。きょうは、時代に逆行するかのような寮生たちを紹介しよう。(文・写真:野村幹太/Yahoo!ニュース 特集編集部)

イチョウ並木の奥に和装の男子

筆者が初めて訪問したのは、夜だった。

イチョウ並木のずっと奥に廃屋のような屋敷が見える。うっそうとした雰囲気の向こうに玄関。扉は開けっ放しで、蛍光灯の光が漏れている。たくさんの自転車が並木に沿って乱雑に止めてある。傍らには壊れたバイクや廃車。それらもまた、無造作に置かれていた。

いかにも怪しい人が住んでいそうだ。

玄関まで歩く。他人の家に勝手に入るような後ろめたさを感じ、並木の中ほどで引き返したが、後に友人から教わった。ここが、あの「吉田寮」だ、と。

それから吉田寮が気になり、イチョウの葉が落ちる頃、再訪した。下の写真は2008年秋。あれから10年ほどが過ぎた今もこの雰囲気は変わらない。そしてこの間、カメラを持って吉田寮に通い詰めた。

秋にはイチョウの葉がきれいに色づく。落ち葉が地面を埋め尽くす頃には、近所の人が銀杏(ぎんなん)を拾いにくる=2008年

中庭に行くと、和装の学生がいた。山口龍英さん。鹿児島県出身。理学部に在籍しているという。

授業に出る時も街へ出かける時も着物姿。周囲にも「着物を着てはどうですか」と勧める。その影響か、吉田寮には他にも着物姿の学生がいる。

理学部の山口龍英さん=2015年

山口さんの髪は長く、腰まで届く。きれいに手入れされており、時には三つ編みに。「寮でのんびりしていたため、卒業まで時間がかかってしまった。なるべく働きたくないなあ」と言う。アルバイトはコンビニと病院の宿直。車を購入し、ハンドルを握って着物姿で遠出もするという。

染みついた歴史と「人間くささ」

寮の建物に足を踏み入れると、長い廊下が続いている。昼間でも薄暗い。散らかった段ボール箱、汚れた布団。少し時間が経った食べ物や汗、タバコの吸い殻の匂いなどが混じり合って漂っている。

吉田寮は3棟あり、それぞれに長い廊下がある。居室以外は土足。台所は共同。調理器具や冷蔵庫は居室ではなく、廊下に置いてある。定期的に学生で大掃除を行うという=2017年

この「におい」こそ、吉田寮の特徴かもしれない。

木の廊下や畳に染み込んだ皮脂のにおい、湿気のにおい。廊下だけではない。居室をのぞかせてもらうと、ちゃぶ台や布団が無造作に置かれ、そこにも「におい」がある。確かに人が暮らしているという「人間のにおい」だ。

大部屋。12畳以上ある。新入寮生は部屋の割り当てが決まるまで、ここで共同生活する。部屋が決まっても移らず、ここにとどまる人もいる=2017年

吉田寮は京都大学吉田キャンパス(京都市左京区)にある。現存する日本最古の学生寮だ。

1897年(明治30年)、京都帝国大学創設とほぼ同時に学生寄宿舎として設立され、1913年(大正2年)にその寄宿舎を解体し、再構築された。これが今の吉田寮だ。

木造2階建てで、「北」「中」「南」の3棟から成る。2015年完成の西寮新棟も含めると、現在も200人ほどが生活している。

中庭から見た吉田寮。キャンパス内とは思えないほど多種多様な植物が生い茂っている。猫も集まってくる。それぞれに寮生が名前を付けている=2018年

「自由に鳥を飼いたくて」

今の感覚からすれば、決して「快適な住環境」とは思えない。それなのに、学生たちはどうして入寮するのだろうか。

「もっと自由に鳥を飼うため吉田寮に移住してきました」と話すのは、農学部の高本悠介さんだ。

高本悠介さん=2016年

これまでにニワトリ、ホロホロ鳥、烏骨鶏(うこっけい)、七面鳥、ウズラ、アヒル、クジャクなどを飼い、しかも卵から孵(かえ)した経験を持つ。

高本さんは「クジャク同好会」も立ち上げた。

彼が言うには、会の幹部はいずれもクジャク自身で、会長は「サカタニ」、副会長は「スカイレインボーハリケーンゴッドフェニックス」。そして、副会長代理は高本さん本人。「人懐っこくリーダーシップがあるからサカタニを会長にした」そうだ。

