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サッカーが語られないまま決定されたハリル解任騒動が収束しても、JFA会長の責任は忘れてはいけない

中山淳サッカージャーナリスト/フットボールライフ・ゼロ発行人
(写真:ロイター/アフロ)

結果がどうなるにせよ、W杯後の田嶋会長には責任が問われる

 パリの某ホテルでJFA(日本サッカー協会)田嶋幸三会長からヴァイッド・ハリルホジッチ前日本代表監督に解任が言い渡されてから20日後、ハリルホジッチが東京で記者クラブ主催の会見に出席した。

 そもそも、W杯を2ヵ月前に控える中で監督を解任すること自体が異例の出来事なわけだが、解任された監督があらためて記者会見を行なうことは異例中の異例だ。それでも、本人がわざわざ日本に出向いてまで会見を行なう理由はあった。それは、田嶋会長から伝えられた「選手とのコミュニケーションや信頼関係が薄れた」という曖昧(あいまい)かつ不可解な解任理由をどうしても承服できなかったからだ。

 つまり、今回のハリルホジッチ再来日の目的は、“こと”の真相を知ることにあった。

 ところが、いざ蓋を開けてみると、開始から約50分にわたってひたすら思いの丈を語り続けたハリルホジッチは、この3年間で自分が行なってきた仕事ぶりを自画自賛して会見の本筋から脱線。ようやく始まった質疑応答の中で、選手とのコミュニケーション不足については「私の認識ではそういった問題は存在しなかった」とし、しかしその一方で「真実を探しにきたと言ったものの、残念ながらまだ見つかっていない」という現状を告白した。

 結局、世間が注目した真相は闇に包まれたまま。この会見で浮き彫りになったのは、選手との間にあったとされるコミュニケーション不足ではなく、ハリルホジッチとJFAの間にあったコミュニケーション不足の問題だった。

 その一方、約1時間半に及ぶ会見の中で、今回の騒動における問題の本質を突くコメントがあったことを見逃すわけにはいかない。それは、会見の最後に行なわれた質問に対する回答の中でハリルホジッチが発したひと言だ。

「ウクライナに負けたから、といった結果を突きつけられたのなら、まだ理解できる」

 おそらく、彼が今回の解任劇を消化できないままでいる最大の理由は、この言葉に集約されている。

 これと同じような意味合いで「韓国戦(2017年12月のE-1サッカー選手権)の後に解任を考えたという話も聞いた。それであれば、私も少しは理解できる」とも話していたが、要するにサッカー面での評価を得られずに解任を言い渡されるならまだしも、コミュニケーションや信頼関係というピッチ外の漠然とした理由だけで決定が下されたことは、到底、理解できないということだ。

 監督業を生業とするプロフェッショナルとしては、当然の物言いである。

 対するJFA側は、4月9日に行なわれた田嶋会長の緊急記者会見においても、その3日後に行なわれた西野朗新監督就任会見においても、そして今回のハリルホジッチの会見を終えても、いまだコミュニケーションと信頼関係以外の解任理由を明かしていない。

 しかも、ハリルホジッチによれば、田嶋会長や新監督に就任した西野前技術委員長から、解任を言い渡されるまで自身に対する問題提起が一度もなかったというのだから驚きだ。

 両者の言い分を照らし合わせると、代表監督と技術委員長の間にサッカー面の議論がほとんど存在しなかったことが浮き彫りにされ、少なくとも西野前技術委員長がハリルホジッチの仕事に対して意見したことはなかったと見ていいだろう。

 本番2ヵ月前に代表監督が解任されたことよりも、この事実のほうが圧倒的に問題だ。

 今から24年前の1994年、当時、日本代表を率いていた元ブラジル代表のファルカンが、言語の違いによるコミュニケーションの問題を理由に監督を解任されたことがあった。

 もちろん、本人はブラジル帰国後に不満をあらわにしたが、プロ化直後という当時の日本サッカー界の状況を考えれば、戦術などサッカー面の理由がなかった川淵三郎技術委員長(当時)の解任説明が、さほど波紋を広げなかったことは仕方ない部分もある。まだそういう時代だったのだ。

 しかし、あれから時計の針は進み、日本サッカーを取り巻く環境は大きく変わった。例えば、アルベルト・ザッケローニ監督とハビエル・アギーレ監督招へい時の原博美技術委員長や、ハリルホジッチを招へいした霜田正浩技術委員長は日常的に代表監督と対話を行ない、試合や練習内容を分析して「評価査定」を行なっていた。

 だから時には、技術委員長として代表監督の考えを代弁することもできた。彼らの評価は別として、それが技術委員長としてのあるべき姿だ。

 しかし、しなかったのかできなかったのかはわからないが、田嶋体制のスタートとともに就任した西野前技術委員長にはそれがなかった。自分が理事会に推薦した監督でないことはわかるが、だからこそ客観的に評価査定を行ない、仮にW杯を戦う監督として相応しくないと判断したのであれば、具体的にそれを指摘し、理事会を通して会長に進言すべきだったのではないだろうか。

 個人的には、ハリルホジッチの解任については今も賛成だ。なぜなら、W杯予選を突破することはできたが、そのサッカーの中身はとても褒められる内容ではなかったからだ。

 個々の選手のレベル低下が著しい現在の日本代表にあって、ハリルホジッチの戦術は組織力を高めてそれをカバーするのではなく、逆に個々のクオリティの問題をさらにクローズアップさせてしまう戦術であり、そこには多くの不安要素が散見された。また、予選突破後の親善試合では、苦戦する中で効果的な采配によって状況を変えることができず、全てを選手のクオリティの問題で片付けてしまうことも問題だった。

 今回の会見では「最後の詰めの部分が自分の持ち味だ」と豪語していたハリルホジッチではあるが、もはや状況を一変させるような秘策が出てくることもないと見ていた。

 もちろん、これらは戦術やゲームプラン、スカウティングや采配などのサッカー面での話だ。そこに選手とのコミュニケーションや信頼関係という要素は含まれていない。それはプロの世界であればどんなチームでも存在して然るべきことであり、勝てばチームは団結し、負ければバラバラになること自体は世界のどの代表チームでも起こりえることだ。

 逆に、それを拠り所にチーム強化を図ること自体が、プロの常識とはかけ離れた考え方であると言っていい。

 日本代表監督の人事が「サッカーを語らない人によって、サッカーが語られないないまま決定された」という事実に、あらためて絶望感を覚えずにはいられない。

 4月9日の会見で田嶋会長は「西野技術委員長、スタッフ、岡田(武史)副会長とも議論をしながら」「最終的な意思決定は会長の専権事項」として今回の解任を決定したと語っている。

 そして西野技術委員長を後任監督とすることによって、代表監督の実質的人事権を持つ技術委員会のトップを空席とし、会長自らがすべての判断を下した。

 本番がどんな結果になるにせよ、だからこそW杯後の田嶋会長には説明責任が問われる。もちろん、結果を残せなかった時には、今回の責任をとって西野監督とともに自らの職を辞するべきである。

 前代未聞の監督解任騒動が収束しても、そのことだけは忘れてはいけない。

(集英社 週プレNEWS 5月1日掲載)

サッカージャーナリスト/フットボールライフ・ゼロ発行人

1970年生まれ、山梨県甲府市出身。明治学院大学国際学部卒業後、「ワールドサッカーグラフィック」誌編集部に入り、編集長を経て2005年に独立。紙・WEB媒体に寄稿する他、CS放送のサッカー番組に出演する。雑誌、書籍、WEBなどを制作する有限会社アルマンド代表。同社が発行する「フットボールライフ・ゼロ」の編集発行人でもある。

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