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総務省放送法に関する「政治的公平に関する文書」問題をどの視点で読むか――解釈変更と萎縮の有無を中心に

西田亮介社会学者/日本大学危機管理学部教授、東京工業大学特任教授
(写真:イメージマート)

立憲民主党小西議員の公開をきっかけに、総務省の政治的公平に関する文書とそれに付随する放送行政への関心が高まっている。遅れて総務省も「小西議員が公開した文書については、すべて総務省の『行政文書』であること」が確認されたと述べ(3月7日)、本稿執筆時点では正確性等に関する精査を継続しているという(3月10日)。

総務省|政治的公平に関する文書の公開について https://www.soumu.go.jp/menu_kyotsuu/important/kinkyu02_000503.html

総務省|「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について https://www.soumu.go.jp/menu_kyotsuu/important/kinkyu02_000505.html

本件に関する強い懸念は、本件が例えば文書を公開した小西氏が「官邸の密室で『一つの番組で放送法の政治的公平違反を判断できる』との解釈に改変され、言論の自由に大きな侵害の危険が生じている」と述べるような事態か否かということであろう。確かに小西氏が指摘するような可能性は全く懸念されないわけではないが、かといってそれほど自明なものでもないはずだ。小西氏の指摘は「放送法解釈変更の有無」「言論の自由に大きな侵害の危険の有無」にわけて考えることができるから、このとき少なくとも4通りの仮説が生まれる。もっとも懸念の程度が強い仮説が「放送法の解釈変更有り+侵害の危険有り」であり小西氏の先の言明をはじめ多くの新聞社説等もこの仮説を比較的当然のように採用している印象だ(①)。それに対してもっとも懸念の程度が低い仮説が「解釈変更無し+侵害の危険無し」になる。仮に①の結論に至るにしても、その他の仮説の検討や棄却を試みるなどもう少し丁寧な検討がなされてもよいのではないか。

「放送法解釈変更の有無」と「言論の自由に大きな侵害の危険の有無」を比較すると、案外、後者の評価が難しい。「言論の自由に大きな侵害の危険がある」とは具体的にいったいどのような場合だろうか? 政府が報道に対して「圧力」を加えるのは全く好ましくないが、法の定める範囲で報道事業者と緊張関係が生じることは現実には頻繁にありえるのではないか。仮に「言論の自由に大きな侵害の危険の有無」を、よく言われる「放送事業者の萎縮」に限定してみてもやはり評価は難しい。萎縮を認める報道事業者はまずないだろうし、実際には各社各番組でも本件を批判的かつ相当の熱量を持って展開している。過去のコメンテーターの変更や番組編成の変更が何らかの政治的介入と相当の蓋然性を持って観察できるかといわれるとこれまた案外難しい。特に芸能事務所非所属の専門家やコメンテーターは普段から頻繁に新しい人物が登用されるし、数字が厳しければ番組編成は大きく変わるからだ。

少々懸念するのは、共同通信社の世論調査には本件に関する項目が含まれていた一方で、ほぼ同時期のNHKの月例世論調査の項目に本件に関する質問が含まれていなかったことだろうか。これだけ関心が高まっているだけに触れないほうが不思議でもあり、摩擦回避志向のようにも見える。ただし共同通信社の調査のほうがあとで行われているから、NHKの対応は10日付け文書を受けての慎重対応なのかもしれないし、前々から設計した設問を決め打ちしただけかもしれない

報道の自由へ「介入」65% https://reut.rs/3Jg4AWu

NHK世論調査 内閣支持率 | NHK選挙WEB https://www.nhk.or.jp/senkyo/shijiritsu/

放送事業者の萎縮懸念に関しては、近く開かれるはずのNHK、民放各社の定例会見や業界団体等からの言及の有無や言及があればその内容等も注視したい。

「放送法解釈変更の有無」はどうか?さしあたり岸田総理と松本総務大臣は解釈変更を否定している。「解釈変更有り」を主張するにあたって例示されがちな総務省平成28年政府統一見解はむしろ「解釈変更無し」を改めて明記したともいえる。

「政治的に公平であること」の解釈は、従来から、「政治的問題を取り扱う放送番組の編集に当たっては、不偏不党の立場から特定の政治的見解に偏ることなく、番組全体としてのバランスのとれたものであること」としており、その適合性の判断に当たっては、一つの番組ではなく、放送事業者の「番組全体を見て判断する」としてきたものである。この従来からの解釈については、何ら変更はない。(「平成28年2月12日政府統一見解政治的公平の解釈について」より引用。強調は引用者による)

