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理解に苦しむ「こども保険」

中田大悟独立行政法人経済産業研究所 上席研究員
(ペイレスイメージズ/アフロ)

「こども保険」現る

桜前線と北上とともに、不思議な政策提言が報道を駆け抜けていきました。2017年3月29日、自由民主党の若手議員で構成される「2020年以降の経済財政構想小委員会」(以下、小委員会)が、「こども保険」なる構想を世に問うたのです。「こども保険」。どこかの保険会社の学資保険か何かと勘違いしそうなネーミングですが、小委員会の提言は次のようなものです。( 詳細は小委員会メンバー議員のブログを参照してください )。

「こども保険 保険料率0.1%案」

公的年金加入者に労使折半で被用者年金0.2%、国民年金160円(月額)程度の保険料を設定し約3,400億円程度の財源を確保。これを基に、未就学児の児童手当の月額5,000円程度上乗せと、保育所の拡充による待機児童ゼロと低所得世帯の保育実質無償化を実現

「こども保険 保険料率0.5%案」

公的年金加入者に労使折半で被用者年金1.0%、国民年金830円(月額)程度の保険料を設定し約1.7兆円程度の財源を確保。これを基に、未就学児の児童手当の月額25,000円程度上乗せと、幼児教育保育の無償化を実現

税、社会保障分野の政策分析を生業としている者としては、どこから手を付けてよいかわからないくらいにカオスな政策提言なのですが、以下に、いくつかの論点を整理してみましょう(すでにおなじテーマを取り上げた島澤先生の論稿が発表されています。ぜひご参照ください)。

ちなみに、実は、今回の「こども保険」とかなり近い政策提言が、2002年に厚生労働省の研究会から発表されたことがあります。「育児保険構想」と名付けられたその政策提言は、やはり公的年金加入者から月額3,000円程度の保険料を徴収し、その他の財源を合わせて6兆円規模の事業として、子供一人あたり2万円の育児支援クーポンの発行などを行うというものです。社会保険の枠組みの中で育児支援を行うなど、「こども保険」と類似点が多いのですが、その点も含めて論じていきたいと思います。

これは保険なのか

「こども保険」の最大の問題点は、これはそもそも保険ではなく、ただの所得再分配政策ではないか、ということです。保険ではないものを、保険を装って実施することの弊害を考える必要があります。

保険というのは、同じリスクに直面する人たちが事前に保険料を拠出し合い、事後的にリスクが顕在化してしまった人に給付を行うようにしてしまうことで、将来の不確実性に備えよう、というものです。

自動車保険であれば、自動車を運転する人たちが、事故を起こしてしまった場合の損害を補償してくれる保険に対して保険料を払い、加入します。当たり前ですが、自動車を運転しない人がこのような保険に加入することはありません。なぜなら、そういう人は自分で自動車事故を起こしてしまう、というリスクに直面していないからです。

よく「負担なくして給付なし」という言い回しが政策論議で使われることがあります。財源があって、初めてなんらかの給付が実施できるのであり、経済政策、社会保障政策でフリーランチ(タダ飯)はあり得ないのだ、ということなのですが、保険制度というのは「給付なくして負担なし」の制度であるとも言えます。当たり前ですが、自分が直面しているリスクに対しての給付が行われると信じるからこそ、その保険に加入するのです。

さて、この点から「こども保険」を眺めてみると、明らかにおかしな点が見受けられます。「こども保険」は公的年金の加入者、つまり20歳から60歳までの現役世代の人たちが「保険料」を払うことになるわけですが、出産可能年齢を過ぎた世代の人たちにとっては、残念ながら、出産というイベントに今後直面することは期待できないことです。つまり、無関係な人から徴収する保険料で、給付を行おうというのです。

であるならば、これは実質的な所得税負担による育児支援政策と呼ぶべきものです。わざわざ、保険の名を冠する意味がわかりません。この点において、出産、育児とは無関係な人にまで「保険料」負担を求める「こども保険」制度は、保険とは呼べないものといえます。

出産育児は保険上の事故なのか

百歩、千歩譲って、「こども保険」は保険なのだ、としても、さらにおかしな点が出てきます。保険と呼ぶからには、自分では完全にコントロールし切れない、リスク(保険上の事故)に対して行われるもののはずです。医療保険は疾病、年金保険は長生きによる困窮、自動車保険は交通事故と、どれも、ある程度までは自身の注意深い準備行動や節制などでコントロールできるものの、完全には制御しきれない確率的な事象です。

