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秘密裡に行われるTPP交渉- 人権保障が大幅に後退するリスクを国連・人権専門家が相次ぎ警告 

伊藤和子弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

■ 人権への破壊的影響- 専門家から噴出する危機感

報道されている通り、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉に参加する日米を含む交渉当事国12カ国の閣僚会合が、7月28日から、米ハワイ州マウイ島で開催されている。

バターや肉や米など、農産物の関税率の交渉過程などが断片的に報道されている。

もちろんこれらは大変重要なことであるが、同時に忘れていけないのは、TPPは関税の撤廃・削減だけでなく、非関税障壁の撤廃をも目的として、21もの広範囲にわたる分野を対象としていることである。

交渉プロセスでは、参加国に住む人々に多大な影響、特に破壊的な影響をもたらす多岐にわたることが議論され、基本的人権保障に関する広範囲の侵害が懸念されている。  

2015年6月2日、国連が任命した10人の人権専門家は、連名で、「'''TPPの人権への悪影響を懸念する」との異例の声明を発表した'''。

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声明を発表したのは、国連が任命した「障がい者の権利に関する特別報告者」「健康の権利に関する特別報告者」「文化的権利に関する特別報告者」「裁判官と弁護士の独立性に関する特別報告者」「食糧に対する権利に関する特別報告者」「安全な水に対する権利に関する特別報告者」「先住民の権利に関する特別報告者」など10人である。

連名の声明は、TPP合意が交渉国の人びとの生命、食糧、水、衛生、健康、住居、教育、科学、労働基準、環境などの人権保障に多面的かつ深刻な悪影響をもたらしかねないことを警告し、

・貿易・投資協定の交渉に利害関係者の参加を認め透明性を図ること、

・協定草案のテキストを公開すること、

・人権に対する影響を適切に評価し人権保護規定を盛りこむこと

を勧告した。

これほど多くの国連独立専門家がひとつの貿易投資協定に関して人権侵害のリスクを懸念することは極めて異例なことだ。この声明は国連のウェブサイトに正式に掲載されている。   

また、これを受けて、6月23日には、交渉参加国のうち、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、日本、ペルー、メキシコ、チリ、マレーシアの9か国の人権専門家らエキスパートがそれぞれ懸念を表明する共同声明を公表した。

この共同声明のなかで、国際団体Oxfam USAの政策責任者は、 

TPPのような自由貿易協定の最悪なシナリオは、普遍的な人権保障を脅かすことである。悪魔的条項は細部にひそんでいる、そして、TPPの細部は未だに秘密とされている。リークされた文案は、最悪のシナリオを示している。

と実に不吉な警告をしている。

ではどんな影響があるのか。

■ TPPで決められようとしていること

これまでリークされたTPP協定草案等の断片的な情報によれば、TPP協定では、自由貿易推進のためその障壁となる各国の規制を撤廃する一方で、自由貿易の建前とは本来無関係なはずの、企業の知的財産権の過度の保護が打ち出された結果、交渉国における人々の生命や身体、健康にかかる基本的人権に現実的に多大な影響を及ぼす条項が数多く盛り込まれていることが明らかになりつつある。

その例としては、

・SPS(衛生植物検疫)に関する各国の権利行使が制約を受けたり、日本の原産地規制、遺伝子組換え作物の表示規制措置が制約を受けるなどして、食の安全・健康保護・消費者保護が危機に晒される危険性

・知的財産権の保護規定による、製薬企業の特許とデータ保護の権利の強化による、安価な医薬品へのアクセスの権利の侵害と医薬品の高騰の危険性

・公的医療保険に対する民間保険の参入、営利企業の病院経営参入、混合診療の解禁による日本の国民皆保険制度の形骸化の危険性

・消費者保護の後退の危険性

・著作権保護期間の延長や著作権侵害の非親告罪化,更には法定賠償金の導入により,二次創作活動等の表現の自由,報道の自由に重大な萎縮効果をもたらす危険性

など実に多くの分野に及んでいる。

例えば、SPSとは、海外から輸入した動植物に関する独自の安全チェックであるが、それが厳しく、自由貿易を阻害する不当なものだとみなされれば、緩い基準に従わなければならなくなるというリスクである。