高本さんは現在、東京都で就職している。この写真を撮った際、「鳥たちと別れるのは寂しい」と語っていた。今は東京で食虫植物を育てているという。

寮の居室は、基本的に6〜10畳で相部屋。「1人当たり約3畳半」を基準にして、部屋割りをするという。娯楽空間として麻雀部屋、漫画部屋、ゲーム部屋、ピアノ部屋などもある。

ピアノ部屋。子供の頃からピアノを習っていてピアノを弾ける人が多い。小さな扉の付いた木箱は昔、下駄箱として使われていた。寮内はいつからか土足になった=2017年

追い出しコンパの様子。 古くからの寮生が退寮するため、この日は玄関近くのこたつで飲み会が始まった=2017年

麻雀部屋は4畳半ほど。麻雀中はすぐにタバコの煙で煙たくなる。深夜以降盛り上がることが多い=2017年

ゲーム部屋。いつも誰かがゲームをしている。スーパーファミコンやテトリスなども受け継がれている。壁にはゲーム名とそれをクリアした人の名を記した紙が貼ってあった=2017年

留学生「楽しすぎる日々でした」

尹素香(ユン・ソヒャン)さんは高校まで韓国で過ごした。本当は、京大熊野寮(京都市左京区)に入寮したかったという。熊野寮は1965年設立。当初は男子学生のみだったが、現在は女子学生や留学生らにも門戸が開放されている。

ところが、ユンさんは熊野寮の抽選に漏れ、吉田寮へやってくることになった。

「薄暗く、恐る恐る吉田寮の門をくぐりました。でも、面接で寮生の人柄に安心して、入寮を決意しました。思いのほか、楽しすぎる生活でした」

尹素香(ユン・ソヒャン)さん=2016年

ユンさんはタバコを好み、会うたびに異なる銘柄のタバコを吸っていた。髪は寮生に切ってもらい、さまざまな髪形を試みた。そして「ゲーム部屋」でよくゲームを楽しんでいたという。

「韓国ではゲームは時間の無駄遣いという見方が普通。だけど、ここではみんな誇りを持ってゲームにのめり込んでいました」

この春から彼女はゲーム製作会社で働いている。

“学生自治”の歴史 終わるのか

吉田寮の寮費は、水道光熱費を含め月に約2500円。京都大学に学籍を持つ学生は誰でも入寮資格がある。高校を卒業したばかりの学部生から大学院生、留学生、聴講生……。年齢、性別、国籍とも多種多様だ。

「寮祭」に参加した学生たち=2017年

吉田寮は、自分たちのことは自分たちで決める「自治理念」によって運営されてきた。共同生活に必要なことは全員で分担。大掃除や建物の補修なども自ら担う。「対等な立場」を実現するため、上下関係をつくらず、敬語を使わない文化も根付いているという。

そんな寮生たちに対し、大学側は昨年12月、「建物の老朽化が深刻」などとして、「新たな寮生を募集しない」「今年9月末までに全員立ち退きを」と求めた。寮生たちは、これに反対。話し合いによって撤回を求めているが、双方の溝は埋まっていない。

中寮2階から見た北寮=2017年

日本の大学にはかつて、たくさんの学生自治寮があった。ただ、建物の老朽化や個室を望む学生の増加、寮が学生運動の拠点になっていたことなどから、東京大学の駒場寮など多くの自治寮が廃止されたり、大学側の管理になったりした。

