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朝ドラに取り上げられた先物発祥の地

久保田博幸金融アナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

NHKの朝の連続ドラマ「あさが来た」の10月15日の放映のなかで、大阪堂島の米の先物取引が紹介されていたそうである。このドラマは見ているのだが、その肝心の場面の時間にバタバタしていて見逃してしまっていた。そこであらためて、大阪堂島の米の先物取引についてご紹介したい。

この堂島の米の先物取引は現在の金融デリバティブの原型となっているものである。日本での最初の金融先物はいまから30年前の1985年10月19日に東証に上場された長期国債先物であるが、それはシカゴの金融先物がモデルとなっていた。そのシカゴの先物の原型が堂島の米の先物取引なのである。

大坂には諸藩が設けた蔵屋敷に年貢米が送られる。米の売却は蔵屋敷での競争入札で行う。落札した業者は代金の一分を支払い、蔵屋敷発行の米切手(米手形)を受け取り、一定期日以内に米切手と残銀を持参して蔵屋敷から米を受け取る仕組みとなっていた。この取引が時代とともに少しずつ変わり、米切手が転売されていくようになり、米切手そのものが米現物の需給に関係なく売買の対象となっていった。

大坂の北浜に、淀屋の米市と呼ばれる米市場があった。のちに淀屋市が堂島に移る。この堂島の米市場で売買されていたのは落札された米切手であった。米の売買に際し、現物の代わりに1枚10石単位の米切手という倉荷証券が授受された。米切手は米の保管証明書から一定量の米に対する請求権を表した商品切手に変わり有価証券化して行く。つまり堂島の米市場は有価証券取引が行われた証券市場でもあったのである。

堂島米市場では着地取引として米の廻着を待たずに米切手が先売りされるようになった。米切手の保有している商人は米の価格変動リスクにさらされることとなり、この米価の価格変動リスクのヘッジを目的として「売買つなぎ商い」という先物取引が考案されたのである。この「つなぎ商い」が1730年に徳川幕府により公認され、堂島米会所が成立した。

堂島米会所では、米切手を売買するいわゆる現物取引の「正米商い」に加えて、米の先物取引である「帳合米商い」が行われた。帳合米商いとは1年を春夏冬の三期にわけてそれぞれ4月28日、10月9日、12月24日を精算日とし、各期に筑前・広島・中国・加賀米などのうちから1つを建物(標準米)として売買し、反対売買による差金決済を原則とする取引である。 正米商いと帳合米商いともに消合場と呼ばれた株仲間組織によるしっかりとした清算機関(クリアリングハウス)が存在していた。不正を行った株仲間を取引停止にするといった処置も講じられ、市場秩序が維持されていたのである。こうして帳合米商いは、現在の先物取引と同様にヘッジ目的だけでなく投機目的でも積極的に商人が参加し、世界に先駆けた先物市場が発展していったのである。

金融アナリスト

フリーの金融アナリスト。1996年に債券市場のホームページの草分けとなった「債券ディーリングルーム」を開設。幸田真音さんのベストセラー小説『日本国債』の登場人物のモデルともなった。日本国債や日銀の金融政策の動向分析などが専門。主な著書として「日本国債先物入門」パンローリング 、「債券の基本とカラクリがよーくわかる本」秀和システム、「債券と国債のしくみがわかる本」技術評論社など多数。

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