「市場価値」なんて単なる需給関係。それをキャリアの目標にしてもよいのか
■市場価値は需給関係で決まる
キャリアについて語る文章において、「人材の市場価値」という言葉が多用されています。特定の会社でしか通用しない時代遅れのスキルでは、労働市場では評価されない。時流に乗って、他社からも欲しがられる価値を高めるべきだ、という文脈で使われています。
しかし、よくよく考えてみると、市場価値とは文字通り「市場における価値」です。市場とは物事が交換される場であり、そこにおける価値は、基本的には「需要と供給」の関係において決まるものです。
何が「本当の価値」かはわかりませんが、実体は変わらずとも変動する。安い魚の代表格だったイワシが、味が変わったわけでもないのに、気づいたら高級魚になっていたということもあるわけです。
■高給を得られないエンジニアや弁護士が生まれた理由
どんなにおいしいものであっても、世の中にたくさんあるものは安く、そんなにおいしくなくても、少ないものは高くなる。「市場価値」とはそういうものです。
思い起こせば2000年問題のころ、エンジニアの市場価値は高騰しました。その後やや低迷し、今また高騰していますが、よく見るとエンジニア人材には階層ができています。
「エンジニアになると高給取りになれる!」と言われてその世界に飛び込んだ人々によって、ある時期に供給が増えたため、一般化して差別化が困難なコモディティ的領域においては、思ったほど高くない年収しかもらっていないエンジニアもたくさんいます。
難関資格の代名詞ともいわれた弁護士の世界でも、似たようなことが起こっています。私も某社で弁護士の面接を200名以上して、その切実な実情をいろいろ伺いましたが、「ふつうレベルの弁護士」は羽振りのよいサラリーマンと比べて高給取りではありませんでした。
特に2004年に法科大学院制度ができてから、供給が増えました。社会全体としてはメリットがあったと思いますが、コモディティ的職務しかできない弁護士は、むしろ食いっぱぐれているといえるかもしれません。
■「自分の仕事の価値」はお金で測らなくていい
誤解のないように付け加えると、以上は現実を述べただけであり、決してエンジニアや弁護士の職務を貶めたわけではありません。その仕事が好きでやっている人には余計なお世話ですし、しかも彼らはそうは言っても基本的には高給取りです。
私は仕事とは「好き」でやるか、「得意」だからやるかでいいと思っており、「市場価値が高いからやる」というのは、やや語弊がありますが、少しよこしまな理由なのではないかと思っています。
つまり「お金(給与)」で測られるような「市場価値」を、「自分の仕事の価値」や「自分という存在の価値」と直接結びつけなくてもよいということです。弁護士がたくさんいようといまいと、その弁護士自身の実体価値は変わりません。エンジニアだってそうです。
自分が好きでやっていたり、得意だから成果が出せて感謝されるからやっていたりしているのであれば、市場価値が低くたって構わないじゃないですか。そんなことは自分の本当の価値には関係ありませんよ、と言いたいのです。
■続けていれば「市場価値」がつくこともある
そもそも「市場価値」は他者に依存して変動するもので、自分でコントロールすることができません。また、逆説的ですが、市場価値を目指すことばかり考えない方が、結局は市場価値が高くなる可能性もあります。
前述した通り、みんなが市場価値の高い仕事を目指せば供給が増えるので、市場価値は下がります。市場価値とは「希少価値」でもあるわけですので(もちろん「希少」=「市場価値が高い」ではありませんが)、みんなが目指しているところに行ったらダメです。
市場価値の動向などに惑わされずに、自分にとって価値のある「やりたいこと」や「できること」をしていて、後はそれが希少価値を持てばラッキーですし、そうでなくても「自分価値」の高いことをしているのでいいじゃないですか。
歌舞伎なども一時期、人気がなくなった(市場価値が低下した)ことがありましたが、そんなことは関係なく続けてくれた方々のおかげで、今も私たちを楽しませてくれます。
皆さんも、今の自分の仕事の市場価値がもし低くても、本質的な価値があると信じているのであれば、是非とも踏ん張ってください。そうすれば、いつの日か希少価値が生まれ、市場価値などすぐに高まりますよ。
※キャリコネニュースで人と組織のマネジメントに関する連載をしています。こちらも是非ご覧ください。