それでは「こども保険」はどうでしょうか。出産は、たしかに完全に自分の思うようにはならないものかもしれません。子供を望みながらも、子供を授かることができないカップルは沢山います。しかしながら、出産のコントロールは、完全ではないながらも、自分自身でかなりの程度、選択可能な行動です。この意味で、出産そのものは、保険上の事故と呼べるようなものではないと考えられます。我が国の医療保険で、出産が給付の対象とならないのは、このような考えに基づいています(ただし、帝王切開は母子の生命にリスクがあることが前提ですから、保険給付の対象となります)。

では育児には、保険上の事故と呼べるものはあるでしょうか。育児にかかる費用は、かなりの程度で予測可能です。突発的に子育て費用が増加する、ということはあまり考えられません。数少ない例外は、子供自身に先天的、後天的な傷害や疾病があり、それにより子育て費用、医療費の増大や、親の就業機会の制限による所得の減少などが起こる可能性ですが、これはすでに別制度でカバーされていることでしょう。

社会保険だから許されるのか

いやいや、「こども保険」は民間保険ではなく社会保険なのだ。我が国の社会保険は強制加入が基本だから、無関係でも加入して保険料を払ってもらうのだ、ということかもしれません。

しかし、これもやはりおかしい。公的年金保険や医療保険が強制加入の社会保険となっているのは、長生きや疾病というリスクは、国民全員が等しく直面しているリスクであり、国民全員がこのリスクをプールすることが望ましいという価値観から行われていることです。ここでも、リスクと無関係な人が加入しているわけではありません。保険料の均一化や税の補助など、民間保険の原理原則からは逸脱した面もありますが、これらは経済格差や年齢に関わりなく、全員が加入できるようにするための政策介入といえます。

社会保険給付には、出産一時金に代表されるように、本来の保険のリスクとは関わりないものが含まれているのだから、このような育児給付があってもよいのではないか、という見方もあるやもしれません。確かに、出産一時金などは、本来の保険のあり方からすればグレーな給付です。しかし、その給付とは関係のない人からの保険料徴収を強化すれば、確実に保険制度への信頼を毀損させてしまうことにつながります。極端な喩えですが、自動車保険で、ある特定の車種のオーナー加入者にだけ特典が用意されているようなものがあったとした、他の車種のオーナーはこのような保険に加入し続けたいと思うでしょうか。保険においては、給付と負担には密接な対応関係がなければ、制度の信用が成り立たなくなるわけです。

保険と名付ければ文句が出にくいと思っているのではないか

以上、長々と説明したように、「こども保険」は保険ではなく、実質的に所得税負担の育児支援政策案であるわけですが、なぜこのようなものを、保険に潜り込ませようとする案を、小委員会は思いついたのでしょうか。

これは推測ですが、所得税や消費税などの税率を変更するには、多大な政治的エネルギーを費やさなければならないのに対して、社会保険の保険料率は比較的柔軟に、機動的に変更でき、かつそれによる加入者の抵抗は小さいことを利用したいと思ったのではないでしょうか。

しかし、社会保険の保険料率の変更に比較的、抵抗が少ないのは、その保険料の使途が明確で限定的であることと、その給付内容が確実に加入者の便益となることが保証されているからだということを忘れてはいけません。ほんの少し前まで、年金保険の積立金を保養施設の建設などに充てていたことが、多くの国民の怒りを招いてしまったことの一因は、ここにあるでしょう。保険だから、何をやっても良いということにはならないのです。

保険料では高齢者に負担を要求できない

小委員会の提言では「子どもが必要な保育・教育等を受けられないリスクを社会全体で支える」とあります。保育・教育等を受けられないリスクとはなんぞや、という問題は置いておくとして、「社会全体で支える」というからには、当然のことながら、現役、若年世代だけではなく、今日の少子化社会を構築してしまった中高齢者にも負担をお願いしなければならないところです。

ところが、小委員会の提言では、公的年金の加入者による「保険料」負担(実質的な税負担)で、これを賄うものとされています。つまり、現役世代だけが、負担を負う構造になってしまっているのです。これは少々、理解し難いところです。高齢者からもしっかり支えていただけるような財源を選択しなければ、社会全体で支えることにはなりません。この意味では、広く、遍く負担する消費税の方がベターな選択ということにもなります。