狂牛病(BSE)、鳥インフルエンザなど、日本は比較的厳しい検査体制を講じているが、それは許されなくなる可能性がある。つまり危険な食糧が輸入されても、国として安全性をきちんとチェックできなくなるということである。

また、遺伝子組み換え食品についての表示規制を撤廃しようという動きもあり、私たちがスーパーなどで買う食品が果たして遺伝子組み換え食品かどうかわからないという事態になるかもしれない。

こうしたことは政府・外務省自身が「慎重な検討を要する」として表にまとめている。政府もわかっているのである。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/tpp/pdfs/tpp02_03.pdf

また、医療分野は深刻で、日本では、公的医療保険に対する民間保険の参入により国民皆保険制度が崩壊するのではないか、と日本医師会も警告を発している。

さらに、医薬品の分野では、製薬会社が開発した薬の特許とデータに関する保護が過度に強化され、後発で安価なジェネリック薬の製造・販売が認められないということにもなりかねない。

そうなると、製薬会社が高い新薬を開発した場合、価格は高いまま、貧しい国の人達が安価なジェネリック薬を入手することができないまま、本当は治療することができるのに薬が入手できないため死亡する、それも製薬会社の知的財産権を守るという理由のために、という残酷で不合理な現実がおきようとしているのだ。

このことに対しては、国境なき医師団などが明確に反対を表明している。

このように、少しの事例をとってみても、食糧や健康という最も大切な権利、私たちにとって身近な薬や食べ物、医療などに破壊的な影響を及ぼす危険性があることがわかる。

これらは一例に過ぎない。冒頭に紹介した、10名の国連人権専門家らは、健康保護や食の安全の基準引き下げ、労働基準の引き下げや貧困の深刻化により、先住民、障害者、高齢者等社会的い弱者の人権に深刻な影響が及ぶことに強い懸念を表明している。

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交渉国の人権専門家共同声明のなかで、メキシコの経済的社会的権利プロジェクトの代表者は、NAFTAの経験をもとに、労働者の権利など多分野の人権への悪影響を警告、 

こうした多国籍企業が決定的役割を担うことになる貿易協定(NAFTAとTPP)にサインするということは、政策としては構造改革路線の推進をもたらす、そしてこうした路線の結果、政府は人権尊重、保護、充足の義務を放棄することになっていくのだ。

と語る。

断片的なリーク情報等から予測されることや関連団体・市民団体等の懸念を述べてきたが、少なくともフェアにいえることは、

全容が公開されていないだけに、指摘されている様々なリスクがないと言い切ることは誰にもできない。

ということであろう。

■ISDS条項の危険

さらに大きく心配されているのは、TPP交渉に、投資家対国家紛争解決制度ISDS,Investor-State Dispute Settlement)の条項が盛り込まれる見込みであることだ。

このISDS条項とは、外国投資家が、貿易協定の投資に関する規定に反すると考える協定参加国政府の措置によって損害を被ったとして、投資国先政府を国際仲裁手続等に訴える制度である。

既に北米自由貿易協定(NAFTA)等の同様の規定に基づきいくつもの巨額賠償請求がされている。

その結果、ISDS条項は、投資家の利益のために、それぞれの国が自国民の人権保護政策(経済活動に対する規制措置)をとることを萎縮させるという看過できない結果を今ももたらしている。

例えば、日本が国民皆保険制度を頑なに維持しているとして、米国民間保険会社に訴えられて巨額の賠償を支払わされる、とか、狂牛病の検査が厳しすぎるとして、米国の牛肉輸出関連企業に訴えられる、などということが各分野でありうるのだ。

最近の報道は、

この制度を巡っては、企業の海外進出に積極的なアメリカや日本が導入を求める一方、過去に訴訟で多額の賠償金の支払いを求められたとして、オーストラリアや一部の新興国が慎重な姿勢を示し、協議が難航していました。

こうしたなか、参加各国は、導入に慎重な国に配慮する形で、明確な根拠のない訴えは速やかに却下することや、訴えられる期間を一定の年数に制限することなど、乱用を防ぐ規定を設けることを前提に、導入する方向で最終調整に入る方針を確認しました。

