【京都市】右京区「太秦」にある『蛇塚古墳』を訪ねて…
京都盆地の西北方は、「嵯峨野」と呼ばれています。
昭和の初期までは葛野(かどの)群といわれていたこのエリアは「広隆寺」を中心として現在の北野白梅町付近まで古代豪族である秦氏の生活圏だったと言われています。
秦氏のルーツには様々な憶測が飛び交いますが、平安京が遷都される前に、山城国として開拓した先住民たちで渡来人と言われており、農耕、土木、養蚕、機織りなどの技術を伝え大陸文化を広めた、と。
観光地でも有名で、名称である嵐山に「葛野大堰」を築いたのは秦氏で、水の量を調整し、農業を開発した秦氏の高度な技術に驚いたことでしょう。
今回は、秦氏と関係があるのでは、と言われる「蛇塚古墳」をご紹介します。
蛇塚古墳
蛇塚古墳は、全長約75メートルの前方後円墳で、横穴式石室の構造などから7世紀ごろのものだと考えられています。
横穴式石室でも、蛇塚古墳のように巨石を用いて石室を構築する方法は、古墳時代では新しいとされます。
6世紀以後、嵯峨野の開発が進み、国内有数の有力者の墓が作られたことから、この地域の豪族であった、”秦氏の関係”ではないかと言われています。
しかし、遠い古代の謎解きはまだ続きます。
「高津商会」から徒歩10分もしないところに、こんな遺跡を見ることができるとは驚きでした!
あらかじめ予約をしておくと、中も見せてもらえるようです。
「東洋のハリウッド」と言われるキネマの町『太秦』で、古代のミステリーに触れながら歩くのも楽しいですね。
蛇塚古墳
〒616-8153 京都府京都市右京区太秦面影町