国に裏切られた元イラク派遣自衛官、逮捕されるー違法捜査での起訴、不可解な逮捕のタイミング
イラク自衛隊派遣中の事故の責任を問い、国を訴えていた元自衛官が、違法捜査で逮捕・起訴される…そんな気味の悪い事態が進行中だ。これは、些末な刑事事件なのか、それとも安保法制の運用にも影響を与えうる告発を権力が潰しにかかっているのか。渦中の元自衛官とその弁護士に話を聞いた。
○国賠訴訟直前の逮捕、違法捜査での基礎
今回、逮捕・起訴されたのは池田頼将さん。2006年に自衛隊イラク派遣で、イラク隣国クウェートに派遣された元航空自衛官だ。同年7月4日、池田さんは米軍関係車両にはねられ、その後、適切な治療を受けられず、帰国もできなかったため、後遺症が残ったとして、目下、国の責任を問う、国賠訴訟で係争中だ。その池田さんが、突然、愛知県警に身柄を拘束されたのは、昨年11月19日のことだった。容疑は「窃盗の共犯」。池田さんの友人M容疑者がスーパーで衣料品等を万引きしようとして、店員に取り押さえられた事件(商品はその場で返却)で、池田さんも共犯者の容疑をかけられたのだ。これに対し池田さんは無罪を主張したものの、昨年12月10日に起訴されてしまった。
池田さん逮捕・起訴には、いくつか不信な点がある。池田さんの国賠訴訟の弁護団メンバーである秋田光治弁護士は「違法捜査が行われた」と強調する。「昨年11月27日、愛知県警は池田さんの自宅を家宅捜索しましたが、捜査令状は期限の切れたものでした。つまり、この家宅捜索は令状なしの違法捜査であり、そのような捜査で池田さんは起訴されたのです」(秋田弁護士)。
秋田弁護士は、「池田さん逮捕のタイミングも不可解です」と言う。「M容疑者が万引き事件を起こしたのは、池田さん逮捕の10か月程も前のこと。警察側は池田さんの所在も知っていたにもかかわらず、なぜ、事件後、すぐに逮捕するのではなく、これほど時間が経っての突然の逮捕なのか。実は、池田さんの国賠訴訟は諸事情により、一旦中断されていたのですが、その仕切り直しが昨年11月24日に始まる予定だったのです。つまり、国賠訴訟が再開される直前に、池田さんは逮捕されたのです」(同)。
今年1月、筆者は愛知県警・熱田署で、同署に拘束されている池田さんに面会することができた。その時も、池田さんは「僕は絶対万引きの共犯なんかしていません。これは(国賠訴訟を潰すための)権力による弾圧だと思います」と訴えた。また、家宅捜索の際、「万引き事件とは関係ない国賠訴訟の資料を警察らが入念に調べていたことに憤りを感じた」とも池田さんは言う。
○自衛隊イラク派遣で負傷、事故の隠ぺい
本件の本質を伝えるためには、やはり、池田さんの国賠訴訟について、もう少し触れるべきだろう。2003年3月に開戦したイラク戦争を支持した日本政府は、開戦直後から自衛隊イラク派遣を推し進め、航空自衛隊は04年1月から、08年12月まで、16期にわたりイラクに派遣した。池田さんは、第9期(06年3月~7月)、航空自衛隊小牧通信隊として愛知県・小牧基地からイラク隣国クウェートのアリ・アルサレム基地へ派遣された。事故が起きたのは、06年7月4日のこと。基地内での米軍主催のマラソン大会に参加した池田さんは、米民間軍事会社KBRの大型バスに後方から衝突されたのだった。「突然、ドスンという鈍い音がして、私は意識を失いました」(池田さん)。意識を失った池田さんは、救急車で米軍の衛生隊に搬送された。その時、一度、意識を回復し、自分が事故にあったことを悟ったと言う。
池田さんにとって不幸であったのは、KBRのバスに跳ねられたことだけではなく、事故後、自衛隊による「裏切り」が幾度も続いたことだった。
「眼球の奥や、首、肩がすごく痛く、体を動かすことすらできなかったのに、米軍の衛生班には『異常なし』と診断されました。自衛隊側も『米軍側が異常なしと言っているのに、それと反する診断ができるわけない』という有り様。クウェートの病院に連れて行ってもらったのですが、言葉の違いもあり、私の症状をうまく伝えられず、治療はできませんでした」(池田さん)。