その後に「一つの番組のみでも、次のような極端な場合においては、一般論として『政治的に公平であること』を確保しているとは認められない」ことが「補充的説明」され、その後の国会質疑等でもこの解釈が踏襲されている(以下、「極端な場合」の例)。

・選挙期間中又はそれに近接する期間において、殊更に特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間にわたり取り上げる特別番組を放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合

・国論を二分するような政治的課題について、放送事業者が、一方の政治的見解を取り上げず、殊更に、他の政治的見解のみを取り上げて、それを支持する内容を相当の時間にわたり繰り返す番組を放送した場合のように、当該放送事業者の番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合

総務省の政治的公平に関する文書は専らこの経緯を詳述したものである。もちろんこの「公式見解」や認識を文字通りに受け取る必然性もない。実際の運用等による「解釈変更有り」の可能性は残るからだ。それでは「解釈変更有り」という認識は、具体的にはどの事例や判例、行政処分や行政指導を念頭においたものだろうか? 小西氏の先程のTwitter投稿の前後の投稿を辿ってみても具体例は示されておらず、何を念頭において「放送法解釈変更有り」と述べているのかはよくわからなかった。この点、具体的な対象が示されると解釈変更の有無がより明確になるのではないか。

なお「一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体を見て判断する」論理は、総務省資料中p.45でも示されるように、民放において総理の単独談話が放送された件に関する政府委員の答弁等を通じて、どちらかといえば政府与党を擁護する論理として磨かれてきた(資料中では「年金問題について野党の国会議員しか出ていない番組」等も扱われている。p.53)。その意味では政権内にあった当時の礒崎補佐官が「一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体を見て判断する」論理の変更を主張し、現在は野党サイドから「一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体を見て判断する」論理の解釈変更があった、つまり「一つの番組で判断するようになった」ことが主張される点には奇妙な捻れがある印象だ。もし解釈変更有りの立場に立つなら、コロナ禍におけるワクチン行政など見方によっては「国論を二分する」政治的課題についてワクチン担当大臣の主張が相当程度肯定的に報じられたような番組の評価はどうなるのだろうか。だが当時、こうした番組は批判的目線を向けられるというより肯定的に報じられていた印象が強い。

筆者はむしろ90年代〜00年代の間に、椿事件やライブドア事件、その後の竹中総務大臣の私的諮問機関の設置等多くの放送行政を揺るがす出来事があり、同時に行政指導が多数出されるなど、放送事業者が萎縮か、少なくとも政治や規制当局との摩擦回避志向をそれまで以上に強くするだけの動機づけと合理的理由があったと考える。それらを経てなお、今回の2010年代半ばの一連の出来事を通じて放送法解釈変更が生じ、放送事業者が顕著な「危機に晒された」かと問われるとよくわからないというのが現状認識だ。厳密に論証するためには追加の資料や当事者である放送事業者の認識、声明等が重要になってくるように思われる。なお、その後、放送は徐々にインターネットにそれまでの支配的地位を脅かされ、新たな危機に直面している(広告費ではインターネットに抜かれ、視聴時間や利用時間も中年以下世代ではインターネットが逆転している)。

下記拙稿にも書いたが、放送事業者はその表現の自由が尊重される一方で、自律と自立も求められている。これまで後者はお手盛りになっていなかったか。十分国民の信頼を得られてきたか。反省すべきがあるなら反省すべきで、取り組み強化を考えるべき時期ではないか。放送行政はわかりにくく、インナーサークルの論理に影響されやすい。各放送事業者は他の事業者と比較してもより高い公益性が求められる事業者だ。社会に対して積極的に自律に関する考え、取り組み等を今まで以上にアウトリーチするべきだ。

※ 筆者による問題初期の経緯の整理については以下拙稿を参照のこと。

放送法内部文書は何が問題か、官邸の“威光”背にした首相補佐官の個人的関心(JBpress)

https://news.yahoo.co.jp/articles/8321bc81a7452415edfaeba6e4fb856ca4c123f3

社会学者/日本大学危機管理学部教授、東京工業大学特任教授

博士(政策・メディア)。専門は社会学。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科助教(有期・研究奨励Ⅱ)、独立行政法人中小企業基盤整備機構経営支援情報センターリサーチャー、立命館大学大学院特別招聘准教授、東京工業大学准教授等を経て2024年日本大学に着任。『メディアと自民党』『情報武装する政治』『コロナ危機の社会学』『ネット選挙』『無業社会』(工藤啓氏と共著)など著書多数。省庁、地方自治体、業界団体等で広報関係の有識者会議等を構成。偽情報対策や放送政策も詳しい。10年以上各種コメンテーターを務める。

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