「痴漢抑止バッジ」にみる他者への想像力
「痴漢抑止バッジ」が有効な理由
昨年11月、「痴漢被害に遭い続けた女子高生が考案した「痴漢抑止バッジ」が大人を動かした」という記事で紹介したクラウドファンディングだが、この活動はさらに大きな反響と関心の輪がひろがっている。これは実際に痴漢被害に遭っていた女子高生とその母親が、「被害が遭ってから犯人を捕まえるのではなく、被害を未然に防ぎたい」という気持ちから考案したカードが元となったものだ。
「こんなカード(バッジ)で痴漢被害が防げるのか?」という疑問を持たれる方もいるかもしれないが、この女子高生は実際にカード(バッジ)をつけてから、被害にまったく遭わなくなったという。
クラウドファンディング主催者らの聞き取りに対して、性障害専門医療センターの担当者は、「痴漢常習者の中には『女性が嫌がっていて声が出せない』ということが理解できない人もいる。むしろ『避けていないのだから喜んでいるのだろう』と考えてしまう。だからこそ、『通報します』『泣き寝入りしません』という言葉で意思表示することが有効となる」と語ったという。
「被害者も加害者もつくりたくない」
このバッジの存在を知り、調べていくなかでぜひ多くの人に伝えたいと感じるのは、性犯罪被害者が語ることの意味と、性犯罪被害者に未だについてまわる「偏見」についてだ。今回痴漢抑止バッジを考案した女子高生・たか子さん(仮名)の行動は本当に素晴らしいものだったと思う。彼女には、「被害者も加害者もつくりたくない」という気持ちがあったと聞く。プロジェクト関係者の一人は、「誰かを責めるのではなく、自分が行動をすることで社会を変えたいという気持ちが多くの人につながった」と話した。
プロジェクトでは、「痴漢防止」や「痴漢撲滅」ではなく、「痴漢抑止」という言葉が使われている。ここにはプロジェクト主催者らの、「誰かと戦うのではなく、理解と共感の和を広げたい」という気持ちが込められていた。戦うことは対立を招き、批判を呼ぶからだ。性犯罪被害にまつわるこういった行動が、少し間違えば批判や誤解を招きかねないことを主催の方たちははじめから充分承知していた。こういった真摯で冷静な姿勢を本当に応援したいと感じる。
レイプ神話とセカンドレイプ
その一方で悔しさも感じる。性犯罪被害者とその協力者が犯罪を減らしたいという活動が、なぜ批判を恐れなければいけないのか。
「痴漢被害に遭い続けた女子高生が考案した「痴漢抑止バッジ」が大人を動かした」の末尾にも書いたように、始まったばかりのプロジェクトであるから、改善の余地はまだあるだろう。もっと良い方法があるならば、多くの人で知恵を出し合って改善していけばいい。だが、寄せられる声は、そうした建設的な意見だけではない。
今回のプロジェクトに届く声は、改善案や疑問点の提示だけではなく、誤解に基づいた批判や中傷についても多い。性犯罪被害報道は、被害者に対する中傷や批判が行われることがしばしば起こる。それらは推測に基づくものであったり単なる誹謗中傷であるものも見うけられる。
性犯罪被害者に対する心ないコメントの例として、私自身に向けられたものを挙げたい(他の人に向けられた中傷を引用することで、二次加害を拡散したくないからだ)。
昨年1月に、私は学生時代の痴漢被害についてブログ記事を書いた。そのブログのはてなブックマークがこちら。
私自身が「ひどいな」と思ったコメントを抜き出すと、次のようなものがある。
(1)「この女の人を痴漢する勇気はない。ボケた老人が痴漢してるのかな」
(2)「 嫁が「この人はちょっとおかしいんじゃないか」と言ってた。それを聞いて納得した」
(1)は、ブログに載っている私の顔写真を見てのものだろう。外見を茶化すことで、被害を矮小化しようとしている。(2)は、第三者である女性のコメントを使い、「この人がおかしい」と言う。普通の人はこんな性犯罪に遭わないということだ。
どちらも、性犯罪被害者がよく受ける中傷だ。(1)は「性犯罪被害は外見の美しい人だけが遭う」という誤解、(2)は「性犯罪被害に遭う人の方に問題(落ち度)がある」という偏見が背後にある。
