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徴用工問題で迫る日韓合意、問われる日本の世論…「日韓関係」から思考を解放する時

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
19年、三菱重工本社を訪問した訴訟原告の梁錦徳(女性)さん。門前払いだった。

18年10月のいわゆる徴用工裁判における韓国大法院(最高裁)判決は、「植民地支配と直結した不法行為に対する請求権は消滅していない」という見解を元に、強制動員被害者に対する日本企業の賠償を命じた。

「あり得ない」という安倍晋三首相(当時)のひと言で坂を転げ落ちるように悪化した日韓関係だが、早ければ年内にでも「修復」が見込まれている。この記事では迫る新たな日韓合意を前に、何をどう考えるべきなのか、日本社会は何に注目すべきかを提示したい。

◎日韓政府の落とし所は「併存的債務引き受け」

日韓政府の間で関係改善に向けた動きがあると日韓のメディアが続々に報じている。

とりわけ韓国側が熱心な提案と説得を日本側に行っているとされる。尹徳敏(ユン・ドクミン)駐日韓国大使の「尹錫悦大統領は『日韓を一番いい時代に回復させなければならない』と言う。私の使命もそこにある」(要約)という言葉が象徴的だ(産経新聞11月6日のインタビュー)。

この言葉を実証するのかのように10月以降、日韓政府の接触が活発化している。日韓外務次官協議(10月25日)、麻生太郎自民党副総裁の訪韓(11月2日)、日韓首脳会談(11月13日)と続けざまに距離を詰めている。

これらの過程で導き出されつつあるとされるのが、韓国政府の傘下にある『日帝強制連行被害者支援財団(以下、財団。2014年設立)』を通じた解決だ。

具体的には、18年10月と11月の大法院判決により賠償を命じられている日本製鉄(旧日本製鐵、判決当時は新日鉄住金)と、三菱重工業が対象となる。現在、両企業の韓国内の財産を現金化する手続きは大法院が企業側の再抗告を棄却するなど目前に迫っている。

ここで韓国政府が提案しているのは被告企業(日本製鉄、三菱重工業)の原告(強制徴用被害者)への債務を、財団が「併存的債務引き受け」を通じ引き受け、その上で全額返済するというものだ。この手続きには原告の同意が必要なく、手続き上の障害は少ないとされる。

だが、いずれにせよ債務の存在を被告企業が認める点で、判決の効力を認めることになるという批判が日本側には存在する。

さらに争点は他にいくつかある。▲財団に被告企業が出資(寄付を含めお金を出す行為全体を指す)するのか、▲原告が求める被告企業の謝罪が行われるのか、▲さらに謝罪がどう位置づけられるのかという点などがそれだ。

朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の「軍事的挑発」への対応のため、日米韓の共調態勢の整備を急ぐ韓国政府は、年内解決を目指しているとされる。一方で、日韓政府の間で上記の部分での距離が狭まらず、年内解決は難しいとの声も聞こえてくる。

22年11月13日、カンボジア・プノンペンで約3年ぶりの日韓首脳会談が開かれた。韓国大統領室提供。
22年11月13日、カンボジア・プノンペンで約3年ぶりの日韓首脳会談が開かれた。韓国大統領室提供。

◎原告代理人弁護士に聞く

まずは、聞き慣れない「併存的債務引き受け」について、日本製鉄を相手とする損害賠償裁判における原告代理人を務める林宰成(イム・ジェソン)弁護士に詳しく聞いてみた。質問と回答は今月22日に書面を通じて行われた。一問一答で紹介する。

——「併存的債務引き受け」により、新たな債務者が出現することになる。どんな変化があると見るか。

林弁護士:「併存的債務引き受け」が行われる場合、第三者が債務者となる。これは第三者による弁済(※)よりも法律的に容易になると見ることができる。

※韓国政府が被告企業の債務を代理返済する案も取りざたされていた。

——債権者(原告)は新たな債務者(この場合は財団)の出現を阻むことはできないのか。債権者は新たな債務者を認めないという選択を行えるのか。

林弁護士:例えば「免責的債務引き受け」の場合には債権者の同意が必要になるが、「併存的債務引き受け」の場合、債権者は何も言うことができない。既存の債務者(被告企業)が存在する状態で、新たな債務者が登場するものだ。

——「併存的債務引き受け」は一般的によく使われる制度なのか?

