“遍路待つ 時が知る一日”ーー140年続く俳句茶屋、77歳店主が守る愛しき人の遺言
四国八十八カ所巡礼の別格霊場のひとつ海岸寺の境内に、俳句の短冊が無数につるされた俳句茶屋がある。明治12年の創業からお遍路さんに親しまれてきたが、コロナ禍で売り上げの減少に直面し、いまや閉店の危機に。店主の土井章さん(77)は、「140年以上続く俳句茶屋は、お遍路さんたちに魂のこもった俳句を納めてもらってきた。なんとしても閉めるわけにはいかない」という。コロナ禍、お遍路さんの減少とお遍路宿の閉鎖が相次ぐ一方で、海外渡航のキャンセルや離職をきっかけにお遍路に挑戦する若者も増えている。変わりつつある四国遍路のいまを探る。
● 消えゆくお遍路さんと遍路宿
2020年からのコロナ禍で、お遍路さん向けの宿の閉鎖が40件以上も相次いだ。経営者の高齢化や後継者難に、宿泊者の激減が追い打ちをかけている。多くのお遍路さんが利用する太龍寺ロープウェイの輸送人数の推移を見ると、2014年〜18年の5年間の平均利用者は7.8万人だったのが、感染防止のため一時閉鎖された2020年は4万人、21年は3.5万人と減少の一途だ。
歩き遍路向けのガイドブック『四国遍路ひとり歩き同行二人』を発行する一般社団法人「へんろみち保存協力会」によると、徳島県内で「遍路ころがし」と呼ばれる難所、焼山寺の近辺ではお遍路さんを支えてきた遍路宿の閉鎖が相次ぐ、危機的な状況になったという。コロナ禍前は海外からやってくるお遍路さんが増え、宿が多言語の対応をしたり、古い民家を改造してゲストハウスを始めたりする若い世代が出てくる、この文化を引き継ぐ形で良い流れができていたところだった。その矢先のコロナ禍。感染防止のため納経所の閉鎖もあり、同会には「お遍路はできるのか」との問い合わせが増えたという。藤岡直樹事務局次長は「歩くか歩かないかはお遍路さん自身に決めていただくこと。こちらでジャッジはできない。情報を発信し、サポートをしていきたい」と話す。
一方、世界的な旅行ガイドブック「ロンリープラネット」による世界で訪れるべき地域・都市などの観光地ランキング「Best in Travel 2022」の地域部門で、「四国」は6位に選ばれた。かつてランクインしたスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼道では、巡礼者が年間1万人ペースで増加し、18年には32万人を超えた。巡礼宿周辺に宿泊施設や飲食店が開業し、観光客が増えて集落が活気を取り戻した事例もあり、訪問客の増加が期待されている。
● コロナ禍がきっかけで
筆者が2020年の夏遍路、21年の冬遍路を取材して感じたのは、若いお遍路さんが増えていることだ。きっかけとなっていたのは、意外なことにコロナだった。
九州からやってきた40代の男性は、コロナの影響で経営していた民宿を閉めた。もともと山登りが趣味で、心身の疲れをいやし、次の道を決めるため心の整理をしたかったという。旅の途中、縁があって「台風が通り過ぎるまで」と泊めてもらった宿を手伝いながら、8泊した。
札所を通常とは逆の反時計回りに巡る「逆打ち」に挑戦したカップルのひとりは「海外への自転車旅行を計画していたが、コロナが原因となり行けなくなった。軽い気持ちで歩き遍路に挑戦したら、もっと大変だった」と振り返る。
京都大学の28歳の院生は米国への短期留学が決まっていたが、渡航困難となったため、その期間をお遍路にあてた。
山道に迷ったことに気がつかず進んでいたところ、古いクモの巣がたくさん張り巡らされていたことに気づき、元の道をたどって戻ることができたという。「自然に生きる生物のありがたさを感じた瞬間でした」
和歌山県の40代の会社経営者は、会社の忘年会でやった地図にダーツを投げて行き先を決める「ダーツの旅」でインドに行くことになったが、コロナのため四国での巡礼に変更。60番横峰寺から立ち寄った西日本最大の石鎚山を登頂後、日が暮れて遭難の危機に見舞われた。電話で国民宿舎に助けを求めたところ、職員の的確な指示により下山することができたという。