このようなコメントぐらい発言の自由、表現の自由だと言う人もいるだろう。そうかもしれないが、こうした発言はモニターの向こうの多くの人を傷つけているかもしれない。こういったコメントが可視化されることで、性犯罪被害者に向けられる「二次加害(セカンドレイプ)」が実際に起こっていることを多くの人に知らせる意味もあるのかもしれない、と考えることもできるが、それは前提となっている共通の理解があってこそだ。
痴漢抑止バッジを考案した女子高生は、痴漢抑止バッジをつけて通学するようになってからのエピソードについて、手記の中で次のように書いている。
「痴漢する方も相手を選ぶよな」。これは昨年、あるネットニュースの中も同じ言葉が使われた。「女性専用車両を必要だと思っている60代女性が○%もいる」というアンケート結果について、記者が「痴漢する方も相手を選ぶと思いますけどね」と書いたのだ。記事は炎上し、結果的にサイト側が謝罪、記事を削除した。
しかし非難の声が上がる前に、「痴漢する方も相手を選ぶと思いますけどね」という一文に対し、その「ユーモア」を褒め称えるようなコメントもあったことを記憶している。
こういった被害者や被害を恐れる人に対するからかいを、「不謹慎だから」という理由で止めさせることはできないのかもしれない。しかし、止めさせることができないのであっても、こういった発言は独創的なユーモアなどではなく、性犯罪被害者に対して繰り返し行われてきた、面白さやセンスを必要としないただの偏見であると自覚してもらいたいと思う。
ネット上の性犯罪に関するニュースに自分の感想を書き込む前に、それが「強姦(レイプ)神話」と言われてきた偏見に基づくものではないのかどうか、考えるべきだ。
参考:
強姦(レイプ)神話とは(神奈川県HPより)
※補足すると、リンク先では被害者を女性のみに限定しているが、性犯罪被害者には男性や男児もいる。
また、ネット上に書き込むことで、そのコメントを被害者や被害者の家族が目にする可能性を考えるべきだ。ネット上でコメントをすることは、家でテレビを見ながら毒づくこととは違う。その書き込みは、「二次加害(セカンドレイプ)」になる可能性がある。ネット上ではいともたやすくセカンドレイプが行われる。セカンドレイプは、被害者に「恥」を押しつけ、その被害を明るみに出させない力がある。被害を見えなくさせることの弊害について、さらに説明が必要だろうか。
他者への想像力を
性犯罪被害は、被害者を守るために被害者の情報は最低限に伏せられるし、被害内容も曖昧に報じられることが多い。それは性犯罪被害者を守るために現代においては必要なことなのだが、情報が伏せられたことで、あらぬ誤解や勝手な推測を招く場合もある。また、被害者の悔しさが伝わりきらないことがある。
「痴漢被害に遭い続けた女子高生が考案した「痴漢抑止バッジ」が大人を動かした」を読んでもらえばわかるが、引用した手記では、警察で被害届を出した事件についての記述を削除している。事件の顛末についての記述があることで、加害者がこのバッジを考案した女子高生を特定してしまうことを避けるためだった。しかし、この削除された部分に書かれていたことは衝撃的だったし、引用することができれば、さらに彼女の悔しさが伝わったはずだ。性犯罪加害者がどのように卑劣な行動を取るかも。
被害者を守るために情報を伏せることが加害者をも守ることになり、また、情報を伏せることで情報の受け取り手から勝手な推測を招くことがある。もどかしい事実だ。
ニュースからいろいろな想像を働かせてしまうことは人間だから仕方ない。けれど、限られた情報から被害者を責めるような想像をあえてする必要はないし、それを偏見だと気付かずにネットに書き込む必要はない。「私は性犯罪被害者に対する偏見を持った無知で心ない人間です」と全世界に自己紹介する必要はないし、それは加害行為だと自覚するべきだ。歴史を踏まえないキャッチコピーは、単なる模倣になりかねない。
本記事で紹介した女子高生が発案した痴漢抑止バッジのクラウドファンディングはあと約1日で終了する。
痴漢抑止バッジは他者への想像力をもって生まれたものだ。そうした社会をよくするためのアイディアを大事にし、このアクションが広がればと願う。