保険料では垂直的公平性が弱い

「保険料」としての負担という点では、垂直的な公平性、すなわち富める人と貧しき人の間での公平性が問題となります。

垂直的な公平性を求めるには、一番適しているのは、累進課税による所得と資産への課税ということになります。高所得者により多く負担いただくわけです。場合によっては、低所得層は税が免除されたり、逆に給付の対象としてしまう(負の負担)ということも考えられます。

その次に考えられるのは、一定率の課税です。この典型例は、一般消費税です。日本の消費税のように、どのような商品の購入に対しても8%で一律の負担としてしまうことで、累進課税よりは弱いものの、高額消費者は高負担、低額消費者は低負担とすることができます。

「こども保険」の保険料率は一律なのだから、これに当たるのではないか、と思われるかもしれませんが、これが違うのです。社会保険料というのは負担の上限額が決まっているのです。例えば、厚生年金では、毎月の報酬額が60.5万円以上の人は、その額にかかわらず、報酬額を62万円とみなして(これを標準報酬と呼びます)、ここから11.3万円の保険料を徴収します。この保険料額は、報酬月額が100万円でも200万円でも同一です(こういう人は少数であるとは思いますが)。つまり、本当に高所得な人たちからは、相対的な意味で高負担を求めることができないわけです。

このような観点から、公平な負担を求めたいというのであれば、社会保険料ではなく、なんらかの累進課税、もしくは次善の策として、一般消費税の方が望ましい、ということになるわけです。

正面から負担を論じるべき

小委員会は「子どもが必要な保育・教育等を受けられないリスクを社会全体で支える」という理念を示しました。「社会全体で」という観点は、私も重要であると思います。

しかし、その負担の在り方を、社会保険の中に潜り込ませようという、言い方は良くないですが、セコい発想はいただけません。これからの日本を担う、自民党の若手政治家なのですから、もっと正面から負担を論じるべきだし、是非ともそうしてほしいと思うわけです。負担は増税に限るわけではないでしょう。財源の捻出は、他の社会保障給付の見直しでも、可能なはずです。

もう取り返しのつかないことではありますが、日本の公的年金制度では、2004年の年金制度改正で切り札として導入したマクロ経済スライドを、今日に至るまでたった一度しか発動できず、政治的な意図で年金スライドを停止させたことから、特例水準という高水準の年金給付も永らく維持してきました。2004年の年金制度改正で予定されていた給付水準と、現在の給付水準を粗く計算して比較してみると、現在の給付水準は、2004年改正時の計画よりも約6%弱、高い水準を維持していることになります。公的年金の年間給付額は約54兆円ですから、改正当初の予定よりも、現在の給付額は3.2兆円程度高いということです。たらればの話になりますが、もしあの時、正面切って、給付減額に着手していれば、今回の小委員会の提案分くらいの財源は捻出できていた、ということになります。このように、成すべき課題はいくらもあるのですから、奇策に走らず、着実かつ大胆な政策論議を巻き起こしてくれることを期待したいと思います。

追記(3/31)

経営者や経理に携わっている人以外にはあまり知られていないかもしれませんが、実は厚生年金の枠組みを利用して児童手当の財源を調達する方法は、すでに「子ども・子育て拠出金(旧名: 児童手当拠出金)」として導入されています。この制度は、各企業の厚生年金加入者の標準報酬総額(ざっくり言えば正社員全員の給与総額にほぼ等しい)に0.2%を掛けた額を、全額を事業主が負担して国に収めることになっています(本人負担はありません)。企業に対する、ある種の正社員雇用税と言ってもいいかもしれません。今回の「子ども保険」案は、この制度の拡張版と位置づけることもできます。言うまでも無く、この「子ども・子育て拠出金」制度は、税で行うべきことを社会保険に潜り込ませている、歪んだ形での実質的な税金ということになります。

独立行政法人経済産業研究所 上席研究員

1973年愛媛県生れ。横浜国立大学大学院国際社会科学研究科単位取得退学、博士(経済学)。専門は、公共経済学、財政学、社会保障の経済分析。主な著書・論文に「都道府県別医療費の長期推計」(2013、季刊社会保障研究)、「少子高齢化、ライフサイクルと公的年金財政」(2010、季刊社会保障研究、共著)、「長寿高齢化と年金財政--OLGモデルと年金数理モデルを用いた分析」(2010、『社会保障の計量モデル分析』所収、東京大学出版会、共著)など。

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