現在、「学生自治寮」として残っているのは、東北大学の明善寮、北海道大学の恵迪(けいてき)寮などいくつかしかない。同じ「自治寮」でも、寮の持つ雰囲気や寮費などはさまざまだ。以前と違って、自治寮に住んでいても個室を希望したり、共同での活動を拒んだりする学生もいるという。

吉田寮の本棚。ここは「茶室」と呼ばれる共同部屋で、床の間がある。大正、昭和時代の古書が並んでおり、かつては図書室だった=2017年

“個性派”の面々、寮を語る

熊谷恵一さんは山形大学出身の寮外生だった。彼のように、寮生でなくても一時的な滞在者として寮にいる人は少なくない。

熊谷さんの話。

「山形大学での廃寮反対運動で、吉田寮生にも応援に来てもらったことがあって、それが縁で吉田寮に遊びに来るようになりました」

熊谷恵一さん=2015年

吉田寮で会うとき、なぜか、熊谷さんはいつもグラブを持っていた。初めて会った時もそう。この写真を撮影した時は「与那国島のサトウキビ畑での労働を終えたばかりだ」と言い、ポケットから黒砂糖を取り出し、「お礼です」とくれた。与那国島では子供たちとキャッチボールを楽しんだという。

のちに新宿で再会した時も、彼はグラブと硬球を持ち、野球帽をかぶっていた。

吉田寮に住むことを切望し、1年間予備校に通った人もいる。文学部4年、井上敏満さん。出身は広島県だ。

最初の受験で京大に足を踏み入れた際、少しだけ吉田寮が見えた。試験が終わり、改めて吉田寮へ。そこで建物の古さ、たたずまいなどに魅了されたという。

井上敏満さん=2017年

大学では応援団に所属している。「上下関係が厳しい体育会と上下関係がない吉田寮、二つの違った環境にいるのも有意義ですよ」。カントの研究をするため大学院に進学するつもりだという。

家族の後押しもあって吉田寮の一員になったのは、総合人間学部3年の松村主承(かずのり)さんだ。神奈川県出身。漠然と京都に憧れ、受験の時に吉田寮を知った。

合格後に吉田寮を訪問すると、同行していた父は「古くて汚いが、空気は澱んでいない」と語ったという。

松村主承さん=2017年

松村さんは中学生のころからドラムを始めた。流行のバンドのコピーではなく、「古風なロック少年」として高校まで過ごし、吉田寮の食堂でもドラムを叩き続けている。

昔は寮に共同風呂があったという。今はシャワーか近くの銭湯しかない。ただ、寮祭のときはドラム缶で湯を沸かし、即席の露天風呂ができる。火の番をする人は網を持ち出して食べ物を焼き、賑やかな声が途絶えない。

演劇、ライブ、映画上映…… 文化の発信地

3年前に補修された吉田寮食堂では、演劇や音楽ライブ、映画上映などが行われ、寮生以外の人々も多く集う。ここは文化の発信地であり続け、個性派の文化人も巣立った。

そのためか、学外にも「吉田寮の存続」を支持する声はある。築100年以上という建物の歴史ではなく、何代にもわたって蓄積された個性。それが今なお、積み重なっているからかもしれない。

寮祭ライブ。寮内外から多くのバンドが集い、朝から夜11時くらいまで、立て続けに演奏する=2016年

寮の食堂で開催されたイベントの後で=2018年


野村幹太(のむら・かんた)
写真家。京都府生まれ。同志社大学卒業後、ビジュアルアーツ専門学校大阪で写真を学び、現在は東京を拠点に活動する。これまでペルーやコロンビアなど、南米の自然や人間にひかれ撮影を行う。吉田寮は2008年ごろから撮り続け、昨年の京都国際写真祭では、撮りためた写真を吉田寮で展示した。吉田寮の写真集を作成中。

[写真]
撮影:野村幹太
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝


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