「障がい者と健常者が一緒にプレーできるほうが楽しい」――車椅子ソフトボールが実現する「共生」
「極論、『障がい者スポーツ』という言葉すらいらないと思います」。車椅子ソフトボール日本代表の堀江航さん(42)はそう語る。堀江さんは、2018年平昌パラリンピックのアイススレッジホッケー(パラアイスホッケー)日本代表でもあった。
東京2020パラリンピックの正式種目ではない車椅子ソフトボール。日本で行われる試合では、多くの健常者も選手として競技している。「健常者と障がい者の垣根なく、一緒に楽しめるスポーツです」と堀江さんは言う。パラリンピックには、国際パラリンピック委員会(IPC)が「資格がある」と定めた障がいがなければ出場できない。「障がい者スポーツ」はこれからどうあるべきなのだろうか。
●障がい者スポーツの「参加資格」
「車椅子スポーツは、車椅子に乗りさえすれば誰でもできるんです。乗ってしまえば、足が1本しかない僕も、足が2本ある健常者も、能力的にはほぼ同じです。体の大きさや運動神経といった個人差はあっても、障がいがあることによる差は、健常者が車椅子に乗れば限りなく少なくなる」
そう話すのは、堀江航さん。車椅子ソフトボール日本代表で、2018年平昌パラリンピックのアイススレッジホッケー(パラアイスホッケー)日本代表でもあった。
車椅子ソフトボールと違い、一般的な障がい者スポーツには「参加できるかどうかの基準」がある。障がいがあったとしても、障がい者スポーツへの参加資格を満たしているとは限らないのだ。
パラリンピックは、国際パラリンピック委員会(IPC)の基準により「資格がある」と定めた障がいがなければ出場できない。出場資格の厳格な審査は、競技の公平性を守るために必要だが、車椅子で日常生活を送っているにもかかわらず、その障がいが基準を満たしていないという理由で参加資格を与えられないケースもある。
なぜ、日本の車椅子ソフトボールでは、健常者が参加するようになったのだろうか。
日本車椅子ソフトボール協会が発行する「車椅子ソフトボールガイドブック」によると、競技自体は1970年代にアメリカで発祥し、1976年に全米選手権が開催された。日本で競技がスタートしたのは2012年。当時、日本での知名度は低く、障がい者だけで編成する日本代表へ参加を希望する人は全国でわずか10人程度しかいなかった。国内で大会をするためには、健常者の参加が必要不可欠だったのだ。堀江さんは、人数不足を解消するためだけではなく、最初から意図的に健常者を入れることを提案していた。
「障がい者と健常者が一緒にプレーできるのなら、一緒のほうが楽しい」
パラリンピックの正式種目である車椅子バスケットボールで、日本国内の大会に限り健常者が選手として参加できるようになったのは2019年。車椅子競技の大会に健常者が選手として出場するのはまだ珍しいことだ。
車椅子ソフトボールの健常選手である齊藤雄大さん(32)は、大学院生だった2012年当時からこの競技に携わってきた。齊藤さんは、当初戸惑いがあったという。
「子どもの頃から野球をやっていたので、キャッチボールの相手を手伝うくらいの感覚で参加していたんです。でも、選手として参加するということになって、障がいのある人の大切な道具である車椅子に、健常者の自分が乗ってもいいのだろうかと」
その戸惑いは杞憂(きゆう)に終わる。試合に出てみると、車椅子ソフトボールはスポーツとして面白かった。試合にどう勝つかを考えていくうちに、障がいの有無は大きな問題ではなくなったという。
「多くの健常者が障がいのある人に慣れていないというのが今の現状だと思うんですよね。障がいの有無に関係なく一緒にプレーすることで、お互いに理解したり、友達ができたりするのがこの競技の魅力だと思う」
女子ソフトボール日本代表として過去3度のオリンピックに出場し、銀と銅の二つのメダルを獲得した高山樹里さんは、日本車椅子ソフトボール協会の会長として、堀江さんとともに競技の普及活動を行っている。
