ジャーナリストのパスポート剥奪訴訟~これは国民の「知る権利」の問題でもあるのでは
海外の紛争地などで取材をしてきたジャーナリストの常岡浩介さんが、外務省によるパスポート返納命令と、その後の新たなパスポート発給拒否は違法だとして、パスポートの発給などを求めていた訴訟の判決言い渡しが1月19日、東京地裁(篠田賢治裁判長、渡邉哲裁判官、鈴木真那裁判官)であった。判決は、国側の対応はすべて「適法」とし、常岡さんの請求を退けた。常岡さんは控訴する。
旅券剥奪の経緯
常岡さんは2019年2月、内戦の影響で人々が激しい飢餓状態に陥っていたイエメンの状況を、国境なき医師団と世界食料計画に密着して取材することとし、両団体関係者の了承もとった。ところが、現地に行くために羽田空港でチェックインしようとしたところ、出国手続自動化ゲートを通過できず、入管職員からは「旅券返納命令が出ている」と告げられ、現地に行けなかった。
その後、常岡さんは新たな旅券の発行を申請したが、外務省は常岡さんがトルコやオマーンから入国禁止措置を受けているとして、発給を認めなかった。
旅券法第13条は旅券発給を制限できる場合として、7項目の事由を列挙しているが、常岡さんへの旅券発給拒否で適用されたのは第1号である。
〈1 渡航先(江川注・この場合はトルコ、オマーン)に施行されている法規によりその国に入ることを認められない者〉
予備的主張も認められず
そうであれば、国は渡航先からトルコ、オマーンを除いた旅券を発行すればよいのではないか。常岡さんはこの時、トルコやオマーンに行くつもりだったわけではないし、かつてシリアに渡航しようとして旅券を没収されたフリーランスのカメラマンにシリアとイラク以外で有効な旅券が発行された例もある。
実際、裁判で常岡さんは、すべての国に渡航できる旅券の発行ができないのであれば、渡航先からトルコとオマーンを除いた旅券を発行するように求めていた。しかし判決では、この予備的主張も認められなかった。
まるで危険人物扱い。その根拠は…?
今回の判決では、常岡さんに関する次のようなネガティブな評価が繰り返し述べられている。
まるで危険人物扱いである。その根拠として判決は、常岡さんが同組織の幹部と友好的な関係にあると伝えた海外webメディアの記事を挙げた。そこには常岡さんとIS(自称イスラム国)の司令官が並んだ記念写真も掲載されていた。さらに判決は、紛争地取材のジャーナリストが正規のルート以外の方法で現場に入ることについての常岡さんのSNS上での発言も問題として取り上げている。
法廷での常岡さんの説明は無視
このような指摘については、常岡さん自身が裁判の中で説明している。たとえば、IS司令官と写真を撮った理由。
「このとき、IS側にアポイントを取っていたわけではなくて、偶然彼らと鉢合わせをしてしまったような形になったために、彼らから敵視されてしまうと殺害されたりするおそれがあると考えましたので、こちらから積極的に親しく振る舞うということをやって、リスクを下げようというふうにした結果です」
常岡さんがIS幹部と親しいかのように伝えた海外webメディアの情報の誤りも、法廷で説明した。
また、正規ルートでない現地入りについても、常岡さんは自身の取材体験をもとに語っている。
「例えばチェチェンの取材で言うと、チェチェン側に入ること自体を、ロシアは違法化してました。ただ、取材はやっぱりやるしかありませんし、私以外の世界中もメディアも(チェチェンに)入ってました。やむを得ず入って、そこで取材したという経緯がありました」
SNSでは「密入国」などという不穏当な表現が使われていたが、法廷での証言を聞けば、趣旨は伝わると思われた。
しかも、これに対し、国側は反論も反対尋問もしていない。ところが判決は、常岡さんの説明は一切無視し、何の根拠も示さないまま、海外webメディア情報を信頼のおけるものとして扱った。そして、真偽不明の情報のみを元に、常岡さんは危険人物であるかのような評価をし、このような者が海外で自由に活動すれば国にとって迷惑だから、国内から出さずにおこうという国(外務省)の意図を汲み、追認した。
「日本の司法が虚偽情報に巻き込まれている…」
常岡さんは、判決後の記者会見でこの裁判所の判断についてこう語った。
「信頼性の高くない媒体に出た、いかにもいかがわしい、私がISとつながっているかのような話を、まさか裁判所が採用するとは思っていなかった。昨今、虚偽、デマ、陰謀論などが世界中を混乱に陥れているが、日本の司法まで巻き込まれているのか、と驚いた」
旅券剥奪の基準が示されない
しかも、どういう場合に旅券法13条1号を適用して旅券を剥奪するのかの基準もはっきりしない。
裁判で、13条1号での旅券返納命令の件数について、国側は2011~2020年の10年間に「少なくとも4件」と回答した。そのうち1件は、シリアで武装勢力に拘束された安田純平さんだ。
常岡さん代理人の出口かおり弁護士は、次のように指摘する。
「10年間でわずか4件です。一方で、トルコに入ろうとして入国できなかった経験のあるフリーランスのジャーナリストは結構います。そういう人たちは、だからといって旅券返納を命じられているわけではない。不利益処分であるにも関わらず、基準が設けられておらず、どういう場合に旅券を奪われるのかが分からない。そのうえで、今回のように真偽不明の(web)情報で認定をする、というのは、あまりにおかしい」
「旅券があれば…」
私は判決後の記者会見で、旅券を取り戻したら何をしたいかを尋ねた。この問いに、常岡さんはこう答えている。
「1つはウクライナの取材。2005年に初めて行き、2014年にはクリミアが占領されるまで現地で取材していた。東部のドネツク州などでの紛争も始まった時から現場で取材するなど、17年までに7回通った。それなのに、2022年に(ロシアの)大規模侵攻が始まって以降は、旅券がなくてまったく現場に行けていない。現地の取材先からは『早く来い』という連絡も来ており、自分が行けば、少なくともそのルートについては他のメディアが取材できていないものを取材できる見通しはある」
「もう1つは、イエメン。イエメン内戦の状況を取材しようとしていて旅券を奪われてしまったが、内戦はその後、さらに複雑化し、拡大した。最近はこの国の武装勢力が民間の船舶を攻撃するなど、世界中の海運に障害が及んでいる。やりかけていた取材なので、しっかりやりたいと考えている」
私たちの「知る権利」が狭められるのでは
イエメンの武装勢力フーシ派の攻撃では、日本郵船が運航する船も被害に遭っている。一連の攻撃により、ヨーロッパとアジアを結ぶ多くの船がアフリカ回りの航路に変更を強いられ、輸送費などにも影響が出ている、とも伝えられる。ところが、イエメン情勢については、日本のメディアでもあまり報道がなく、ネットを見ても、海外報道機関の短い記事の邦訳くらいしか情報が手に入らない。
そんな時に、現地取材のスキルがあるジャーナリストが旅券を奪われているために、取材ができずにいる。それは、常岡さんがもどかしいだけでなく、私たちにとっても損失だと思う。
常岡さんに限らず、様々なジャーナリストが、それぞれの手法や視点で現地を取材し、多角的な情報が伝えれば、人々が物事の理解を深めることができるし、判断の材料も増える。
ところが、今回の判決のように、基準も明確でないまま、真偽不明の情報に基づいて、ジャーナリストの海外取材が事実上禁じられるようでは、どうだろう。常岡さん1人の取材の自由や移動の自由だけの問題ではなく、私たち国民の知る権利が狭められてしまうことになるのではないか。
本事件の控訴審の行方を注目したい。