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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第12回 養護教諭の対応

藤井誠二ノンフィクションライター

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養護教諭の対応

二年一組で再々試験が始まったころ、教室を一つ隔てた三年八組の担任であるT教諭は、教室でホームルームをおこなっていた。三年八組は一号館校舎四階の一番奥にある。その左隣が二年八組、その隣が二年一組である。

ホームルームか終わり、生徒と話していると、他クラスの生徒が、「生徒が倒れている」と言いながら教室に飛び込んできた。T教諭はその声を聞き、おどろいて廊下へ飛び出した。

T教諭がとっさに左の方を見ると、二年一組の前の廊下に生徒が倒れていたので、すぐに走り寄った。右側を見なかったのは、右隣に教室はないからだ。

《その生徒は仰向けに倒れており、顔色が真っ青になっていました。その生徒の頭を抱えているのが、宮本先生でした。なんで倒れたのだろうと思いました。倒れていた生徒の顔は知っていましたが、名前が陣内さんであることはあとで聞きました》(T教諭)

倒れている知美のすぐ横には、田中真紀や二年一組の数人の生徒が立っていたことをT教諭は覚えている。

《宮本先生が大声で、『救急車を呼んでくれ』『呼んでくれ』と叫んでいました。私は、宮本先生のその言葉を聞き、私に対して言っているものと思いましたが、救急車を呼んでいいのか、他の先生を呼んでいいのかわからなかったのです。しかし、このときの宮本先生はかなり慌てておられ、私は、何を呼んで来るのかを尋ねることもできず、私の判断でK先生を呼びに行きました。K先生は生徒が怪我をしたときなどに手当てをしている養護の先生ですので、私としては陣内さんが倒れて顔色が真っ青になっていたので、K先生を呼んで来たほうがいいと判断したのです》(T教諭)

T教諭は、二年一組のある一号館校舎から、K養護教諭のいる保健室のある隣の二号館へ走った。しかし、二号館一階にある保健室にT教諭が着いたとき、部屋は留守であった。T教諭はすぐに踵を返し、再び二年一組に戻った。

そのとき、K養護教諭はどうしていたか。

K養護教諭は教諭職であるため、授業が終了し、掃除の時間が終わるまでは校内にいることになっている。授業は三時二○分に終了し、三時三○分までの十分間が掃除。そして、三時四○分までの十分間がホームルーム、そして下校となる。その時刻まで、K養護教諭は、特別な用事がないときは保健室にいる。

その日、ホームルームが終わる三時四○分すぎ、K養護教諭は理科準備室に一年四組の担任教諭を訪ねていた。が、その教諭は理科準備室にいなかった。彼女は、急ぐ用件でもなかったため、それ以上一年四組の担任を探すことをせず理科準備室を出て、保健室に戻ろうとした。すると、そこでばったり親しい生徒と会い、雑談をしていた。そこに、あわてた様子の生徒が「教室でクラスの生徒が倒れたので、先生、担架を持っていっしょに来てください」とかけ寄ってきた。

「何んしょって倒れたとね?」

「陣内さんが宮本先生に叩かれて倒れたんです」

「担架を使わないと運べないの?誰かおんぶして来られんね?」

K養護教諭はその生徒に尋ねた。まずは、保健室に連れてこさせようと思ったのである。K養護教諭はいったん保健室に戻り、ベッドの整理をして、二年一組へ向かった。

向かおうとしたとき、三年八組の生徒二名が「生徒が倒れているので、担架を貸して下さい」と駆け込んできた。さっきの生徒が言ってきたことと同じだと思い、「おんぶか、どうにかして連れてきてくれんね」と伝えると、生徒たちはすぐに戻っていった。

《とにかく様子を見ようと思い、二年一組に向かったのです。途中で、さきに言いにきた二年一組の生徒たちに追いつきましたので、『どうして叩かれたの?』と聞くと、陣内さんがスカートを折り曲げて短くしていたため、と言いました。その生徒は『それぐらいで叩かんでいいとに』と不満をもらしていました》(K養護教諭)

K養護教諭と生徒たちが、三階から四階に通じる階段を昇り切ったころ、宮本が知美の頭を抱え、二、三人の生徒が足付近を抱えて、ゆっくり階段にさしかかるところだった。

K養護教諭が知美の様子を見ると、意識がなく、顔色は青ざめていた。「陣内さん、わかるね」と声をかけても、返事はなかった。顔に外傷はなく、出血している箇所もなかった。叩かれたぐらいでどうしてこうなるのだろう、と疑問に思った。

《宮本先生が、『担架を持ってこられたか』と聞いてこられましたが、生徒が貧血や生理痛で倒れたりすることがあっても、担架を使って逆ぶのは周りの生徒に心理的に影響を与えてしまうので、生徒さんらが担架を借りにきたときは、おんぶをして連れてくるように伝えたのですが、実際に知美さんを見て、まさか意識を失っているとは思いませんでした。とにかく、保健室まで運びましょう、と言って、運んでもらうことにしたのです》(K養護教諭)

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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