「車椅子ソフトボール協会への選手登録数は、健常者が152人、障がい者が126人の合計278人です(2020年)。毎年、選手の数が増加しています」と高山さんは言う。2013年に開催した第一回全日本車椅子ソフトボール選手権大会の参加者は58人(健常者39人、障がい者19人)。この8年間で5倍近くまで増えた。
「障がいのある人は健常者が苦手とする車椅子の動かし方を教えたり、健常者は障がいのある人に打ち方や守備を教えたりします。こういった相乗効果で、うまくやってこられたんだと思います」
車椅子ソフトボールは主に日米で実施されている競技だ。アメリカでは、健常者が選手として大会に参加することはない。戦地で負傷した元軍人など車椅子生活を送る人が多く、車椅子スポーツの競技者数も圧倒的に多いので、健常者が入る余地がないのが現状だ。日米間で国際試合を行う時には、日本代表チームも障がい者のみで試合を行う。
●足を失った後、アメリカ留学で得た気づき
堀江航さんが車椅子ソフトボールに出会ったのは、アメリカの大学に留学していた2009年頃のこと。もともと車椅子バスケットボールを学ぶための留学だった。アメリカでは日本のように一つのスポーツだけをプレーするのではなく、シーズンごとに車椅子テニスや、車椅子陸上など、さまざまな種目に取り組むのが一般的だ。そうして出会ったのが車椅子ソフトボールだった。
堀江さんは左足の膝から下がなく、普段は義足を使って生活をしている。生まれつき足がないわけではない。日本の大学生だった21歳の頃、バイクに乗っていたらバランスを崩し、ガードレールにぶつかる事故に遭った。この事故のけがが原因で左足を切断した。
高校3年生の時にはサッカーの全国大会に出場し、日本体育大学でもサッカーを続けるスポーツマンで、大学卒業後には体育教師を目指していた。
「もちろん当時は悲しかったり涙したりすることもありましたけど、足がなくなってこういう生活をしていく中で、自分なりに好きなことをやったほうが得だなっていうのは、徐々に思い始めたのかもしれませんね」
友人が、車椅子バスケットボールを紹介してくれた。大学卒業後、スポーツ関連の企業で働いていたが、車椅子バスケットボールを本格的にやりたいという気持ちが強くなり、アメリカの大学へ留学を決意したのだ。
留学期間中に、所属した車椅子バスケットボールチームが全米大学選手権で優勝。アメリカでは、スポーツの勝負の世界に身を置く一方で、スポーツを楽しむことを学んだという。
「アメリカではスポーツをやるにしても観るにしても、楽しむことが重要視されている。日本では、スポーツは苦行か修行と捉えられていることが多いのではないか」
●健常者が「パラリンピックに出たい」もあり
2021年7月3日、4日に北海道千歳市では、車椅子ソフトボールの全日本選手権が開催された。試合会場は新千歳空港からほど近い商業施設の大きな駐車場。芝や土のグラウンドでは車のタイヤが埋まって動けなくなるので、アスファルトのような硬い地面が必要となるからだ。
白いテープで線を作り、2面分の試合会場ができあがる。コロナ禍ということもあり、例年よりも少ない7チームが全国から参加。足を切断している選手や脳性まひで手と足にまひのある選手たちと一緒に、障がいのない選手も車椅子に乗って試合に出ている。
大きな駐車場で試合を行うことや、投手は打者が打ちやすい山なりの球を投げなければいけないことなど、特徴的なルールはある。しかし、「車椅子に乗ってやるということ以外は野球やソフトボールとほぼ変わらない」と堀江さんは話す。
健常者と障がい者が一緒に楽しめる車椅子ソフトボール。堀江さんはこう言う。
「共生社会という言葉がありますが、車椅子ソフトボールは試合の中でそれを体現している。パラリンピックの選手がオリンピックに出たいというムーブメントがあるけども、逆に健常者がパラリンピックに出たいというムーブメントがあっても僕はいいと思う。障がいがあろうがなかろうが、スポーツは楽しむべきだし、するべきだと思うんです」
今はいろんな人に「車椅子ソフトボールを一緒にやろうよ」と声をかけている。
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監督・撮影・編集:山田裕一郎
プロデューサー :高橋樹里・柳村努・山本あかり・塚原沙耶