【北九州市】偉大なる若松ゆかりの偉人~中村哲医師平和パネル展
2019年12月4日。支援活動をしていたアフガニスタンで銃撃により逝去された中村哲医師。
そんな中村先生と北九州市とのつながりを知っていますか?
母の兄は若松区出身の作家火野葦平さん。
ギラヴァンツ北九州会長の玉井行人さんとは従兄弟同士。
中村先生ご自身も幼い時は若松在住だったとのことです。
穏やかな笑顔でほほ笑む中村先生
そんな中村先生の写真展を定期的に行っているのが「アジアを考える会・北九州」。
会長の内山信子さんが、40年ほど前、中村先生の話を聞いたことで平和パネル展を行うことになったそうです。
偉大なる偉業を成し遂げた中村哲先生
もとは荒野だった緑一面の大地。
中村先生が現地の人たちとともに開拓していった場所です。
この写真を見ただけで泣きそうで、いまだに逝去されたことが信じられません。
地元の人たちの先頭に立って自ら行動
中村先生にお会いして一緒に写真を撮っていただいたことがありますが、小柄な方でした。
そんな中村先生が、大きなアフガニスタンの男性たちに交じり、先頭を切って、自ら土を運び、作業車を運転する姿は写真や映像で何度も拝見していました。
水がない土地に井戸を掘り、灌漑作業で荒れ果てた土地を農地に変え、本当にたくさんのアフガニスタン人の命を救ってきた中村先生。
私は中村先生のもとで作業を行い、研修のために来日するアフガニスタンの人たちと話をする機会がありましたが、彼らは口々に「ドクターナカムラは命の恩人だ」と話していたのを思い出します。
アフガニスタン国内で
中村先生が逝去されたとき、アフガニスタン人の友人たちからは「あんなに助けてくれた命の恩人をこんな目にあわせて申し訳ない」と連絡が届きました。
私たち日本人にとって、アフガニスタンの人たちにとってはそれ以上に大きな宝物が消えてしまった出来事でした。
中村先生の事業は全て継続し、中村先生の希望は全て引き継ぐ
中村先生は逝去されましたが、先生を支援し続けてきたペシャワール会では
先生が行っていた事業を継続支援されています。
まだまだアフガニスタンでは、干ばつが起こり、病気の人も多いそうで、支援が必要となっています。
ペシャワール会から提供された写真が並ぶ平和パネル展では、先生の今までの功績や、先生亡き今の活動の様子が展示されています。
会場で心が動いた方は、ペシャワール会に入会し、中村先生の遺志を引き継ぐ一員になってみてはいかがでしょう。
現在、大里柳市民センターで写真展が行われています。
この機会に、北九州の偉人、中村先生に会いに出かけませんか