林弁護士:ほとんど活用されない。法律に規定もなく、慣例上でのみ認められる形式のものだ。

——今回、財団が「併存的債務引き受け」を通じ賠償金を支払う場合、法的には既存の判決を履行したと判断できるのか。

林弁護士:判決の履行であるとは全く考えられない。ただ、原告の損害賠償債権が消滅する構造でしかない。これ以上、債権の行使をできなくなるというものだ。

——財団に被告企業が出資をするのかしないのかが注目されている。また、判決の履行をめぐっては原告の意志が何よりも大切とされてきた。特に被告企業の謝罪を一貫して求めてきたが、こうした点は今回もし「併存的債務引き受け」が実行される場合、どうなるか。

林弁護士:原告の反対にもかかわらず、韓国政府(財団)が強行する場合、「韓国政府が‘事実上’判決を無効化した」という批判が可能になるだろう。

——現在、言われているように日本の被告企業の出資も謝罪もないまま財団による「併存的債務引き受け」で幕引きが図られる場合、原告にはどのように説明するのか。

林弁護士:「韓国の財団が日本の企業(被告企業)の代わりに賠償金を支払うと言っている。このお金に日本の企業は含まれず、謝罪もない」と伝えるだろう。

林弁護士は過去、事あるごとに「必要なのは被告企業の謝罪」と訴えてきた。「謝罪があれば現金化も止まる」と書いたこともあった。今、何がいったい求められているのかが理解できるだろう。

大法院判決直後の18年12月、新日鉄住金本社を訪問した林宰成弁護士(右から2人目)。金英丸さん提供。
大法院判決直後の18年12月、新日鉄住金本社を訪問した林宰成弁護士(右から2人目)。金英丸さん提供。

◎「強硬派」民族問題研究所に聞く

見てきたような財団による「併存的債務引き受け」については、現段階では可能性が高いというだけで、まだ決まった訳ではない。

さらに、こうしたテクニカルな解決方法だけに注目することは、現金化を止めることだけを目的としたものとし、判決の意義を素通りする危険もある。「木を見て森を見ず」になりかねないということだ。

そこで筆者は次に民族問題研究所の金英丸(キム・ヨンファン)対外協力室長を訪ねた。同研究所は現在「日本製鉄、三菱重工業、不二越強制動員被害者訴訟支援団」に名を連ねている。

金氏は1997年から北海道の強制徴用者の遺骨発掘運動で日本との関わりを持ち、2002年から06年まで高知県の平和資料館・草の家の事務局長を務めた。日本語が堪能な上に温和な人柄で、日韓市民の交流の橋渡しを長い間続けてきた。日韓の市民社会で広く知られた人物だ。一方で、日本の右派からは「対日強硬派」ともされることもある。

なお、日韓関係が極度に悪化していた19年8月に筆者は金氏にロングインタビューをしたことがある。いま読み返しても重要な指摘がいくつかあるので、本記事の後にお読みいただけると事態の理解に参考になる点があるだろう(文末にリンク)。

前述の通り尹錫悦政権は今年5月の発足以降、日韓関係改善を積極的に図ってきた。その過程で7月4日に「官民協議会」が発足し、過去4回行われ終了した。

一方で韓国政府が9月以降開くとしていた公聴会はまだ一度も行われていない。こうした韓国政府の態度、そして日本社会が判決をどう受け止めるべきかを聞いた。

——官民協議会の様子はどうだったか。途中で韓国外交部が大法院に対し現金化を止めて欲しい旨の意見書を提出したことを受け、以降の参加をボイコットしたが。

研究者、弁護士、市民活動家、記者、財界人、政府関係者など合わせて15人くらいが参加していた。私と林宰成弁護士(原告代理人として参加)は2回参加した後でボイコットした。

参加者の中には、判決がもたらした日韓の経済的な損失部分にだけ目を向けて、この裁判の重要性に目を向けない人たちもいた。そうなると現金化を止めることだけが目的になる他にない。

