ギリシアがドイツの「戦争責任」を問題にするのはなぜ?
ギリシアのチプラス政権がドイツに対し、第二次世界大戦の占領で被った損害1620億ユーロ(約22兆円)の賠償を要求しています。それに対してドイツは、「賠償問題はすべて解決済み」と拒否しました。
この報道に、なんかヘンだと思ったひとも多いでしょう。日本はいつも、戦争責任をめぐってドイツと比較され、批判されていますが、ギリシアとドイツのやり取りはアジアのどこかの国とそっくりです。
戦後の日本とドイツが置かれた立場のちがいは、人類の“負の遺産”となったヒロシマとアウシュヴィッツを比べればわかります。どちらも人類史に画期をなす大事件ですが、強制収容所がユダヤ人絶滅計画という「加害」の記録だとすれば、広島・長崎への原爆投下では多数の市民が死亡し、重い原爆症で苦しんだのですから、こちらは「被害」の歴史遺産です。映画『ゴジラ』に象徴されるように、戦後の日本人は原爆を天災とみなすことで「罪の相殺」をしてきました。
日本は沖縄が戦場になりましたが、北方四島などを除き「固有の領土」を失うことはありませんでした。それに対してドイツは、敗戦によって多大の犠牲を払うことになります。
首都ベルリンが陥落すると、ドイツ東部ではロシア兵によって数十万人(200万人ともいう)の女性が強姦されました。冷戦で国土が東西に分割されたばかりか、スターリンはポーランド東部の領土をソ連に編入する代わりに、ドイツとの国境を大きく西に動かし、ドイツの領土のおよそ4分の1をポーランドに割譲させました。これによって1000万人以上のドイツ人が追放され、リンチや強姦などの報復行為で210万人が死亡または行方不明になったといいます。
ドイツの「戦争責任」を取材したジャーナリストの木佐芳男氏によれば、こうした“被害体験”によって、「第二次世界大戦におけるドイツ軍の加害行為を謝罪すべきだ」と考えるドイツ人は、一般市民や政治家はもちろんリベラル派の知識人のなかにもほとんどいないといいます。
戦争で多大な被害を受けた英仏がドイツに寛容だったのは、第一次大戦で過酷な賠償を取り立てたことがナチスの台頭につながった歴史の教訓があったためです。ソ連の核兵器保有は、西ドイツの戦争責任を追及するよりも、西側陣営にとどめておくことを死活問題にしました。そのうえヨーロッパの国はどこも「植民地」や「侵略」で大なり小なり手を汚しているので、それを持ち出すと収拾がつかなくなるのです。
それでは、ドイツはなにを謝罪しているのでしょうか。それは、一方的な「加害」であることが明白で言い逃れのしようのない罪、ホロコーストについてです。
しかしその罪は、ドイツでは「ナチス」によるものとされています。ドイツ国民の「責任」とは、ヒトラーという“オーストリア生まれの外国人”を指導者に選んだことです。このような都合のいい責任の分離は、天皇の名のもとに戦争を行なった日本では使えません。
冷戦下の国際政治が、ドイツの謝罪と隣国の寛容を可能にしました。これはもちろん戦後ドイツ外交の大きな成果ですが、その条件がないところでは日本と同様の戦争責任問題が起きるのもまた事実なのです。
参考:木佐芳男『〈戦争責任〉とは何か』(中公新書)
『週刊プレイボーイ』2015年3月23日発売号
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