結局池田さんに対し、米軍、民間軍事企業側からも、謝罪や補償は得られなかった。その上、治療のための帰国を何度も上司にかけあったにもかかわらず、事故にあってから2ヶ月弱もの間、ろくな治療も受けられないまま、池田さんは帰国が許されなかったのだ。
当時、池田さんの事故について情報を掴み、報道した記者は皆無だった。池田さんの事件が公表されなかったのも、彼の帰国が許されなかったのも、事故発覚による自衛隊イラク派遣への影響を防衛省-あるいは政府自体が懸念したからではないだろうか。池田さんが事故に遭ったのは2006年7月4日。航空自衛隊がそれまでイラク南部サマワ周辺までだった活動範囲を、中部のバグダッド周辺までに拡大した直前のこと。この、バグダッド周辺への空輸拡大には米国側から強い要請があった。それは、航空自衛隊「国連など人道復興支援関係者や物資の運搬」という当時の日本政府の説明とは裏腹に、米軍など多国籍軍の兵員や物資などを運搬が主だったものだったからだ(図)。そうした政治情勢の中で、池田さんの事件は絶対に国民に知られてはいけない事件だったのだろう。
○深刻な後遺症
事故後、適切な治療をすぐに受けられなかったため、池田さんの体には後遺症が残った。左腕は肩から上にあがらず、右手も力を入れると震えて、自分の名前すらまともに書けない。池田さんは、あごの蝶番となる軟骨円板を失ったため、1ミリ程度しか、口を開けることができない。
一般の食事は一切取れず、わずかな隙間から流動食や、おかゆを流し込む、それが現在の池田さんの食事の全てだ。「眼球の奥や首、肩、腰などの慢性的な痛みに悩まされ、大量の睡眠薬を使って強引に眠らないと睡眠を取ることすらできません」と池田さんは言う。帰国後も、事故の後遺症をめぐり、池田さんは自衛隊内で執拗な嫌がらせを受け、肉体的にも働くことが難しかったため、2011年10月、退職。結婚していた池田さんだが、退職が原因となり、離婚した。事故は精神面にも大きなダメージを与えた。しばしばフラッシュバックを起こし、寝ていても悪夢で飛び起き、落ち着いて眠ることすらできない。
「自殺することを何度も考えた」と語る池田さん。その池田さんが辛うじて踏みとどまり、2012年9月、国を相手取っての裁判を起こした理由は「恐らく同じ様な境遇にいる自衛隊員がきっといる」という思いだ。その後、諸事情により裁判はいったん中断したものの、昨年11月からの裁判再開を「池田さんは本当に喜んでいた」と、池田さんと親しい友人は語る。その矢先の、逮捕だった。
○国家による弾圧?
今にして思えば、池田さん逮捕もその兆候がなかったわけではない。逮捕以前、度々、池田さんは「誰かから監視されているような気がします」と不安を口にしていた。その時は筆者も「考えすぎではないか」とあまり気にしていなかったのだが、シリアでの日本人拘束・殺害事件以降、中東取材歴のある友人のジャーナリストが警察から度々任意聴取された上、「このことは誰にも言わないように」と念押しされるなど、筆者の身の回りでも不穏な動きがあったのである。現在、池田さんの身柄は熱田署から名古屋拘置所に移監され、秋田弁護士によれば「池田さんは房内の寒さや横臥禁止などの処遇に苦しんでいる」という。万引きの共犯容疑での捜査が必要であるとしても、国賠訴訟を放り出して池田さんが逃亡する恐れはない。以前、筆者が池田さんに取材した際、彼は「もう、何度も死のうか、と思いました。でも、私のような経験をする自衛官をこれ以上出してはいけない。国に対して責任を認めさせなければ、死んでも死にきれない…!」と語っていた。池田さんの逮捕の真意が、彼の国賠訴訟を妨げることでないならば、万引きの共犯容疑判決が確定するまでは、池田さんは保釈されるべきだろう。