信心深さは年齢とともに高まるもので、四国遍路は空海ゆかりの地を巡礼する修行の地として高齢者を中心に受け継がれてきた。最近は、コロナのような何らかの社会的なきっかけから、心身の整理も含めたスポーツに近い感覚でお遍路に挑戦する若者たちが増えているようだ。
四国八十八カ所巡礼は、それぞれが自らの内面と向き合うことに意義があるように筆者は思う。日常の忙しさにかまけて放っておいた感情と向き合い、体を動かしながら、そこに気持ちを連動させる。四国の自然の中に、心にたまったおりを解き放つ。遍路特有の文化でもある、道行く人に拝まれたり、お布施やお接待をもらったりしながら、遍路という非日常を生きる。そして、自分の力では乗り越えられないような失敗や苦難に出会ったとしても、「人間はそう簡単には死なない、またやり直せる」と立ち向かえる強さを得て、日常に戻っていく。
● 140年以上続く接待所 閉店の危機
土井章(77)さんが切り盛りしている俳句茶屋は、140年以上続く伝統ある接待所だ。もともとは71番札所の弥谷寺にあり、参拝客に甘酒やあめ湯を振る舞い、宿泊施設もあってにぎわっていた。戦後になって西尾芳月という俳人が住むようになったのが、俳句茶屋の成り立ちだ(「商店建築」1978年7月号、速水史朗氏の著述より)。
1970年に俳人から茶屋を引き継ぎ、3代目店主となったのが、当時36歳だった大野姉知子さん。お遍路さんを叱りとばしながらも情け深さがにじみ出るキャラクターが愛され、茶屋は常連客でにぎわった。97年にそこへやってきたのが、大野さんの友人だった土井さんだ。20年ほど続けていたシロアリ駆除の事業に失敗。持病も抱えていたため、大野さんのもとで静養しながらお遍路さんへの接待を手伝ってきた。
ところが2016年に大野さんが81歳で亡くなると、建物の老朽化を理由に俳句茶屋は弥谷寺から移転を余儀なくされる。移転先として声をかけてくれたのが、当時、海岸寺の副住職で現住職の上戸暖大さん(36)だ。「地域で大切に守られてきたお遍路文化が途絶えることがないように」という上戸さんの計らいにより、俳句茶屋は2018年の秋口に四国霊場別格18番の海岸寺境内に再建された。海岸寺俳句茶屋には歩き遍路さんたちの心模様を描いた俳句が納められ、いまでは5000句以上の短冊が天井や壁にびっしりとつるされている。
土井さんは再建後の新たな目標を、令和の俳句を集めることにした。「ここ海岸寺は弘法大師さんのお母さんの里ということもあり、亡き母を思う句や、お遍路さんのお接待を受けた時の温かな感情をうたった句が集まってくる」のだという。
大野さん亡き後、土井さんはひとりで営業を続けてきたが、最近は気弱になっている。圧迫骨折した脊椎の古傷が痛むうえ、お遍路さんの減少もあって週3日の営業も守れない状態が続いているからだ。
「相方が亡くなった後に俳句茶屋を閉店すればよかったと思うこともある。だけど、お遍路さんたちは長く険しい修行の道を悩みを抱えて歩いてくる。そんな人たちにとってホッとできる場所でありたい。心に俳句を灯して元気になって帰ってほしい。茶屋を支えてくれる地域の人たちがいる限り、俳句茶屋を続けてほしいという大野姉知子の遺言を引き継いで、命尽きるまで店を開け続けたい」
海岸寺の上戸住職は「正直言って、商売としては期待していない。それよりも、一度つぶれてしまうとその文化は二度と継承されないと思う。僕もお遍路さんをしていた時に土井さんに出会っている。ゆっくり土井さんに先々のことを考えてもらうのが一番いい。」と語る。
お遍路に訪れる人たちでにぎわう季節が、またやってくる。
春の訪れをうたう俳句がまたひとつ、俳句茶屋に生まれるだろうか。
クレジット
演出・撮影・編集 小野 さやか
撮影 高畑 洋平
カラリスト 藤井 遼介
MA 西山 秀明
テロップデザイン オオハシユースケ
音楽 北小路 直也
プロデューサー 煙草谷 有希子
細村 舞衣
製作 ドキュメンタリージャパン
Blue Berry Bird