——以前のインタビューでもそうだったが、現金化という結果よりも、判決の重要性を直視することを主張してきた。これをどう説明することができるか。

大きく4つある。まず、日韓のあらゆる戦後補償運動の最終到達点であり、手続き上の結論であるという点、そして植民地主義の克服といった世界史的な意義という点、さらに日韓のいわゆる65年体制つまり冷戦の中で人権を無視し政治的な妥協をした過去を乗り越える点、最後に日韓の市民が協力して90年代後半から訴訟を続けてここまで来た点が挙げられる。

また、日本での裁判、判決(※)がなければここまで来なかった点も指摘しておきたい。

※日本の裁判所は過去、徴用工の置かれた環境が「強制労働であった」(01年大阪地裁、07年名古屋高裁)ことや「不法行為が成立する余地がある」(05年広島高裁)と認めている。

——官民協議会の後には韓国政府が公聴会を開くというような話があった。今は連絡がないのか。

9月以降にやるといっていた公聴会はやっていない。最近は韓国政府から連絡が全く無い。おそらく、日韓政府間で何かしらの折り合いが付いた後で連絡が来ると思う。

民族問題研究所の金英丸(キム・ヨンファン)対外協力室長。日韓の市民社会をつなぐ存在だ。23日、筆者撮影。
民族問題研究所の金英丸(キム・ヨンファン)対外協力室長。日韓の市民社会をつなぐ存在だ。23日、筆者撮影。

——幕引きを図る日韓政府についてどう思うか。

18年の大法院判決が、法的な手続き上の結論であるという認識が全く無いと感じる。この判決により日韓関係がこじれた、現金化を防ぐことが解決だと考えている印象だ。

しかし実際はそうではない。歴史問題の清算をどう行えばよいのかという認識が日韓政府にない点が問題だ。現金化を別のお金をもって止めても、必ず議論は繰り返す。

——現在、他の裁判はどうなっているのか。無限大に裁判が増えるという「誤解」が日本社会には存在する。

2018年10月30日の判決から3年が経ち、すべて時効を迎えているため、これ以上、裁判が増える可能性はない(※)。

しかし、日本政府や徴用企業が資料を提供しなかったなどの理由で裁判を起こせなかった人もいる。こうした人も一括で解決する方法を考えるべきではある。

※ハンギョレ新聞によると現在、日本企業を対象とする損害賠償請求訴訟のうち裁判所に係留中のものは66件で、原告は1102人にのぼる。大法院9件(125人)、二審4件(85人)、一審53件(892人)だ。

——判決の履行を先延ばしにし続けてきた日本政府についてどう思うか。

日本製鉄(当時は新日鉄住金)の経営陣は2012年6月に開催した株主総会で「法律を守らなければならない」とし、敗訴する場合には賠償金を支払うと明かしていた。さらに13年7月のソウル高裁判決(18年の大法院判決とほぼ同様)を受け同年8月にも賠償に応じる意向を明かしている。

しかし、安倍晋三首相(当時)がこれを潰した。裁判を経て判決が出た場合、これに従う必要がある。しかも民事訴訟だ。それにもかかわらず、日本政府が時間稼ぎばかりを続けていることが非常識な事として映る。

——尹錫悦政権は「日韓関係を最も良い時代に戻す」という。これについてどう思うか。

日韓の市民間の交流関係は過去よりも前に進んでいる。韓国の世論調査で明らかになるような韓国市民が日本に持つ反感というのは、自民党政権や過去の安倍政権に対するものだと見ている。日本政府は「日韓関係が悪い」と言うことを政治的なプロパガンダの一つとして利用しようとしていないか。

——日本の市民に伝えたいことは。

歴史の問題というのは、日韓関係にかかわる事だけではなくて、日本にとって先の戦争を清算するのかという所につながる。日本の持つ平和国家のイメージは先の戦争に対する徹底的な反省から来ているものだ。

一連の徴用工裁判は、韓国だけでなく日韓の市民が共にやってきたものだ。だからこそ、国の利害関係で考えるのではなく、被害者が人権の観点からきちんとした謝罪と賠償を受け取ることが、韓国だけでなく日本社会にとっても本当に大切になる。