出典:NHK報道

と伝えている。日本はアメリカとともに導入を求めているというが、政府はいったい何を考えているのだろうか。

米国は日本とは比較にならない訴訟社会、米国投資家から、日本に対する仲裁・訴訟等が次々と提起される危険がある。

そして、訴訟リスクを恐れて、国がじわりじわりと制度が後退し、企業・投資家の利益を市民の権利、特に食糧、医療、健康、環境などとても大切な人権保障よりも優先し、各種規制を撤廃し、優れた制度をやめてしまう危険があるのだ。

それ以外の国々にも、微々たる譲歩案で押し切られてISDSを導入すれば、後々にとりかえしのつかない禍根を残すことになるであろう。

最大の問題~ 秘密裡に進む交渉

このように、TPP交渉は深刻な人権への影響もたらすことが懸念されているにもかかわらず、交渉プロセスが市民に公開されていない、これが最大の問題である。

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交渉は秘密裡に行われ、日本においては、国民はもちろん、国会議員にすらその内容は明らかにされていない。しかも、交渉草案・各国提案・添付説明資料・交渉の内容に関するEメール及び交渉の中で交換されたその他の情報は、全てTPPが効力を生じた後4年間もしくは交渉の最終ラウンドの後4年間は秘密にすることとなっているとされる。

私たちの身近な日常生活と人権に大きく関係する取り決めが全く秘密裡に、市民に全貌を公開することもないまま進められているのである。

こうした決定によつてネガティブな影響を受ける可能性のある人たちやコミュニティ、業界などは、事前に「こんな合意を考えています」と内容を開示されたうえで、よく彼らの話を聞いた上で、交渉しなければならない。

ところが、影響を受けるであろう人たちは、交渉過程から完全に排除され、彼らの人権に多大な影響を与える可能性のある情報にアクセスする権利も認められず、協議の機会もないのだ。

自分に影響することについて私たちは情報にアクセスする権利を保障されなければならないはずだ。今行なわれていることは、まったく、民主主義的ではない。

市民に全く公開されない交渉プロセスや、甚大な影響を受けるであろうコミュニティやステークホルダーに全く情報開示もなく、協議もなく勧められようとしているプロセスに大きな懸念が噴出している。

メディアは漏れ伝わる話などを報道しているものの、そもそも情報公開されない異常さについて、正面から問題提起し、批判をすべきであろう。

■ 参加国における人権保障を大幅に後退させることは許されない

甘利担当大臣は、今回を「最後の閣僚会議にしたい」などとして、大筋合意を目指すとしている。

しかし、市民の生活に深刻な影響がある、と言われているのに、詳細が公開されず、政府交渉団に白紙委任、という方針には根本的な疑問がある。

国連・人権専門家から噴出する危機感、交渉国がこうした声を握り潰し、人権を危機に晒す合意を秘密裡に締結することは許されない。

私たち国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ(HRN)でも、今回の交渉に先立ち、

秘密裡に行われるTPP交渉 参加国における人権保障を大幅に後退させることは許されない。

とする声明を公表、

政府に対し、  

・TPP協定草案の開示、及び交渉過程にかかる関係文書の国民への開示を行うこと

・各分野の協定条項による影響に関する適切な評価を先行的に行うこと

・各分野の協定条項によって影響を受ける利害関係者・団体の参加と協議を行うこと

を求めている。民主主義の基本として、こうしたプロセスなく大筋合意などすべきではない。

また、交渉に当たっては最低限

・交渉各国の国内的な人権保障のセーフガードを後退させるいかなる合意も行なわないこと

・ISDS条項を削除すること

・TPP協定に、自国民の基本的人権の保護を後退させないセーフガードとなる人権保護条項を設けること

が必要だ。

いま、国会では、安倍首相が米議会で演説して、「集団的自衛権やります」と勝手に言ったことが議論され、国民の反対を押し切って強行されようとしている。

TPPでも、いい加減な合意がされたが最後、「国際公約」等と言って、とんでもない内容が国民に押し付けられる危険性がある。

要注意である。

弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

1994年に弁護士登録。女性、子どもの権利、えん罪事件など、人権問題に関わって活動。米国留学後の2006年、国境を越えて世界の人権問題に取り組む日本発の国際人権NGO・ヒューマンライツ・ナウを立ち上げ、事務局長として国内外で現在進行形の人権侵害の解決を求めて活動中。同時に、弁護士として、女性をはじめ、権利の実現を求める市民の法的問題の解決のために日々活動している。ミモザの森法律事務所(東京)代表。

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