金さんのインタビューはここまでとする。どうだろう、「強硬派」と言えるだろうか。読者の皆さんにはぜひ自分自身で判断していただきたい。

19年8月、ソウル日本大使館前で会見する強制徴用被害者の梁錦徳(ヤン・グムドク、中央左)さんと李春植(イ・チュンシク)さん。93歳の梁さんは「謝罪なくしては死んでも死にきれない」と明かす。筆者撮影。
19年8月、ソウル日本大使館前で会見する強制徴用被害者の梁錦徳(ヤン・グムドク、中央左)さんと李春植(イ・チュンシク)さん。93歳の梁さんは「謝罪なくしては死んでも死にきれない」と明かす。筆者撮影。

◎「日韓関係」に還元することをやめよう

日韓政府間の合意が今後どうなるかは分からない。前述してきたように、お金でフタをする以外のアプローチが求められているにもかかわらず、それを提示できない場合には一悶着も二悶着もあるだろう。

本稿を締めるにあたって、どうしても私が日本の皆さんに向けて書いておきたいことがある。それは、いわゆる徴用工問題を考える時に条件反射的に「日韓関係」という枠組みを当てはめないで欲しいということだ。

俵万智さんの作品に『サラダ記念日』という一世を風靡した歌集がある。「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」という代表的な短歌を目にしたことがある方も多いだろう。

だが18年10月30日の大法院判決以降、私が見てきた日本社会の様子は「『この判決はダメ』と安倍さんが言ったから十月三〇日は韓国批判記念日」とでも表現できるものだった。

徴用工問題と日韓関係を一直線で結びつけることによって、国家というブラックホールに個人の名前や考えが埋没してしまい、思考停止に結びついてしまってはいなかったか。

実際、日本にはたくさんの方が住み、人それぞれの考えがあるはずだ。

しかし、この件に限り新聞やテレビといったマスメディアを通じ流れてくるのは、「韓国は過激」「韓国はあり得ない」といった批判ばかりで、過去、辛酸を嘗めた個人が企業を相手に失われた尊厳を回復することへの共感はほとんど見えなかった。

私には、日本に住む方がすべてそう考えているとは到底思えないにもかかわらず、だ。

そして、安倍さんの死があった。過去数年、日本で絶大な存在感を持っていた安倍さんの死については、白昼堂々政治家が暗殺されたという点で社会として悲劇であるし、家族とのお別れもできないまま世を去らざるを得なかった事を個人としてもとても可哀想に思う。

しかし、一歩引いて考える場合、安倍さんの退場は韓国を対立関係ではなく隣国・隣人として捉え直す「遠景」になり得るのではないか。「人の死を利用するのか」と怒られるかもしれないが、私は記者として、また責任ある知識人としてこう問わずにはいられないのである。

徴用工問題を考える際には、安倍さんも文在寅さんも、尹錫悦さんも岸田さんも思い浮かべる必要はないはずだ。

好きなドラマの主人公や歌手でも、実際に旅行で出会った人でもいい。毎日の生活が笑顔と共にあることを願う人々の顔を思い浮かべてほしい。国ではなく、人の顔を思い浮かべる余裕を持ちたい。その先にあるのが徴用工問題であり、慰安婦問題だ。

こんな考えを皆がすぐには持てないにしても、これまで日韓を行き来してきた人、普段から韓国文化に触れてきた人には、それができるはずだ。来たる日韓合意に向け、その一歩を色んな形で踏み出してみてはいかがだろうか。日韓関係とは政治家間の関係ではなく、隣人との関係であるのだから。(了)

[参考書籍]

徴用工裁判と日韓請求権協定(2019年、現代人文社)

[過去記事リンク]

「日本は植民地主義を乗り越えるチャンス」…'日韓通'の韓国市民運動家が見る日韓の葛藤(19年8月)

https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20190814-00138415

韓国・強制徴用判決から2年、臆病な日本社会を憂う

https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20211030-00265702

韓国・徴用工判決から3年、動かぬ日本の被告企業と政府…日本社会の‘思考停止’を嘆く

https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20211030-00265702

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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